槍とカチューシャ(51~100)
第94話『前を向いて』
広い背中はガレーナの出口付近で見つけた。愛馬の手綱を引いた団長さんが、今にも村から出ようとしているところだった。
「ちょっと、待って、団長さん!」
わたしの呼びかけに団長さんは足を止めた。わたしはその機会を逃さないようにと、団長さんの正面に回りこんで両腕を掴む。
「アイミ」
「何で、黙ってどこかに行っちゃうんですか? まだ、助けてもらったお礼だってしていないし」
「お礼などいらない。当たり前のことだ」
「いえ、ありがとうございます。団長さんのおかげで死なずに済みました」
これだけは絶対に伝えておきたかった。
「団長さんに助けてもらったとき、嬉しかったんです。命が助かったこともあったけれど、団長さんに会えたことのほうが数倍嬉しかったんです。それで、暗闇のなかでわたし……気づいちゃいました」
お城にいた頃のわたしが聞いたら、悲鳴を上げるかもしれない。もしくは「やめておいたほうがいい」と諭されるかも。
相変わらず、自分の父親のことは許せないし、人を信じられるかどうかもわからない。だけど、実際に団長さんの瞳に見つめられると、そんなことはどうでも良くなった。
父親の記憶は消せないけれど、お嬢様のように前だけを向いて生きていくほうがいい。あの父親にこだわるほうがバカみたいだと思う。
この気持ちを伝えるのに見つめられているのが恥ずかしくて、固い胸板に耳をつける。団長さんの心臓の音が聞こえてくる気がする。
「アイミ」
低くて怖いだけの声なのに、耳に心地よく感じた。団長さんの指がわたしの耳に触れた。優しい触れ方でくすぐったい。だから、団長さんを見上げて笑った。
「団長さん……好きです」
案外、すんなりと言葉にできた。拒んできたくせにと思われるかもしれない。今さら告白しても遅いのかなとか色々考えた。嫌な予想を裏づけるように、団長さんはいっこうに抱き締めてくれる気配はなかった。むしろ、眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな表情をした。
「大変な事態にあって、混乱しているのではないか?」
「わたしの言葉を疑っているんですか?」
「ああ、信じられん。お前が俺をす、好きなどと」
団長さんは目をさ迷わせていた。こちらからしてみれば、混乱しているのはわたしではなく、団長さんのほうだ。疑うなら証明してやろうと思った。
「団長さんが好きです」
少し大変だったけれど背伸びした。頬に唇を寄せてみたら「うっ」と変な声がした。
「団長さん?」
「本当に、本当か?」
団長さんはわたしのキスを確かめようとしているのか、自分の頬に触れた。念入りにさすってみせる。
「ええ、まあ」
何だか、すごくやる気のない声で答えてしまったけれど、団長さんは気にせず、わたしを片腕で抱き寄せた。火事のときにも抱き締められた。固くてゴツゴツしていて、それでもきつすぎず、守られているなと思えた。安心できた。それが今も再現されて、「団長さん、大好き」と素直に言葉にする。
「ああ、俺も好きだ」
このまま終われば、良かったのだけれど。
「俺もお前が好きだ」また、言ってくれた。お腹一杯なのに。
「あ、ありがとうございます」
わたしの肩にがっちりと手綱を引いていないほうの手がのせられる。何だろう、嫌な予感がする。話が変な方向にいってしまいそうな感じがするのだ。
「では、なってくれるな? 俺の妻に」
この人はどこまでも進歩のない人だ。好きだと言ったからってすぐに妻になるわけではない。
「それは無理です」
「なぜだ?」
「妻になったらガレーナを離れなくちゃならないでしょう。わたし、使用人頭になったんですよ」
もしかしたら喜んでくれないかもしれない。団長さんはわたしが妻になるほうが嬉しいのだ。
「お前が使用人頭?」
「エイダと一緒ですけどね」
何か、悪いことでも? と聞いてしまいそうなほど、わたしはイラついている。しかし、予想に反して、団長さんは笑い声をもらした。
「そうか、良かったな」
「良かったんですか?」
「ああ、確かにお前を妻にできないのは残念だが、心から良かったと思っている」
そうだった。団長さんはいつだって、喜んでくれる人だ。わたしが使用人になると決めたときも、「良かったな」と言ってくれた。笑ってくれた。包みこむような大きな心をわたしは好きになったのだ。
「ありがとう」
団長さんの声がいつだって、後押ししてくれた。励ましてくれた。もしかしたら、ずっと前からわたしは団長さんのことが好きだったのかもしれない。簡単に認めたくはないけれど。
広い背中はガレーナの出口付近で見つけた。愛馬の手綱を引いた団長さんが、今にも村から出ようとしているところだった。
「ちょっと、待って、団長さん!」
わたしの呼びかけに団長さんは足を止めた。わたしはその機会を逃さないようにと、団長さんの正面に回りこんで両腕を掴む。
「アイミ」
「何で、黙ってどこかに行っちゃうんですか? まだ、助けてもらったお礼だってしていないし」
「お礼などいらない。当たり前のことだ」
「いえ、ありがとうございます。団長さんのおかげで死なずに済みました」
これだけは絶対に伝えておきたかった。
「団長さんに助けてもらったとき、嬉しかったんです。命が助かったこともあったけれど、団長さんに会えたことのほうが数倍嬉しかったんです。それで、暗闇のなかでわたし……気づいちゃいました」
お城にいた頃のわたしが聞いたら、悲鳴を上げるかもしれない。もしくは「やめておいたほうがいい」と諭されるかも。
相変わらず、自分の父親のことは許せないし、人を信じられるかどうかもわからない。だけど、実際に団長さんの瞳に見つめられると、そんなことはどうでも良くなった。
父親の記憶は消せないけれど、お嬢様のように前だけを向いて生きていくほうがいい。あの父親にこだわるほうがバカみたいだと思う。
この気持ちを伝えるのに見つめられているのが恥ずかしくて、固い胸板に耳をつける。団長さんの心臓の音が聞こえてくる気がする。
「アイミ」
低くて怖いだけの声なのに、耳に心地よく感じた。団長さんの指がわたしの耳に触れた。優しい触れ方でくすぐったい。だから、団長さんを見上げて笑った。
「団長さん……好きです」
案外、すんなりと言葉にできた。拒んできたくせにと思われるかもしれない。今さら告白しても遅いのかなとか色々考えた。嫌な予想を裏づけるように、団長さんはいっこうに抱き締めてくれる気配はなかった。むしろ、眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな表情をした。
「大変な事態にあって、混乱しているのではないか?」
「わたしの言葉を疑っているんですか?」
「ああ、信じられん。お前が俺をす、好きなどと」
団長さんは目をさ迷わせていた。こちらからしてみれば、混乱しているのはわたしではなく、団長さんのほうだ。疑うなら証明してやろうと思った。
「団長さんが好きです」
少し大変だったけれど背伸びした。頬に唇を寄せてみたら「うっ」と変な声がした。
「団長さん?」
「本当に、本当か?」
団長さんはわたしのキスを確かめようとしているのか、自分の頬に触れた。念入りにさすってみせる。
「ええ、まあ」
何だか、すごくやる気のない声で答えてしまったけれど、団長さんは気にせず、わたしを片腕で抱き寄せた。火事のときにも抱き締められた。固くてゴツゴツしていて、それでもきつすぎず、守られているなと思えた。安心できた。それが今も再現されて、「団長さん、大好き」と素直に言葉にする。
「ああ、俺も好きだ」
このまま終われば、良かったのだけれど。
「俺もお前が好きだ」また、言ってくれた。お腹一杯なのに。
「あ、ありがとうございます」
わたしの肩にがっちりと手綱を引いていないほうの手がのせられる。何だろう、嫌な予感がする。話が変な方向にいってしまいそうな感じがするのだ。
「では、なってくれるな? 俺の妻に」
この人はどこまでも進歩のない人だ。好きだと言ったからってすぐに妻になるわけではない。
「それは無理です」
「なぜだ?」
「妻になったらガレーナを離れなくちゃならないでしょう。わたし、使用人頭になったんですよ」
もしかしたら喜んでくれないかもしれない。団長さんはわたしが妻になるほうが嬉しいのだ。
「お前が使用人頭?」
「エイダと一緒ですけどね」
何か、悪いことでも? と聞いてしまいそうなほど、わたしはイラついている。しかし、予想に反して、団長さんは笑い声をもらした。
「そうか、良かったな」
「良かったんですか?」
「ああ、確かにお前を妻にできないのは残念だが、心から良かったと思っている」
そうだった。団長さんはいつだって、喜んでくれる人だ。わたしが使用人になると決めたときも、「良かったな」と言ってくれた。笑ってくれた。包みこむような大きな心をわたしは好きになったのだ。
「ありがとう」
団長さんの声がいつだって、後押ししてくれた。励ましてくれた。もしかしたら、ずっと前からわたしは団長さんのことが好きだったのかもしれない。簡単に認めたくはないけれど。