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槍とカチューシャ(51~100)

第89話『離したくない』

 遅れて部屋に入ってきたのはエイダだった。団長さんにどうにか追いついたようで、荒い息を落ち着かせようと胸に手をやっている。

 ばっちり目が合って、気まずい雰囲気が漂った。今さらながら、団長さんに抱き着いている自分の体勢に恥ずかしくなる。

 慌てて腕を離したものの、団長さんはわたしの腰を抱えたままだ。離せと手で押しやってもびくともしない。地下室の入り口を塞いでいた扉のように固いのだ。

「とりあえず、離してください」

「嫌だ」

「また、子どもみたいなことを言って」

「もう離したくない」

 地下室での感情を引きずっているせいか、団長さんの言葉を軽く流せる力がない。うつむいて何も言えなくなったわたしに、団長さんが笑ったような気配がする。それすらも嬉しいと感じるなんて、本当にどうかしている。何か言い返さないと負けそうだと思いながらもどうにもならない。

 そんなわたしたちに焦れたのか、「ねえ、ふたりとも、早く逃げようよ」と、エイダが正しいことを言った。

 それもそうだ。炎を前にしてアホなやりとりをしている場面ではない。

 団長さんも気づいたらしく、ようやく腕の力を緩めてくれた。このチャンスを活かして、わたしは腕を叩き落として距離をとる。不満そうな団長さんは置いておいて、わたしはエイダと話したかった。

「エイダ、逃げ遅れた人は?」

「大丈夫、いないよ。あとはマキだけ」

「でも、よくここがわかったね」

 エイダは少し言いにくそうにうつむいて、「うん」と呟いた。聞き取りにくい細い声で、「リーゼロッテ様から聞いたの」と告白してくれた。

「リーゼロッテ様が……」

 リーゼロッテ様の顔が浮かんだ。彼女にたずねたいことがある。火を放ったのはリーゼロッテ様なのか。旦那様とお嬢様は無事なのか。

「アイミ、話は後にしたほうがいい」

 団長さんの提案も最もだ。細かいことをたずねるには、この場所は安全ではない。とにかく炎から逃げなくてはならない。

 3人で腰を低くさせた。煙を吸わないように、エイダが刺繍をしてくれたハンカチを口に当てて、這うようにして通路を進んだ。

 屋敷の庭に出たとき、すでにガレーナは夜だった。ガレーナの村人と使用人たちが力を合わせて、バケツを受け渡している。そのなかにお嬢様の姿もあった。

 お嬢様が無事で安心した。しかも、村人や使用人と混じって木のバケツを運ぶ姿は彼女らしい。

 旦那様も無事だった。ガウンを羽織っただけの格好で、木に寄りかかっていた。こちらは脱力という感じで、ただ燃えていく屋敷を眺めている。

 旦那様のかたわらに立ち尽すのはリーゼロッテ様の姿だった。うつむいているためか、表情は暗くてわからない。わたしは無視することができなくて、「リーゼロッテ様」と声をかけた。彼女の青白い顔が上がる。

「後でお話があります」

 今はゆっくりと話している場合ではない。リーゼロッテ様の返事を待つ余裕もなかった。エイダもわたしも団長さんもバケツの受け渡しに参加した。

 ガレーナ全体での消火は夜通し行われた。でも、時はすでに遅く、屋敷が燃え尽きるまで、火は居座っていた。
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Clap