槍とカチューシャ(51~100)
第71話『見逃して』
吹っ飛ばしたつもりはなかったけれど、白いドレスの裾を揺らせながら、彼女は地面に尻餅をついた。肩にかかった金色の長い髪はよくすかれていて、糸よりも繊細で艶やかに見える。お尻を押さえて「うーん、痛い」とうなる彼女にわたしから手を差し伸べると、うつむいた顔が上げられた。
出会ったのは、透き通るほどの白い肌。透明過ぎて、こめかみの青い筋まで見つけられそうだ。おびえたような表情は何度かお会いしたことがあった。ただ、そのときは、ベッドから上体だけを起こした姿だった……はずだ。
「そ、それじゃ、わたしはこれで」
言って彼女は立ち去ろうとするけれど、このまま黙って見過ごすなんてできない。まさか、こんなところでお目にかかるとは思わなかった。嘘っぽい状況を目の前にして、「お嬢様!」とはじめに声を出したのはエイダだったか、わたしだったか。
「しっ、ダメ。大声は出さないで」
お嬢様――メルビナ・スウェイト様は人差し指を口元で止めた。お嬢様はいつもベッドで寝られていて、体調が優れないと聞いていた。だから、お付きの使用人以外、お姿を確かめる機会は少ない。お嬢様の姿を前にして本物だと実感した。
しかも、お屋敷が騒がしいのは、大方、お嬢様がいなくなったためかもしれないと思った。
「お願いだから、わたしを見逃して」
お嬢様は切実な願いを潤んだ瞳にのせて訴えかけてくる。まるでうっかり窃盗犯を見つけてしまい、「警察につき出さないでくれ」みたいな構図だ。
困りに困って、エイダとわたしはお互いの顔を見合わせる。どうしたらいいのかを目だけで話し合うけれど、まったく意見がまとまらない。まだ結論が出ないうちに、お嬢様の手がすがるようにわたしの腕に伸びた。
「お願い」
「お願いと言われましても」
わたしが言葉をにごしたら、「あなたたちには迷惑をかけないから」とお嬢様は首を横に振った。お願いは聞いてあげたい。だけど、おひとりで行かせるわけにはいかない。屋敷には屋敷のルールがあるのだから。
「お付きの人をつけたらどうですか?」
無難な提案だとは思うけれど、それが一番正しいはずだ。なのに、お嬢様の表情に陰が差したように見えた。気のせいだろうか。
「い、いいの。そんなに遠くへ行くつもりはないし。体力もないし。あの、もういいかしら、じゃないと」
「お嬢様!」遠くから聞こえてくる。
「ほら!」
お嬢様は叫んで走り出した。柔らかい素材の室内靴では走りにくいのか、少しバランスを崩しながら。どう言ってもお嬢様は止まってくれない。だとしたら、わたしたちにできるのはひとつくらい。
「エイダ、行ってくる。ここはお願い!」
「わかった! 後はわたしに任せて」
ふたりで持ち場を離れるわけにもいかず、エイダにはここに残ってもらうことにした。今にも転げてしまいそうなお嬢様の後を追った。
吹っ飛ばしたつもりはなかったけれど、白いドレスの裾を揺らせながら、彼女は地面に尻餅をついた。肩にかかった金色の長い髪はよくすかれていて、糸よりも繊細で艶やかに見える。お尻を押さえて「うーん、痛い」とうなる彼女にわたしから手を差し伸べると、うつむいた顔が上げられた。
出会ったのは、透き通るほどの白い肌。透明過ぎて、こめかみの青い筋まで見つけられそうだ。おびえたような表情は何度かお会いしたことがあった。ただ、そのときは、ベッドから上体だけを起こした姿だった……はずだ。
「そ、それじゃ、わたしはこれで」
言って彼女は立ち去ろうとするけれど、このまま黙って見過ごすなんてできない。まさか、こんなところでお目にかかるとは思わなかった。嘘っぽい状況を目の前にして、「お嬢様!」とはじめに声を出したのはエイダだったか、わたしだったか。
「しっ、ダメ。大声は出さないで」
お嬢様――メルビナ・スウェイト様は人差し指を口元で止めた。お嬢様はいつもベッドで寝られていて、体調が優れないと聞いていた。だから、お付きの使用人以外、お姿を確かめる機会は少ない。お嬢様の姿を前にして本物だと実感した。
しかも、お屋敷が騒がしいのは、大方、お嬢様がいなくなったためかもしれないと思った。
「お願いだから、わたしを見逃して」
お嬢様は切実な願いを潤んだ瞳にのせて訴えかけてくる。まるでうっかり窃盗犯を見つけてしまい、「警察につき出さないでくれ」みたいな構図だ。
困りに困って、エイダとわたしはお互いの顔を見合わせる。どうしたらいいのかを目だけで話し合うけれど、まったく意見がまとまらない。まだ結論が出ないうちに、お嬢様の手がすがるようにわたしの腕に伸びた。
「お願い」
「お願いと言われましても」
わたしが言葉をにごしたら、「あなたたちには迷惑をかけないから」とお嬢様は首を横に振った。お願いは聞いてあげたい。だけど、おひとりで行かせるわけにはいかない。屋敷には屋敷のルールがあるのだから。
「お付きの人をつけたらどうですか?」
無難な提案だとは思うけれど、それが一番正しいはずだ。なのに、お嬢様の表情に陰が差したように見えた。気のせいだろうか。
「い、いいの。そんなに遠くへ行くつもりはないし。体力もないし。あの、もういいかしら、じゃないと」
「お嬢様!」遠くから聞こえてくる。
「ほら!」
お嬢様は叫んで走り出した。柔らかい素材の室内靴では走りにくいのか、少しバランスを崩しながら。どう言ってもお嬢様は止まってくれない。だとしたら、わたしたちにできるのはひとつくらい。
「エイダ、行ってくる。ここはお願い!」
「わかった! 後はわたしに任せて」
ふたりで持ち場を離れるわけにもいかず、エイダにはここに残ってもらうことにした。今にも転げてしまいそうなお嬢様の後を追った。