槍とカチューシャ(51~100)
第59話『諦めない』
腕から解放してもらい、湖の脇にあった大きな岩に腰を落ち着けながら、わたしはゆっくりと言葉を選んで話を始めた。
「わたしは誰に対しても好きとか愛しているとか、そんなふうに思ったことがないんです。
元の世界でもずっとそうでした。恋人になるのもただ流れのままで、自分から告白したこともありません。そんな軽い関係だから、深い仲になる前に自然消滅でした。
それはたぶん、わたしに『愛美』と名付けた、顔も知らないあいつのせいです。
あいつは最悪なことにわたしの父親で。幼いわたしと母を捨てたろくでなしです。
母に『愛している』と吐きながら、仕事もすぐにやめ、挙げ句の果てには他の女と家を出ていったそうです。
それでも、母は父が戻ってくると思っていました。ずっと、死ぬまで本気で愛していました。
だけど結局、あいつが戻ってくることはありませんでした。
どうやっても今のわたしには、人の『好き』とか『愛している』とか信じられません。
ですから、団長さん、わたしはあなたを『好き』になれないんです」
嫌いではない。でも、人を好きにはなれない。もしここで団長さんの気持ちを受け入れたとしても、わたしはずっとその気持ちを疑ってしまうだろう。傷つけるだろう。こんなわたしが団長さんを不幸にしてはならない。だから、ごめんなさいと頭を下げた。
「アイミ」
「そう呼ばれるのもずっと嫌だったんです。母の姓である“マキ”って呼ばれたかったというのもあって」
「すまなかった」
「謝らないでください。団長さんは何も知らなかったんですから」
ここまで話せば、団長さんも納得してくれるかもしれない。別れるのも辛くならないように。それなのに、あたたかくて大きな手がわたしの手に重なった。
「俺はお前を妻にすることを諦めない」
団長さんはまっすぐにわたしの目を見つめてきた。綺麗な緑色の輝きに吸いこまれてしまいそうで、わたしは顔をうつむかせた。これ以上、見ていられなかった。
うつむいていたら、大きな手が優しい手つきでわたしの指を握ってきた。手首を掴むときは力の加減なんてないようなものなのに、こんな繊細に扱われるなんて。驚きつつ顔を上げると、予想したよりも穏やかな団長さんがいた。
「いつでも待つ」
「いつでもって」
「いつでも、だ」
そんなことを言っていたら、団長さんが白ひげのおじいちゃんになってしまうかもしれない。
「おじいちゃんになっちゃうかもしれませんよ?」
「そうしたら、お前がばあさんになるのを待つのもいいかもしれない。そのほうが年齢差や身分差なんてものは関係なくなるだろうしな」
にやっと笑う団長さんはなぜか嬉しそうだ。
「わたしはごめんです」
なんて言ってはみたものの、ふたりの姿が簡単に想像できてしまった。白ひげのおじいちゃんの隣におばあちゃんになったわたしが寄り添う姿。こんなことを考える自分が恥ずかしい。
「まあ、いい。長期戦になるのは覚悟の上だ。ここまで来るのに1年もかかったからな」
どう言葉を返しても敵いそうにない。わたしの話を聞いたら「面倒だ」と離れると思ったのに、まったく変わらない団長さんがそこにいる。
「気が変わったりは?」
ほら、団長さんだっていろんな出会いがあるだろうし、わたしより遥かに物怖じしない女性が現れるかもしれない。平凡な顔をした黒髪の異世界人を上回る女性は、探せばたくさんいるだろう。わたしのことを忘れてしまうかもしれない。
「変わるかもしれない」
「そーですか」
自分で聞いてみてあれだけれど、何だかその答えをもらってがっかりした。少しは抵抗をしてほしかったというか。
「待たずに今すぐにでも自分のものにしたいと思う」
「えっ?」
思わず驚いて声が出てしまった。
腕から解放してもらい、湖の脇にあった大きな岩に腰を落ち着けながら、わたしはゆっくりと言葉を選んで話を始めた。
「わたしは誰に対しても好きとか愛しているとか、そんなふうに思ったことがないんです。
元の世界でもずっとそうでした。恋人になるのもただ流れのままで、自分から告白したこともありません。そんな軽い関係だから、深い仲になる前に自然消滅でした。
それはたぶん、わたしに『愛美』と名付けた、顔も知らないあいつのせいです。
あいつは最悪なことにわたしの父親で。幼いわたしと母を捨てたろくでなしです。
母に『愛している』と吐きながら、仕事もすぐにやめ、挙げ句の果てには他の女と家を出ていったそうです。
それでも、母は父が戻ってくると思っていました。ずっと、死ぬまで本気で愛していました。
だけど結局、あいつが戻ってくることはありませんでした。
どうやっても今のわたしには、人の『好き』とか『愛している』とか信じられません。
ですから、団長さん、わたしはあなたを『好き』になれないんです」
嫌いではない。でも、人を好きにはなれない。もしここで団長さんの気持ちを受け入れたとしても、わたしはずっとその気持ちを疑ってしまうだろう。傷つけるだろう。こんなわたしが団長さんを不幸にしてはならない。だから、ごめんなさいと頭を下げた。
「アイミ」
「そう呼ばれるのもずっと嫌だったんです。母の姓である“マキ”って呼ばれたかったというのもあって」
「すまなかった」
「謝らないでください。団長さんは何も知らなかったんですから」
ここまで話せば、団長さんも納得してくれるかもしれない。別れるのも辛くならないように。それなのに、あたたかくて大きな手がわたしの手に重なった。
「俺はお前を妻にすることを諦めない」
団長さんはまっすぐにわたしの目を見つめてきた。綺麗な緑色の輝きに吸いこまれてしまいそうで、わたしは顔をうつむかせた。これ以上、見ていられなかった。
うつむいていたら、大きな手が優しい手つきでわたしの指を握ってきた。手首を掴むときは力の加減なんてないようなものなのに、こんな繊細に扱われるなんて。驚きつつ顔を上げると、予想したよりも穏やかな団長さんがいた。
「いつでも待つ」
「いつでもって」
「いつでも、だ」
そんなことを言っていたら、団長さんが白ひげのおじいちゃんになってしまうかもしれない。
「おじいちゃんになっちゃうかもしれませんよ?」
「そうしたら、お前がばあさんになるのを待つのもいいかもしれない。そのほうが年齢差や身分差なんてものは関係なくなるだろうしな」
にやっと笑う団長さんはなぜか嬉しそうだ。
「わたしはごめんです」
なんて言ってはみたものの、ふたりの姿が簡単に想像できてしまった。白ひげのおじいちゃんの隣におばあちゃんになったわたしが寄り添う姿。こんなことを考える自分が恥ずかしい。
「まあ、いい。長期戦になるのは覚悟の上だ。ここまで来るのに1年もかかったからな」
どう言葉を返しても敵いそうにない。わたしの話を聞いたら「面倒だ」と離れると思ったのに、まったく変わらない団長さんがそこにいる。
「気が変わったりは?」
ほら、団長さんだっていろんな出会いがあるだろうし、わたしより遥かに物怖じしない女性が現れるかもしれない。平凡な顔をした黒髪の異世界人を上回る女性は、探せばたくさんいるだろう。わたしのことを忘れてしまうかもしれない。
「変わるかもしれない」
「そーですか」
自分で聞いてみてあれだけれど、何だかその答えをもらってがっかりした。少しは抵抗をしてほしかったというか。
「待たずに今すぐにでも自分のものにしたいと思う」
「えっ?」
思わず驚いて声が出てしまった。