槍とカチューシャ(51~100)
第57話『離して』
森のなかは平坦な道のりではなかった。苔むした岩や茂み、トラップのような蜘蛛の巣などの障害物が多い。お城の生活に慣れているわたしにとって、岩を越えるだけでも一苦労である。
こんなのだったら、ジルさんと一緒に休んでおけば良かったなあと思う。体力を回復しておけば、道のりも楽だったかもしれない。だけど、途中で引き返すのもまた、疲れそうだ。それに負けたくない。
半分意地のようなもので岩を越えていると、大きい手が差し出された。掴めと言っているらしい。
「ありが、とう、ございます」
途切れ途切れにお礼を言って、わたしは団長さんの手を掴んだ。わたしの軽くない体重も軽々と引き上げてくれる。騎士団の訓練はこんなときにも役立つのかと感心する。お礼を言ったら「いや」とぶっきらぼうな返事が聞こえてきた。
表情をうかがおうとしたら、すぐに別方向に顔をそらされたので照れているのだろう。
――可愛いかも。大分年の離れた男の人に可愛さを感じるなんておかしい。どうかしている。でも、本当にそう感じたのだ。もし口に出して言ったら不機嫌にしてしまいそうで、とりあえず、この感情は流すことにした。
密集した木々の間を抜けていった先に、開けた場所があった。さらにその先には、鏡のように景色を写した湖がある。水面をカモの群れがすいすいと泳いでいる。湖の端には桟橋があり、その脇には繋がれた小船が浮かんでいた。ここは人の手が入っているらしい。
日差しがきらきらと湖の水面を輝かせる。
「綺麗」
「そうだろう」
湖に見とれていたら、隣から笑い声がもれるのを聞いた。
「何、笑ってるんです?」
「いや」
ますます笑いだす団長さんにわたしも胸の辺りがくすぐったくなってきて、笑ってしまった。
それから、わたしと団長さんは小船に乗ってちょっとしたデート気分を味わった。団長さんの手を借りて桟橋に降りると、わたしはお礼を言った。
「最初で最後のお出かけにしては本当に楽しかったです」
にやにやしていることを自覚しつつ、団長さんの瞳を見つめたら、なぜか切れ長の目が細められた。笑ったのが気にさわったのだろうか。だから、にらまれているのかもしれない。そう思って、笑うのをやめた。
「団長さん?」
「アイミ」
かすれた声が耳の鼓膜に響く。手首に団長さんの指がかかる。ぎゅっと強く握られて、強引に引き寄せられる。歩き続けてふらふらの足は踏ん張る力があるわけもなく、固い胸板に飛びこむかたちになる。
もう一度、「アイミ」と呼ばれる。団長さんの息が耳たぶにかかる。そのことに気づいたとき、わたしは団長さんの腕のなかにいた。
「団長さん、ちょっと、何してるんですか?」
もう言葉が通じないと勘違いしていたあの頃とは違う。団長さんがわたしの言葉を聞き取れることを知っている。「離して」というこの言葉も。
森のなかは平坦な道のりではなかった。苔むした岩や茂み、トラップのような蜘蛛の巣などの障害物が多い。お城の生活に慣れているわたしにとって、岩を越えるだけでも一苦労である。
こんなのだったら、ジルさんと一緒に休んでおけば良かったなあと思う。体力を回復しておけば、道のりも楽だったかもしれない。だけど、途中で引き返すのもまた、疲れそうだ。それに負けたくない。
半分意地のようなもので岩を越えていると、大きい手が差し出された。掴めと言っているらしい。
「ありが、とう、ございます」
途切れ途切れにお礼を言って、わたしは団長さんの手を掴んだ。わたしの軽くない体重も軽々と引き上げてくれる。騎士団の訓練はこんなときにも役立つのかと感心する。お礼を言ったら「いや」とぶっきらぼうな返事が聞こえてきた。
表情をうかがおうとしたら、すぐに別方向に顔をそらされたので照れているのだろう。
――可愛いかも。大分年の離れた男の人に可愛さを感じるなんておかしい。どうかしている。でも、本当にそう感じたのだ。もし口に出して言ったら不機嫌にしてしまいそうで、とりあえず、この感情は流すことにした。
密集した木々の間を抜けていった先に、開けた場所があった。さらにその先には、鏡のように景色を写した湖がある。水面をカモの群れがすいすいと泳いでいる。湖の端には桟橋があり、その脇には繋がれた小船が浮かんでいた。ここは人の手が入っているらしい。
日差しがきらきらと湖の水面を輝かせる。
「綺麗」
「そうだろう」
湖に見とれていたら、隣から笑い声がもれるのを聞いた。
「何、笑ってるんです?」
「いや」
ますます笑いだす団長さんにわたしも胸の辺りがくすぐったくなってきて、笑ってしまった。
それから、わたしと団長さんは小船に乗ってちょっとしたデート気分を味わった。団長さんの手を借りて桟橋に降りると、わたしはお礼を言った。
「最初で最後のお出かけにしては本当に楽しかったです」
にやにやしていることを自覚しつつ、団長さんの瞳を見つめたら、なぜか切れ長の目が細められた。笑ったのが気にさわったのだろうか。だから、にらまれているのかもしれない。そう思って、笑うのをやめた。
「団長さん?」
「アイミ」
かすれた声が耳の鼓膜に響く。手首に団長さんの指がかかる。ぎゅっと強く握られて、強引に引き寄せられる。歩き続けてふらふらの足は踏ん張る力があるわけもなく、固い胸板に飛びこむかたちになる。
もう一度、「アイミ」と呼ばれる。団長さんの息が耳たぶにかかる。そのことに気づいたとき、わたしは団長さんの腕のなかにいた。
「団長さん、ちょっと、何してるんですか?」
もう言葉が通じないと勘違いしていたあの頃とは違う。団長さんがわたしの言葉を聞き取れることを知っている。「離して」というこの言葉も。