槍とカチューシャ(51~100)
第55話『意地悪な人』
シャーレンブレンドの街並みが朝を迎える薄暗いうちに、わたしはジルさんの馬に同乗していた。ひとりで馬に乗ることができないわたしを、ジルさんが後ろから抱きこむようにして手綱を取っている。
草原を吹き抜ける風が上着のすそをすくいあげた。今日のわたしとジルさんはスカートをやめて、動きやすいズボンをはいている。制服しか持ち合わせがないからと、ジルさんが貸してくれたズボンと上着だ。これで少しは股を開いてしまっても構わない。
ジルさんの愛馬は真っ白。風になびく毛並みはやわらかで、手に触れるとくすぐったかった。団長さんの黒い馬が先導してくれる。大地に足を着ける団長さんよりも馬上でマントをはためかせる姿のほうが、輝きを増して見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。
そんな思いを断ち切るように首を横に振っていると、耳元でくすっと声が聞こえた。
「マキ様、もしかして、団長に見惚れていましたか?」
「まさか、見惚れるなんてありえません。あの団長さんですよ」
否定したのに、「そうでしょうか」とジルさんがまたおもしろそうに笑った。優しいはずのジルさんも、団長さんがからむと少し意地悪だ。馬に乗る前だって団長さんに何やら耳打ちして、にやにやしていた。逆に言われた団長さんは、顔を渋くさせて不機嫌になったみたいだ。ジルさんに何を話したのか聞いても教えてくれない。
「それではなぜ、耳まで真っ赤なのでしょう?」
「それは、寒いからではないですか。朝は冷えますからね」
できれば、直接、顔を見て否定したいところだけれど、体をひねって後ろを振り向くのは危険だ。仕方なく、白みがかった空にうっすら見える山に目線を向ける。
「それに、ジルさん、今日はお城のなかじゃないんだから、わたし相手に敬語はやめてくださいよ」
「しかし、本当によろしいのですか?」
全然構わない。そうしてほしい。力強くうなずくと「わかりました」と声が聞こえてきた。空気を吸いこんだようで、深く長い息が吐き出された。
「……マキさん、これでいいかしら?」
「はい。でも、不思議な感じがします」
わたしには年上の友達がいなかったし、先輩ともあまり交流がなかったから、ジルさんはおねえさんという感じがする。
「やはり、やめたほうがよろしいのでは?」
「いいえ、こっちのほうがいいです」
「あなたがそう言うならこのままにしておきます」
「また、敬語に戻ってますよ」
「あら、本当。やっぱり、体に染みこんでしまっているのかもしれないわね。そういうマキさんも敬語をやめていいわよ」
「えー、でも、年上ですし」
「お城のなかじゃないんでしょう? あなたもそうして」
そこまで言われてしまうと嫌ですとは答えられない。
「わかった、これでいい?」
「ええ」
女ふたりで話こんでいるうちに、団長さんの黒馬がスピードを落として白馬の隣についた。眉間にしわを寄せた不機嫌な顔が、わたしに向けられていた。
「何を話している?」
「別に大した話ではないですよ。ねえ、ジルさん」
「そうね。でも、マキさんとあんたの話もしていたのよ」
「俺の話?」
話の雲行きが怪しくなってきた。ジルさんはまた笑い混じりで語りはじめる。
「マキさんが馬上のあんたに見惚れていたって話よ」
あの団長さんだ。こんな話を耳にしたら、ジルさんと一緒になってわたしをからかうに違いない。
確かに多少は格好いいなと思ったけれど、見惚れてはいない。これだけは「違いますから」と強く否定しておく。
だけど、団長さんはジルさんの言葉を受けても、「そうか」と呟いただけだった。
――あれ? もっと、からかわれるかと思っただけに、拍子抜けだ。しかも、すぐに顔を正面に戻してしまう。
「ジル、俺は先に“あの場所”へ行っている」
「わかったわ」
ジルさんの返事を待たずに、団長さんは馬の速度を上げて颯爽と駆けていく。あっという間に遠ざかり、肉眼では確認できなくなってしまった。
「何なの、あれ?」
「ふふ、照れてるんじゃない?」
――そうなの? わたしには団長さんのことがまったく理解できない。むしろ、ジルさんのほうがよーくわかっているようだ。“あの場所”で通じたし。
やっぱり、幼なじみは強い。強すぎてわたしには敵わない。団長さんと知り合って1年くらいならこんなものだろう。そうは思ってもほんの少しだけ淋しかった。
シャーレンブレンドの街並みが朝を迎える薄暗いうちに、わたしはジルさんの馬に同乗していた。ひとりで馬に乗ることができないわたしを、ジルさんが後ろから抱きこむようにして手綱を取っている。
草原を吹き抜ける風が上着のすそをすくいあげた。今日のわたしとジルさんはスカートをやめて、動きやすいズボンをはいている。制服しか持ち合わせがないからと、ジルさんが貸してくれたズボンと上着だ。これで少しは股を開いてしまっても構わない。
ジルさんの愛馬は真っ白。風になびく毛並みはやわらかで、手に触れるとくすぐったかった。団長さんの黒い馬が先導してくれる。大地に足を着ける団長さんよりも馬上でマントをはためかせる姿のほうが、輝きを増して見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。
そんな思いを断ち切るように首を横に振っていると、耳元でくすっと声が聞こえた。
「マキ様、もしかして、団長に見惚れていましたか?」
「まさか、見惚れるなんてありえません。あの団長さんですよ」
否定したのに、「そうでしょうか」とジルさんがまたおもしろそうに笑った。優しいはずのジルさんも、団長さんがからむと少し意地悪だ。馬に乗る前だって団長さんに何やら耳打ちして、にやにやしていた。逆に言われた団長さんは、顔を渋くさせて不機嫌になったみたいだ。ジルさんに何を話したのか聞いても教えてくれない。
「それではなぜ、耳まで真っ赤なのでしょう?」
「それは、寒いからではないですか。朝は冷えますからね」
できれば、直接、顔を見て否定したいところだけれど、体をひねって後ろを振り向くのは危険だ。仕方なく、白みがかった空にうっすら見える山に目線を向ける。
「それに、ジルさん、今日はお城のなかじゃないんだから、わたし相手に敬語はやめてくださいよ」
「しかし、本当によろしいのですか?」
全然構わない。そうしてほしい。力強くうなずくと「わかりました」と声が聞こえてきた。空気を吸いこんだようで、深く長い息が吐き出された。
「……マキさん、これでいいかしら?」
「はい。でも、不思議な感じがします」
わたしには年上の友達がいなかったし、先輩ともあまり交流がなかったから、ジルさんはおねえさんという感じがする。
「やはり、やめたほうがよろしいのでは?」
「いいえ、こっちのほうがいいです」
「あなたがそう言うならこのままにしておきます」
「また、敬語に戻ってますよ」
「あら、本当。やっぱり、体に染みこんでしまっているのかもしれないわね。そういうマキさんも敬語をやめていいわよ」
「えー、でも、年上ですし」
「お城のなかじゃないんでしょう? あなたもそうして」
そこまで言われてしまうと嫌ですとは答えられない。
「わかった、これでいい?」
「ええ」
女ふたりで話こんでいるうちに、団長さんの黒馬がスピードを落として白馬の隣についた。眉間にしわを寄せた不機嫌な顔が、わたしに向けられていた。
「何を話している?」
「別に大した話ではないですよ。ねえ、ジルさん」
「そうね。でも、マキさんとあんたの話もしていたのよ」
「俺の話?」
話の雲行きが怪しくなってきた。ジルさんはまた笑い混じりで語りはじめる。
「マキさんが馬上のあんたに見惚れていたって話よ」
あの団長さんだ。こんな話を耳にしたら、ジルさんと一緒になってわたしをからかうに違いない。
確かに多少は格好いいなと思ったけれど、見惚れてはいない。これだけは「違いますから」と強く否定しておく。
だけど、団長さんはジルさんの言葉を受けても、「そうか」と呟いただけだった。
――あれ? もっと、からかわれるかと思っただけに、拍子抜けだ。しかも、すぐに顔を正面に戻してしまう。
「ジル、俺は先に“あの場所”へ行っている」
「わかったわ」
ジルさんの返事を待たずに、団長さんは馬の速度を上げて颯爽と駆けていく。あっという間に遠ざかり、肉眼では確認できなくなってしまった。
「何なの、あれ?」
「ふふ、照れてるんじゃない?」
――そうなの? わたしには団長さんのことがまったく理解できない。むしろ、ジルさんのほうがよーくわかっているようだ。“あの場所”で通じたし。
やっぱり、幼なじみは強い。強すぎてわたしには敵わない。団長さんと知り合って1年くらいならこんなものだろう。そうは思ってもほんの少しだけ淋しかった。