槍とカチューシャ(51~100)
第54話『分岐点』
お茶会がお開きとなり、団長さんは団長室へ、わたしはわたしひとりの部屋へと戻る。通路の分岐点に差しかかるまでは、ふたり並んで歩くのはいつものことだ。
「アイミ」
分岐点に来たところで、団長さんの硬い声がわたしの名を呼んだ。
「はい?」
名前で呼ばれるのは嫌だけれど、慣れもあって返事をしてしまう。団長さんが声を止めるから、わたしも仕方なく口を閉ざす。首を痛めない程度に軽く見上げれば、横から夕日が差してきて、団長さんの頬を赤く染めた。わたしの顔には団長さんの影が重なって暗くなる。
「……お前は帰りたいと思うか?」
「どこに」なんて聞く必要もない。団長さんはわたしに元の世界に帰りたいと思うかと聞いているのだ。
「どうですかね」
元の世界に未練はない。たまにコンビニのおでんのたまごとか、好きだったお店のメニューを食べたくはなるけれど、それも「帰りたい」と強く思う理由にはならない。懐かしい思い出だ。
こちらの世界には夏希やフィナ、団長さんもいるから、今や元の世界に帰るほうが未練が残る気がする。
「まあ、今さら帰っても困りそうですけどね。バイトもクビになっているでしょうし、住むところもないし。だったら、まだ食べるにも困らない、このまんまでいいかなあって気がします。ようやくやりたいことも見つかったし」
「見つかったのか?」
「はい。異世界人がなりたい職業ナンバーワンのメイドですけど」
「良かったな」
確かに良かったけれど、団長さんがわたしの両肩を掴む理由が見当たらない。でも、微笑まれたりしたら、全部どうでもよくなった。まさか、微笑んでもらえるなんて。しかも、「良かったな」と言ってもらうなんて考えていなかった。
団長さんのことだから、「残念だな、一緒に住もうと思ったのに」と茶化されると思っていた。だけど、彼は歯を出して屈託もなく笑う。何度も「良かったな」と言って、本当に喜んでくれているのだ。
「雇ってくれるところを見つけられたら、このお城を出ます」
そのためには紹介状を書いてもらわなくてはならないけれど、少しずつ城を出る準備をはじめていくつもりだ。
「そうか」
「淋しくなりますか?」
「当たり前だろう」
即答されて何だかくすぐったく感じた。その答えは本音なんだろう。本音には本音で返したい。
「わたしもですよ。きっと淋しくて何日かは泣いちゃうかもしれません。でも、また会えますよね」
「ああ」
その答えだけは嘘だと気づいた。わたしがお城を出れば、騎士団との繋がりもなくなる。まして団長さんと会うことなんてできなくなる。また会える。それがたとえ、嘘だとしても。
「団長さんを信じます」
自分が恥ずかしいことを言った自覚は後からやってきた。茶化されるか。そう身構えたけれど、団長さんはぽんっとわたしの頭を叩いただけで、他には何にも言わない。見上げて表情を確かめたいのに手のひらが頭を押さえつけてくる。
「団長さん、痛いです!」
「ああ、すまん」
おもしろがっているように笑い混じりに謝ってくる団長さんは、絶対に反省していない。何度か「痛いです」と訴えたら、ようやく頭の押さえつけを止めてくれた。
「もう行くぞ」
「それじゃ、また」
「ああ、またな」
団長さんはわたしに背中を見せて先に進んだ。きっと、団長室に戻ったら、アーヴィングさんから押しつけられた仕事を片づけるのだろう。この背中をあと何回見送れるだろうか。そんな柄にもないことを思ったりする自分にゾッとした。
お茶会がお開きとなり、団長さんは団長室へ、わたしはわたしひとりの部屋へと戻る。通路の分岐点に差しかかるまでは、ふたり並んで歩くのはいつものことだ。
「アイミ」
分岐点に来たところで、団長さんの硬い声がわたしの名を呼んだ。
「はい?」
名前で呼ばれるのは嫌だけれど、慣れもあって返事をしてしまう。団長さんが声を止めるから、わたしも仕方なく口を閉ざす。首を痛めない程度に軽く見上げれば、横から夕日が差してきて、団長さんの頬を赤く染めた。わたしの顔には団長さんの影が重なって暗くなる。
「……お前は帰りたいと思うか?」
「どこに」なんて聞く必要もない。団長さんはわたしに元の世界に帰りたいと思うかと聞いているのだ。
「どうですかね」
元の世界に未練はない。たまにコンビニのおでんのたまごとか、好きだったお店のメニューを食べたくはなるけれど、それも「帰りたい」と強く思う理由にはならない。懐かしい思い出だ。
こちらの世界には夏希やフィナ、団長さんもいるから、今や元の世界に帰るほうが未練が残る気がする。
「まあ、今さら帰っても困りそうですけどね。バイトもクビになっているでしょうし、住むところもないし。だったら、まだ食べるにも困らない、このまんまでいいかなあって気がします。ようやくやりたいことも見つかったし」
「見つかったのか?」
「はい。異世界人がなりたい職業ナンバーワンのメイドですけど」
「良かったな」
確かに良かったけれど、団長さんがわたしの両肩を掴む理由が見当たらない。でも、微笑まれたりしたら、全部どうでもよくなった。まさか、微笑んでもらえるなんて。しかも、「良かったな」と言ってもらうなんて考えていなかった。
団長さんのことだから、「残念だな、一緒に住もうと思ったのに」と茶化されると思っていた。だけど、彼は歯を出して屈託もなく笑う。何度も「良かったな」と言って、本当に喜んでくれているのだ。
「雇ってくれるところを見つけられたら、このお城を出ます」
そのためには紹介状を書いてもらわなくてはならないけれど、少しずつ城を出る準備をはじめていくつもりだ。
「そうか」
「淋しくなりますか?」
「当たり前だろう」
即答されて何だかくすぐったく感じた。その答えは本音なんだろう。本音には本音で返したい。
「わたしもですよ。きっと淋しくて何日かは泣いちゃうかもしれません。でも、また会えますよね」
「ああ」
その答えだけは嘘だと気づいた。わたしがお城を出れば、騎士団との繋がりもなくなる。まして団長さんと会うことなんてできなくなる。また会える。それがたとえ、嘘だとしても。
「団長さんを信じます」
自分が恥ずかしいことを言った自覚は後からやってきた。茶化されるか。そう身構えたけれど、団長さんはぽんっとわたしの頭を叩いただけで、他には何にも言わない。見上げて表情を確かめたいのに手のひらが頭を押さえつけてくる。
「団長さん、痛いです!」
「ああ、すまん」
おもしろがっているように笑い混じりに謝ってくる団長さんは、絶対に反省していない。何度か「痛いです」と訴えたら、ようやく頭の押さえつけを止めてくれた。
「もう行くぞ」
「それじゃ、また」
「ああ、またな」
団長さんはわたしに背中を見せて先に進んだ。きっと、団長室に戻ったら、アーヴィングさんから押しつけられた仕事を片づけるのだろう。この背中をあと何回見送れるだろうか。そんな柄にもないことを思ったりする自分にゾッとした。