槍とカチューシャ(51~100)
第51話『ジルの過去』
ジルさんは約束通り、夜になってから訪ねてきてくれた。せっかく来てもらったのに、わたしの部屋にはテーブルやおろか、ソファなんて気の利いたものがない。
本当にベッドとクローゼット、文机くらいしかないのだ。ひとりで過ごすにはいいけれど、人を招くには不十分かもしれない。そのため、ジルさんには向かいのベッドに座ってもらうことにした。
ティーセットがなくてお茶も出せないことを謝ると、ジルさんは「おかまいなく」と大人の対応をとる。「おかまいなく」の言葉通りにはいかず、わたしは貰い物のお菓子を差し出した。
これは今日もらったばかりのひとくちケーキで、口にいれるととろけてチーズの風味がする。ジルさんは一口つまむと、「おいしいです」と感想をくれた。
「わざわざ来てもらってすみません」
「いいえ。わたしもマキ様とお話がしたいと思っておりました」
そんな嬉しい言葉も大人としての発言だろう。社交辞令と受け取ってわたしはまたお礼を言った。
ジルさんがわたしの部屋にいるという違和感に慣れるのは難しいけれど、時間を無駄にはできない。「あの早速なんですけど」と前置きをした。
「どうぞ」
そうジルさんに優しく促され、わたしは質問をぶつけることにした。
「メイド――使用人という仕事について聞きたいんです」
「具体的にどのようなことをお聞きになりたいですか?」
「あの、どう言ったらいいか。これまであんまりやりたいことがなくて、元の世界でもその日その日を生きていくのが精一杯でした。こんなわたしでも使用人になれるでしょうか?」
漠然とした質問かなと思い直す。訂正しようとしたら、ジルさんは「そうですわね」と相づちを打った。
「正直に申しますと、わたしにはわかりかねます」
「そうですよね」本当にバカな質問をしたと思う。
「ですが、わたしも根っからの使用人というわけではありません。元は貴族の生まれで、幼なじみとの婚約も決まっていたのです。しかし、家は没落し、婚約も破棄されました。そのため、食うに困って、下働きから働きはじめたのです。マキ様の言葉をお借りするなら、わたしもその日その日を生きていくのが精一杯でした。ですから、マキ様もやりたいと思えばできると思います」
まさか、ジルさんも苦労を抱えてこれまでの地位を築いたなんて知らなかった。わたしなんてまだまだ恵まれているほうだと思う。こうして、何がやりたいかと考える暇も与えてもらっているのだから。
「すみません。ジルさんにそんなこと聞いて、どんな答えを待っていたのか。自分が自分で恥ずかしいです」
「いいえ。わたしで良ければ甘えてください」
「でも……」
「お気になさらず。何かあれば頼ってください。誰かに頼られることがわたしの生き甲斐でもありますから。しいていえば、誰かに尽くすことをしあわせに思える人が、使用人に向いているのかもしれませんね」
そう言ってもらうと、嬉しい。わたしも誰かの世話をすることが生き甲斐として感じられる気がするし、少しは向いていると思っていいのかもしれない。自信がわいた。
緊張が解けてきて思うのは、ジルさんは素晴らしい人だということだ。
「ジルさんみたいな素敵な人との婚約を破棄した幼なじみは大バカですね」
「ふふふ」
ジルさんは笑った。
「どうして笑うんですか?」
「その大バカな男こそ、あなたもご存知……フェブルア騎士団団長ですよ」
フェブルアといえば、ジェラール・フェブルア騎士団団長しか思いつかない。ということは、ジルさんと団長さんは幼なじみであり、元婚約者。つまり、繋がりは深く旧知の仲ということだ。
「マキ様、婚約者といいましてもわたしとジェラールはお互いを異性として意識したことはないのです。わたしとすれば、あの図体のでかいだけの男は願い下げでした。あら、口が過ぎましたね」
そうは言ってもジルさんは悪びれた様子もなく微笑んでいた。
ジルさんは約束通り、夜になってから訪ねてきてくれた。せっかく来てもらったのに、わたしの部屋にはテーブルやおろか、ソファなんて気の利いたものがない。
本当にベッドとクローゼット、文机くらいしかないのだ。ひとりで過ごすにはいいけれど、人を招くには不十分かもしれない。そのため、ジルさんには向かいのベッドに座ってもらうことにした。
ティーセットがなくてお茶も出せないことを謝ると、ジルさんは「おかまいなく」と大人の対応をとる。「おかまいなく」の言葉通りにはいかず、わたしは貰い物のお菓子を差し出した。
これは今日もらったばかりのひとくちケーキで、口にいれるととろけてチーズの風味がする。ジルさんは一口つまむと、「おいしいです」と感想をくれた。
「わざわざ来てもらってすみません」
「いいえ。わたしもマキ様とお話がしたいと思っておりました」
そんな嬉しい言葉も大人としての発言だろう。社交辞令と受け取ってわたしはまたお礼を言った。
ジルさんがわたしの部屋にいるという違和感に慣れるのは難しいけれど、時間を無駄にはできない。「あの早速なんですけど」と前置きをした。
「どうぞ」
そうジルさんに優しく促され、わたしは質問をぶつけることにした。
「メイド――使用人という仕事について聞きたいんです」
「具体的にどのようなことをお聞きになりたいですか?」
「あの、どう言ったらいいか。これまであんまりやりたいことがなくて、元の世界でもその日その日を生きていくのが精一杯でした。こんなわたしでも使用人になれるでしょうか?」
漠然とした質問かなと思い直す。訂正しようとしたら、ジルさんは「そうですわね」と相づちを打った。
「正直に申しますと、わたしにはわかりかねます」
「そうですよね」本当にバカな質問をしたと思う。
「ですが、わたしも根っからの使用人というわけではありません。元は貴族の生まれで、幼なじみとの婚約も決まっていたのです。しかし、家は没落し、婚約も破棄されました。そのため、食うに困って、下働きから働きはじめたのです。マキ様の言葉をお借りするなら、わたしもその日その日を生きていくのが精一杯でした。ですから、マキ様もやりたいと思えばできると思います」
まさか、ジルさんも苦労を抱えてこれまでの地位を築いたなんて知らなかった。わたしなんてまだまだ恵まれているほうだと思う。こうして、何がやりたいかと考える暇も与えてもらっているのだから。
「すみません。ジルさんにそんなこと聞いて、どんな答えを待っていたのか。自分が自分で恥ずかしいです」
「いいえ。わたしで良ければ甘えてください」
「でも……」
「お気になさらず。何かあれば頼ってください。誰かに頼られることがわたしの生き甲斐でもありますから。しいていえば、誰かに尽くすことをしあわせに思える人が、使用人に向いているのかもしれませんね」
そう言ってもらうと、嬉しい。わたしも誰かの世話をすることが生き甲斐として感じられる気がするし、少しは向いていると思っていいのかもしれない。自信がわいた。
緊張が解けてきて思うのは、ジルさんは素晴らしい人だということだ。
「ジルさんみたいな素敵な人との婚約を破棄した幼なじみは大バカですね」
「ふふふ」
ジルさんは笑った。
「どうして笑うんですか?」
「その大バカな男こそ、あなたもご存知……フェブルア騎士団団長ですよ」
フェブルアといえば、ジェラール・フェブルア騎士団団長しか思いつかない。ということは、ジルさんと団長さんは幼なじみであり、元婚約者。つまり、繋がりは深く旧知の仲ということだ。
「マキ様、婚約者といいましてもわたしとジェラールはお互いを異性として意識したことはないのです。わたしとすれば、あの図体のでかいだけの男は願い下げでした。あら、口が過ぎましたね」
そうは言ってもジルさんは悪びれた様子もなく微笑んでいた。