槍とカチューシャ(1~50)
第32話『はじめての場所』
どうにかリータの視線から逃れてたどり着いた場所は、中庭近くにある一角だった。この辺りは用がなく、めったに近づく機会はない。だから、足を止めた扉の先がどんな場所なのか、まったく検討がつかなかった。
「さあ、どうぞ」
アーヴィングさんに促されるまま部屋の中に入ってみると、目の前に大きな窓があった。窓は暗い夜空を表していた。燭台の明かりで淡い赤色に染まったシーツとベッド。ベッドとベッドの間には仕切りがされている。つまりこの部屋は医務室のようなものなのだろう。医務室だと気づいて、不安な気分に陥った。
「アーヴィングさん、あの、どうしてここに?」
「怪我をしたんだ、ナツが」
「ナツ」とは夏希。「怪我」は怪我でしかない。
「夏希くんが怪我! えっ! それで、大丈夫なんですか?」
慌てて日本語でアーヴィングさんに詰め寄ると、困ったというように苦笑されてしまった。
「す、すみません」
そうだ。アーヴィングさんが日本語を理解できるわけない。しかも、シャツにシワができてしまうほど強く握ってしまったし、恥ずかしくてたまらない。優しく微笑まれて「大丈夫だよ」と言われた気がする。
「夏希くんは、どこ、ですか?」
「こっちへ」
アーヴィングさんの案内で部屋の奥へと進む。いくつかの仕切りを越えて、ベッドに横たわる夏希を見つけた。久しぶりの夏希は髪の毛がぼさぼさで、布団から顔だけ出していた。目を丸くして驚く姿は幼い。
「マキさん、なぜここに?」
夏希の青い瞳と日本語の発音が懐かしい。
「あんたこそ、何で怪我なんかしたの?」
「面目ありません」
「騎士団は体を鍛えてるんでしょ?」
「はい、すみません」
「ちゃんと、訓練しなきゃ」
「おっしゃる通りです」
「心配したんだから。後でフィナも連れてくるし」
「えっ?」
明らかに声のテンションが上がった。まったく、どれだけフィナが好きなのだと思う。
「だから、怪我を早く治しなさいよ」
「はい!」
嬉しそうに返事をされてしまうと苦笑がこぼれた。その後、夏希から聞いた話では任務中に足を怪我したらしい。完治するには2週間ほどかかるそうだ。
「それにしても副団長がマキさんをこんな夜に迎えに行ったなんて知れたらまずいですね。あの方がどう思われるか」
「あの方?」
「団長です」
忘れた頃にまた「団長」だ。
「ああ、団長さんってまだいたの? 最近は音沙汰ないからくたばったかと思った」
「そんな、団長は……」
「もうあの人のことはいいから」
考えたくもない。わたしにはまったく関係のない人だ。
「マキさん、団長は……」
「いいって言ってるでしょ」
「よくありません!」
必死な夏希の声がわたしの心に直接届いてくる。聞きたくないと頑なに思っていたのに、真剣な瞳を前にしたら「聞かなくては」と思った。
「団長は新たな任務でシャーレンブレンドを離れました。任務は終わるまで極秘で家族にもその日時や内容は知らされません。ですから、知らせたくても知らせることはできないのです」
つまり、団長さんは贈り物に飽きたわけでもなく、ただ仕事で贈ることができなかった。それをわたしは勘違いして、くたばったとかひどいことを言ってしまった。シャーレンブレンドを守るために仕事をしているのに。
「団長さんは無事なの?」
「ええ、もちろん。敵を完膚なまでになぎ倒していることでしょう」
「そ、良かった」
団長さんの腕っぷしの強さはこの眼で確認している。きっと、大丈夫だろう。わたしが心から口に出した言葉を聞いたはずの夏希はニヤニヤしていた。副団長のアーヴィングさんに何やら目配せをしたようにも見えて、変だった。
「何?」
「いえ」
男ふたりが見つめ合って、にやついているという不穏な状態に、わたしは釈然としないながらも深くは追及しなかった。聞いたとしてもあまり良い話ではないだろう。
どうにかリータの視線から逃れてたどり着いた場所は、中庭近くにある一角だった。この辺りは用がなく、めったに近づく機会はない。だから、足を止めた扉の先がどんな場所なのか、まったく検討がつかなかった。
「さあ、どうぞ」
アーヴィングさんに促されるまま部屋の中に入ってみると、目の前に大きな窓があった。窓は暗い夜空を表していた。燭台の明かりで淡い赤色に染まったシーツとベッド。ベッドとベッドの間には仕切りがされている。つまりこの部屋は医務室のようなものなのだろう。医務室だと気づいて、不安な気分に陥った。
「アーヴィングさん、あの、どうしてここに?」
「怪我をしたんだ、ナツが」
「ナツ」とは夏希。「怪我」は怪我でしかない。
「夏希くんが怪我! えっ! それで、大丈夫なんですか?」
慌てて日本語でアーヴィングさんに詰め寄ると、困ったというように苦笑されてしまった。
「す、すみません」
そうだ。アーヴィングさんが日本語を理解できるわけない。しかも、シャツにシワができてしまうほど強く握ってしまったし、恥ずかしくてたまらない。優しく微笑まれて「大丈夫だよ」と言われた気がする。
「夏希くんは、どこ、ですか?」
「こっちへ」
アーヴィングさんの案内で部屋の奥へと進む。いくつかの仕切りを越えて、ベッドに横たわる夏希を見つけた。久しぶりの夏希は髪の毛がぼさぼさで、布団から顔だけ出していた。目を丸くして驚く姿は幼い。
「マキさん、なぜここに?」
夏希の青い瞳と日本語の発音が懐かしい。
「あんたこそ、何で怪我なんかしたの?」
「面目ありません」
「騎士団は体を鍛えてるんでしょ?」
「はい、すみません」
「ちゃんと、訓練しなきゃ」
「おっしゃる通りです」
「心配したんだから。後でフィナも連れてくるし」
「えっ?」
明らかに声のテンションが上がった。まったく、どれだけフィナが好きなのだと思う。
「だから、怪我を早く治しなさいよ」
「はい!」
嬉しそうに返事をされてしまうと苦笑がこぼれた。その後、夏希から聞いた話では任務中に足を怪我したらしい。完治するには2週間ほどかかるそうだ。
「それにしても副団長がマキさんをこんな夜に迎えに行ったなんて知れたらまずいですね。あの方がどう思われるか」
「あの方?」
「団長です」
忘れた頃にまた「団長」だ。
「ああ、団長さんってまだいたの? 最近は音沙汰ないからくたばったかと思った」
「そんな、団長は……」
「もうあの人のことはいいから」
考えたくもない。わたしにはまったく関係のない人だ。
「マキさん、団長は……」
「いいって言ってるでしょ」
「よくありません!」
必死な夏希の声がわたしの心に直接届いてくる。聞きたくないと頑なに思っていたのに、真剣な瞳を前にしたら「聞かなくては」と思った。
「団長は新たな任務でシャーレンブレンドを離れました。任務は終わるまで極秘で家族にもその日時や内容は知らされません。ですから、知らせたくても知らせることはできないのです」
つまり、団長さんは贈り物に飽きたわけでもなく、ただ仕事で贈ることができなかった。それをわたしは勘違いして、くたばったとかひどいことを言ってしまった。シャーレンブレンドを守るために仕事をしているのに。
「団長さんは無事なの?」
「ええ、もちろん。敵を完膚なまでになぎ倒していることでしょう」
「そ、良かった」
団長さんの腕っぷしの強さはこの眼で確認している。きっと、大丈夫だろう。わたしが心から口に出した言葉を聞いたはずの夏希はニヤニヤしていた。副団長のアーヴィングさんに何やら目配せをしたようにも見えて、変だった。
「何?」
「いえ」
男ふたりが見つめ合って、にやついているという不穏な状態に、わたしは釈然としないながらも深くは追及しなかった。聞いたとしてもあまり良い話ではないだろう。