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槍とカチューシャ(1~50)

第29話『夏希の話』

「元の世界の僕は何の取り柄もなくて、親の言う通りに生きているような人間でした。そうしていれば、考えないで済むから楽な方を選んでいたんです。
でも、この世界にやってきて、そんな人生は一変しました。
この世界に来て、いきなり、群れをなした狼に似た獣に襲われたのです。獣に囲まれて逃げ場はない。もう、死ぬと思いました。
そんなところを助けてくれたのが、討伐に出ていた騎士団の人たちでした。中でも団長はすごすぎました。戦う前に威圧感だけで獣をひるませたのです。獣はしっぽをまいて逃げていきました。
すべてが終わり、馬上に戻った団長から見下ろされたとき、僕の心にはじめて憧れが芽生えたのです。――この方のようになりたい、と。
それからは城に保護されて3年間、必死に言葉を学び、騎士団に入る選択をしました」

 騎士団にたどり着くまで、ずいぶんと長い話だった。でも、騎士団は異世界人の出現する場所によく現れるなあと感じた。

「騎士団って異世界人とよく出会うんだね?」

「それには理由があって――あ、フィナちゃん」

「フィナちゃん?」

 夏希の視線をたどって後ろを振り向いてみたら、ちょっと不安そうなフィナが立っていた。夏希は思い切りベンチから立ち上がり、フィナを求めて近寄る。ああ、なるほど。ふらふらと歩いていたというのはあながち嘘じゃなかった。まあ、目的があったのだ。フィナを探して。

「ふーん、フィナ“ちゃん”ね」

 わたしには「マキさん」なんて呼んでるくせに。夏希はフィナに一生懸命、言葉を伝えようとするけれど、なぜかどもりまくっている。さっきまで話していたわたしなんてすでに眼中にない。

 確かに、フィナはひかえめで可憐な子だ。わたしが男なら間違いなく選んでいる。なるほど、夏希はフィナのことがそうなのか。ニヤニヤしていたら。

「マキ!」

 なぜか、フィナは夏希から逃げて、わたしの頭を抱き締めた。やけにやわらかいものが頬に押しつけられる。夏希の方を見ると、何とも切なそうな顔をしていた。

「夏希くん。フィナはこんな感じで人見知りなところがあるから、近づくならちょっとずつにしたほうがいいよ」

 偉そうに助言してあげる。

「そ、うですか」

 何とも夏希は落ちこんでいるようで、わたしと視線を合わさない。まあ、少しずつ仲良くなればいいんじゃないか。まだ、時間は長くあるし。夏希はフィナとの接触を諦めたようで、とぼとぼと中庭を出ていった。

 そんなことがあった翌日、夏希が新たな任務でしばらく城を離れることになったと、新しい団長さんの届け物係が教えてくれた。それなら、フィナとの仲を取り持ってあげたらよかったとちょっとだけ後悔した。
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Clap