このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

槍とカチューシャ(101~end)

第116話『母のこと』

 それから、ジェラールさんを部屋のなかに呼び戻して、おばあさまの時代の話を聞いた。終戦後の日本のこと。亡くされたお父様のこと。この世界に来て、ずっと後悔を引きずってきたこと。

「母の死に目に会えなかったのが一番辛かったわ。いつ亡くなったかも知らずに、お墓にも行けずに、遠くから祈ることしかできなかった」

 思えば、わたしもおばあさまと同じだった。準備もなく、突然、消えてしまった。アパートにあった母のお骨がどうなったのかわからない。お墓にもちゃんと入れてあげられなかった。最後までちゃんと親孝行ができなかった。そんな後悔が次々と襲ってくる。

「アイミ」

 ジェラールさんの大きめな声がわたしを現実に戻した。頬に触れると冷たい。1度だって、元の世界のことを想って涙なんか出なかった。それなのに、頬を伝っていくのは涙だ。涙を止めたいのに、せっかくのドレスを濡らしてしまう。

「マキさん、わたしのせいね。あんな話をしたから」

「いえ」

 おばあさまのせいではない。わたしのせいだ。今さらになって涙があふれてくるのは、きっと、考えないようにしていたからだ。元の世界に残してきた母のことを。

「母を思い出してしまって……」

「お辛いでしょう?」

 おばあさまのおだやかな声とわたしの手を握るジェラールさんのあたたかな感触が、また涙を誘う気がする。

 首を横に振るのが精一杯で、言葉にもならない。子どものように泣きじゃくるなんて、久々だった。だけど、どうしても止められない。一度あふれだしたら、流れるしかない。

「アイミ」

 ジェラールさんの腕がわたしを抱き締めてくれる。おばあさまを前にしている恥ずかしさより、守るように囲ってくれるたくましい腕にすがりたいと思った。だから、自分からジェラールさんの背中に腕を回した。

 泣きまくったわたしはそれから話をできる状態に戻らず、ついに客室のベッドを借りて眠ってしまった。コルセットはおばあさまによって取り外され、ドレスから夜着に着替えたところまでは覚えている。

 起きたときにはすでに暗闇が支配していて、ぼんやりとした目をこすった。闇のなかにうっすらとりんかくが浮かび上がっていく。いつもは見上げなければならない顔が、わたしと同じ高さにある。それはジェラールさんの顔だった。

「ジェラールさん?」

 わたしが枕がわりにしていたのは太い腕だった。つまりはジェラールさんはわたしの横に眠っていて、今まで添い寝をしていたということだ。そばにいてくれた。安心しながらも気恥ずかしく感じながら、わたしはジェラールさんの髪の毛に触れようと手を伸ばす。

 でも、触れる前に「アイミ」とかすれた声がわたしを呼んだ。

「起こしちゃいました?」

 悪いことをしたかなと思って手を引っこめようとしたところで、体を引き寄せられる。隙間なく体をくっつけられて、それがあまりにもあたたかくて抵抗するのをやめた。わたしはジェラールさんの肩に額を当てた。自分から「ごめんなさい」と謝る。

「なぜ、謝る?」

「せっかく、おばあさまとお会いできたのに、途中で泣いてしまって」

 恥ずかしかった。情けない姿をジェラールさんのおばあさまにまでさらしてしまった。だから、謝りたかった。

「謝ることはない」

「いえ、おばあさまにも謝らないとダメです」

 ジェラールさんはいいんだと否定する。

「おばあさまはアイミの気持ちをわかっている。むしろ、おばあさまのほうがお前に謝りたいと言っていた」

「そんな!」

「だろう。俺とすれば、どちらも謝る必要はないと思う」

 ジェラールさんに言われてしまうと、謝らなくてもいいのかと、すんなり受け入れてしまう。

「じゃあ、謝りません」

「そうしろ」

「あとジェラールさん、制服を汚してごめんなさい」

 今のジェラールさんは上着のないシャツの状態だ。きっと、わたしのお化粧が溶けて、ジェラールさんの制服を汚した気がする。

「そんなことはどうでもいい。あれは帰ったときに使用人が何とかしてくれる。それより、アイミ」

「はい」

「お前はどうだ? もう泣いたりしないか? お前が泣くとこちらも辛くなる」

 いたわるように大きな手のひらがわたしの背中を撫でてくれる。薄い生地の上を滑る手がくすぐったい。

「泣きませんよ、今日はめいいっぱい泣きましたし」

 泣けたらこんなに体が軽くなるのだ。

「もう大丈夫です」

 安心させたくてわたしが笑うと、ジェラールさんも笑ってくれる。ただそれだけでも嬉しかったけれど、わたしは涙の理由をジェラールさんにだけにはちゃんと伝えたかった。
16/22ページ
Clap