槍とカチューシャ(101~end)
第116話『母のこと』
それから、ジェラールさんを部屋のなかに呼び戻して、おばあさまの時代の話を聞いた。終戦後の日本のこと。亡くされたお父様のこと。この世界に来て、ずっと後悔を引きずってきたこと。
「母の死に目に会えなかったのが一番辛かったわ。いつ亡くなったかも知らずに、お墓にも行けずに、遠くから祈ることしかできなかった」
思えば、わたしもおばあさまと同じだった。準備もなく、突然、消えてしまった。アパートにあった母のお骨がどうなったのかわからない。お墓にもちゃんと入れてあげられなかった。最後までちゃんと親孝行ができなかった。そんな後悔が次々と襲ってくる。
「アイミ」
ジェラールさんの大きめな声がわたしを現実に戻した。頬に触れると冷たい。1度だって、元の世界のことを想って涙なんか出なかった。それなのに、頬を伝っていくのは涙だ。涙を止めたいのに、せっかくのドレスを濡らしてしまう。
「マキさん、わたしのせいね。あんな話をしたから」
「いえ」
おばあさまのせいではない。わたしのせいだ。今さらになって涙があふれてくるのは、きっと、考えないようにしていたからだ。元の世界に残してきた母のことを。
「母を思い出してしまって……」
「お辛いでしょう?」
おばあさまのおだやかな声とわたしの手を握るジェラールさんのあたたかな感触が、また涙を誘う気がする。
首を横に振るのが精一杯で、言葉にもならない。子どものように泣きじゃくるなんて、久々だった。だけど、どうしても止められない。一度あふれだしたら、流れるしかない。
「アイミ」
ジェラールさんの腕がわたしを抱き締めてくれる。おばあさまを前にしている恥ずかしさより、守るように囲ってくれるたくましい腕にすがりたいと思った。だから、自分からジェラールさんの背中に腕を回した。
泣きまくったわたしはそれから話をできる状態に戻らず、ついに客室のベッドを借りて眠ってしまった。コルセットはおばあさまによって取り外され、ドレスから夜着に着替えたところまでは覚えている。
起きたときにはすでに暗闇が支配していて、ぼんやりとした目をこすった。闇のなかにうっすらとりんかくが浮かび上がっていく。いつもは見上げなければならない顔が、わたしと同じ高さにある。それはジェラールさんの顔だった。
「ジェラールさん?」
わたしが枕がわりにしていたのは太い腕だった。つまりはジェラールさんはわたしの横に眠っていて、今まで添い寝をしていたということだ。そばにいてくれた。安心しながらも気恥ずかしく感じながら、わたしはジェラールさんの髪の毛に触れようと手を伸ばす。
でも、触れる前に「アイミ」とかすれた声がわたしを呼んだ。
「起こしちゃいました?」
悪いことをしたかなと思って手を引っこめようとしたところで、体を引き寄せられる。隙間なく体をくっつけられて、それがあまりにもあたたかくて抵抗するのをやめた。わたしはジェラールさんの肩に額を当てた。自分から「ごめんなさい」と謝る。
「なぜ、謝る?」
「せっかく、おばあさまとお会いできたのに、途中で泣いてしまって」
恥ずかしかった。情けない姿をジェラールさんのおばあさまにまでさらしてしまった。だから、謝りたかった。
「謝ることはない」
「いえ、おばあさまにも謝らないとダメです」
ジェラールさんはいいんだと否定する。
「おばあさまはアイミの気持ちをわかっている。むしろ、おばあさまのほうがお前に謝りたいと言っていた」
「そんな!」
「だろう。俺とすれば、どちらも謝る必要はないと思う」
ジェラールさんに言われてしまうと、謝らなくてもいいのかと、すんなり受け入れてしまう。
「じゃあ、謝りません」
「そうしろ」
「あとジェラールさん、制服を汚してごめんなさい」
今のジェラールさんは上着のないシャツの状態だ。きっと、わたしのお化粧が溶けて、ジェラールさんの制服を汚した気がする。
「そんなことはどうでもいい。あれは帰ったときに使用人が何とかしてくれる。それより、アイミ」
「はい」
「お前はどうだ? もう泣いたりしないか? お前が泣くとこちらも辛くなる」
いたわるように大きな手のひらがわたしの背中を撫でてくれる。薄い生地の上を滑る手がくすぐったい。
「泣きませんよ、今日はめいいっぱい泣きましたし」
泣けたらこんなに体が軽くなるのだ。
「もう大丈夫です」
安心させたくてわたしが笑うと、ジェラールさんも笑ってくれる。ただそれだけでも嬉しかったけれど、わたしは涙の理由をジェラールさんにだけにはちゃんと伝えたかった。
それから、ジェラールさんを部屋のなかに呼び戻して、おばあさまの時代の話を聞いた。終戦後の日本のこと。亡くされたお父様のこと。この世界に来て、ずっと後悔を引きずってきたこと。
「母の死に目に会えなかったのが一番辛かったわ。いつ亡くなったかも知らずに、お墓にも行けずに、遠くから祈ることしかできなかった」
思えば、わたしもおばあさまと同じだった。準備もなく、突然、消えてしまった。アパートにあった母のお骨がどうなったのかわからない。お墓にもちゃんと入れてあげられなかった。最後までちゃんと親孝行ができなかった。そんな後悔が次々と襲ってくる。
「アイミ」
ジェラールさんの大きめな声がわたしを現実に戻した。頬に触れると冷たい。1度だって、元の世界のことを想って涙なんか出なかった。それなのに、頬を伝っていくのは涙だ。涙を止めたいのに、せっかくのドレスを濡らしてしまう。
「マキさん、わたしのせいね。あんな話をしたから」
「いえ」
おばあさまのせいではない。わたしのせいだ。今さらになって涙があふれてくるのは、きっと、考えないようにしていたからだ。元の世界に残してきた母のことを。
「母を思い出してしまって……」
「お辛いでしょう?」
おばあさまのおだやかな声とわたしの手を握るジェラールさんのあたたかな感触が、また涙を誘う気がする。
首を横に振るのが精一杯で、言葉にもならない。子どものように泣きじゃくるなんて、久々だった。だけど、どうしても止められない。一度あふれだしたら、流れるしかない。
「アイミ」
ジェラールさんの腕がわたしを抱き締めてくれる。おばあさまを前にしている恥ずかしさより、守るように囲ってくれるたくましい腕にすがりたいと思った。だから、自分からジェラールさんの背中に腕を回した。
泣きまくったわたしはそれから話をできる状態に戻らず、ついに客室のベッドを借りて眠ってしまった。コルセットはおばあさまによって取り外され、ドレスから夜着に着替えたところまでは覚えている。
起きたときにはすでに暗闇が支配していて、ぼんやりとした目をこすった。闇のなかにうっすらとりんかくが浮かび上がっていく。いつもは見上げなければならない顔が、わたしと同じ高さにある。それはジェラールさんの顔だった。
「ジェラールさん?」
わたしが枕がわりにしていたのは太い腕だった。つまりはジェラールさんはわたしの横に眠っていて、今まで添い寝をしていたということだ。そばにいてくれた。安心しながらも気恥ずかしく感じながら、わたしはジェラールさんの髪の毛に触れようと手を伸ばす。
でも、触れる前に「アイミ」とかすれた声がわたしを呼んだ。
「起こしちゃいました?」
悪いことをしたかなと思って手を引っこめようとしたところで、体を引き寄せられる。隙間なく体をくっつけられて、それがあまりにもあたたかくて抵抗するのをやめた。わたしはジェラールさんの肩に額を当てた。自分から「ごめんなさい」と謝る。
「なぜ、謝る?」
「せっかく、おばあさまとお会いできたのに、途中で泣いてしまって」
恥ずかしかった。情けない姿をジェラールさんのおばあさまにまでさらしてしまった。だから、謝りたかった。
「謝ることはない」
「いえ、おばあさまにも謝らないとダメです」
ジェラールさんはいいんだと否定する。
「おばあさまはアイミの気持ちをわかっている。むしろ、おばあさまのほうがお前に謝りたいと言っていた」
「そんな!」
「だろう。俺とすれば、どちらも謝る必要はないと思う」
ジェラールさんに言われてしまうと、謝らなくてもいいのかと、すんなり受け入れてしまう。
「じゃあ、謝りません」
「そうしろ」
「あとジェラールさん、制服を汚してごめんなさい」
今のジェラールさんは上着のないシャツの状態だ。きっと、わたしのお化粧が溶けて、ジェラールさんの制服を汚した気がする。
「そんなことはどうでもいい。あれは帰ったときに使用人が何とかしてくれる。それより、アイミ」
「はい」
「お前はどうだ? もう泣いたりしないか? お前が泣くとこちらも辛くなる」
いたわるように大きな手のひらがわたしの背中を撫でてくれる。薄い生地の上を滑る手がくすぐったい。
「泣きませんよ、今日はめいいっぱい泣きましたし」
泣けたらこんなに体が軽くなるのだ。
「もう大丈夫です」
安心させたくてわたしが笑うと、ジェラールさんも笑ってくれる。ただそれだけでも嬉しかったけれど、わたしは涙の理由をジェラールさんにだけにはちゃんと伝えたかった。