槍とカチューシャ(101~end)
第109話『孤独な独り身』
団長さんの回復力は常人に比べて、素晴らしく高いものだった。傷跡は左肩に残ってしまったけれど、すぐに訓練に参加できるまでになった。
だからといって、団長さんはいきなり無理しそうで怖い。傷口が開いてしまったらと考えたら、わたしは心配になって、騎士団の訓練をこっそりのぞきにいった。
団長さんは訓練所のすみっこに立っていた。組み手をしている部下たちの邪魔にならないようにとの配慮かもしれない。団長さんはひとりで怪我をしていないほうの右腕だけで剣を振るう。本物の剣ではなく、木刀だけれど、その立ち姿は様になっていた。
建物の影に隠れて団長さんを観察していたのだけれど、目線が合ってしまった。慌てて頭を引っこめてもすでに見つかった後だ。どうにもならない。
「アイミ。ここは危険だと言っただろう」
いきなり荒げたりはしないものの、低く押さえつけるような声だ。わたしは聞き分けのない子供ではないのに、そんな扱いをしてくる。
「ごめんなさい。でも、団長さんが心配なんです」
素直に言えば、団長さんは「くそっ」と悪態をついた。
「わかった。だが、そこから1歩も近づくなよ」
「はい」
それから黙って訓練を見させてくれたから、少しは嬉しかったんじゃないだろうか。さっきよりもずいぶん早い素振りを見せてくれた。
「おや、こんなむさ苦しい訓練所にようこそ」
なんてわたしの隣に立ったのは副団長様、アーヴィングさんである。相も変わらず、端正な顔立ちは女性を骨抜きにしていることだろう。手には紙の束があり、仕事のついでなのかもしれない。
「アーヴィングさん、どうも。アーヴィングさんは訓練されないんですか?」
「ああ、机に張りつくのが仕事みたいなものだから。僕にこんな訓練は不要だよ」
「そうですか」
顔もよく、物腰もやわらかいアーヴィングさんだけれど、前ほどときめいたりしなくなった。これも団長さんのせいだろうか。
「団長ときみの関係は順調みたいだね」
「まあまあですね」
「まあまあって、団長の家で暮らしているくせに」
副団長は小さく笑った。言う通りだった。団長さんの身の回りのお世話をするため、シャーレンブレンドの住宅街にある団長さんの家で居候した。朝、起こしにいったり、着替えの手伝いや包帯の交換、夜は出迎えとまた着替え。
まるで新婚のような時間を過ごしている。幸せな時間だった。けれど、そろそろガレーナに戻る頃かと考えている。
正式に使用人をやめて、団長さんの婚約者として、必要なマナーを身に付けなくてはならないとか。そのためにも、団長さんの家から出なくては、とか。早めに準備を進めたいとか。
「独り身の僕とすれば、うらやましい限りだな」
「うらやましい?」
「そうだよ。こう見えて、自分の家に女性を入れたくはないんだ。唯一、ひとりになれる場所だからね。だから、女性とあまり深い仲になれない。少しでも拒むと、機嫌が悪くなるし」
何となく、わたしもそうだったなあと思う。人を疑うから深い仲になれなくて、ずっと孤独だった。もし、アーヴィングさんもそうだとしたら気の毒な気がした。
「誰かひとりでも心の許せる人が現れたらいいですね」
「君と団長のように?」その口ぶりは絶対楽しんでいる。顔もにやついているし。
「ええ、はい、そうですよ!」
意地悪なアーヴィングさんに思わず大きい声を出してしまった。
「そんなに怒らないで。僕にも想う人がいるにはいるんだよ。でも、かなり難しい相手でね。僕を弟ぐらいにしか思っていないんだよ」
「えっ?」アーヴィングさんを弟ぐらいにしか思っていない人? まったく思いつかなかった。
「あ、団長に気づかれたみたい。これ、団長に渡しておいて」
こちらの疑問に答えてはくれず、面倒な紙の束をわたしに押しつけて、アーヴィングさんは逃げ出した。残されたのは殺気をまとった団長さんとわたし。
「だ、団長さん?」
「お前がいると集中できん。頼むから帰ってくれ」
確かにお邪魔かもしれない。今回ばかりは「ごめんなさい」と謝りつつ、紙の束を渡して訓練所を後にした。
団長さんの回復力は常人に比べて、素晴らしく高いものだった。傷跡は左肩に残ってしまったけれど、すぐに訓練に参加できるまでになった。
だからといって、団長さんはいきなり無理しそうで怖い。傷口が開いてしまったらと考えたら、わたしは心配になって、騎士団の訓練をこっそりのぞきにいった。
団長さんは訓練所のすみっこに立っていた。組み手をしている部下たちの邪魔にならないようにとの配慮かもしれない。団長さんはひとりで怪我をしていないほうの右腕だけで剣を振るう。本物の剣ではなく、木刀だけれど、その立ち姿は様になっていた。
建物の影に隠れて団長さんを観察していたのだけれど、目線が合ってしまった。慌てて頭を引っこめてもすでに見つかった後だ。どうにもならない。
「アイミ。ここは危険だと言っただろう」
いきなり荒げたりはしないものの、低く押さえつけるような声だ。わたしは聞き分けのない子供ではないのに、そんな扱いをしてくる。
「ごめんなさい。でも、団長さんが心配なんです」
素直に言えば、団長さんは「くそっ」と悪態をついた。
「わかった。だが、そこから1歩も近づくなよ」
「はい」
それから黙って訓練を見させてくれたから、少しは嬉しかったんじゃないだろうか。さっきよりもずいぶん早い素振りを見せてくれた。
「おや、こんなむさ苦しい訓練所にようこそ」
なんてわたしの隣に立ったのは副団長様、アーヴィングさんである。相も変わらず、端正な顔立ちは女性を骨抜きにしていることだろう。手には紙の束があり、仕事のついでなのかもしれない。
「アーヴィングさん、どうも。アーヴィングさんは訓練されないんですか?」
「ああ、机に張りつくのが仕事みたいなものだから。僕にこんな訓練は不要だよ」
「そうですか」
顔もよく、物腰もやわらかいアーヴィングさんだけれど、前ほどときめいたりしなくなった。これも団長さんのせいだろうか。
「団長ときみの関係は順調みたいだね」
「まあまあですね」
「まあまあって、団長の家で暮らしているくせに」
副団長は小さく笑った。言う通りだった。団長さんの身の回りのお世話をするため、シャーレンブレンドの住宅街にある団長さんの家で居候した。朝、起こしにいったり、着替えの手伝いや包帯の交換、夜は出迎えとまた着替え。
まるで新婚のような時間を過ごしている。幸せな時間だった。けれど、そろそろガレーナに戻る頃かと考えている。
正式に使用人をやめて、団長さんの婚約者として、必要なマナーを身に付けなくてはならないとか。そのためにも、団長さんの家から出なくては、とか。早めに準備を進めたいとか。
「独り身の僕とすれば、うらやましい限りだな」
「うらやましい?」
「そうだよ。こう見えて、自分の家に女性を入れたくはないんだ。唯一、ひとりになれる場所だからね。だから、女性とあまり深い仲になれない。少しでも拒むと、機嫌が悪くなるし」
何となく、わたしもそうだったなあと思う。人を疑うから深い仲になれなくて、ずっと孤独だった。もし、アーヴィングさんもそうだとしたら気の毒な気がした。
「誰かひとりでも心の許せる人が現れたらいいですね」
「君と団長のように?」その口ぶりは絶対楽しんでいる。顔もにやついているし。
「ええ、はい、そうですよ!」
意地悪なアーヴィングさんに思わず大きい声を出してしまった。
「そんなに怒らないで。僕にも想う人がいるにはいるんだよ。でも、かなり難しい相手でね。僕を弟ぐらいにしか思っていないんだよ」
「えっ?」アーヴィングさんを弟ぐらいにしか思っていない人? まったく思いつかなかった。
「あ、団長に気づかれたみたい。これ、団長に渡しておいて」
こちらの疑問に答えてはくれず、面倒な紙の束をわたしに押しつけて、アーヴィングさんは逃げ出した。残されたのは殺気をまとった団長さんとわたし。
「だ、団長さん?」
「お前がいると集中できん。頼むから帰ってくれ」
確かにお邪魔かもしれない。今回ばかりは「ごめんなさい」と謝りつつ、紙の束を渡して訓練所を後にした。