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槍とカチューシャ(51~100)

第100話『暇』

 庭園でのティータイムはかなり久々だった。しかも、エイダやリーゼロッテ様はいない。メルビナ様とふたりきりなんてしばらくなかった。

 白いテーブルセットは、どうしてもメルビナ様が置いてほしいとのことで設置された。テーブルクロスはガレーナのおばさまたちの手作りだ。新しいお屋敷には、こうしたガレーナの人たちの手づくりで溢れている。

 ポットからティーカップへと紅茶を注ぎ、最後には木苺のジャムを落とす。メルビナ様が大好きなレシピは頭に叩きこんである。立ち上る香りを楽しみながら、メルビナ様はティーカップのふちに唇をつけた。ゆっくり傾けてから、カップをソーサの上に戻す。

「おいしい」

 そのホッとしたような笑みがわたしの喜びだ。

「最近忙しくて、お茶を楽しむ暇もなかったんだから」

 確かにメルビナ様はお忙しくて、手紙のお方とも会えないと不満をおっしゃっていた。手紙のお方が仕事で旅立たれるときには「わたしも行きたいなあ」とうらやましそうにこぼされた。

「どこかで息抜きしないとおかしくなっちゃうわ。ねえ、マキ。一緒にどこか遊びに行ってみない?」

 魅力的な誘いではある。でも、わたしは「それは難しいです」と断った。日程的にも、護衛をつけたりなど、様々に気を配ることがあった。

 それでも、メルビナ様は諦めきれないご様子で瞳をうるませる。この瞳が人の意志を動かすほどの効果があることを、ご本人は知っていらっしゃるのだろうか。わたしもうっかり、うなずきたくなる。けれど、負けるわけにはいかなかった。こちらにだって切り札がある。

「メルビナ様は大事な結婚式をひかえておいでです。何かございましたら、未来の旦那様が気の毒です」

「だ、旦那様」

 メルビナ様はお顔を真っ赤に染めて、大きく開いた口元を両手で隠された。

「そ、そうね。旦那様がいるものね」

 どうやら、勝てたみたいだ。ガレーナの心地よい風が吹く。メルビナ様の長い髪が風に舞った。わたしが髪の毛に気をとられている間に、赤いお顔はすっかり真顔に戻っていた。メルビナ様がわたしを見据えた。

「よく考えれば、この2年、あなたに頼りっぱなしだったわよね」

「そんなことは」

 こちらが否定しようとしたのに、逆にメルビナ様が首を横に振られた。

「いいえ、この2年、がんばってこれたのはマキや、ガレーナのみんなのおかげよ。……だからね、もういいの」

「いいってどういう意味ですか?」

「あなたはしあわせになって、好きな人と。この意味わかるわよね?」

 できれば、わからないふりを通したい。わからないまま、メルビナ様が涙を流されたときにお側にいたい。メルビナ様が笑顔を見せるとき、自分も喜びたい。しかし、その気持ちは砕かれた。

「あなたに暇を与えるわ」

「いとま? 今すぐやめろということですか?」

「……わたしだって本当は離れたくないはないのよ。でも、リーゼロッテが言うんだもの。友達なら応援しなくちゃって」

 メルビナ様はお顔をうつむかせた。メルビナ様のお気持ちはわたしにもちゃんと伝わっている。しあわせを願う友達として送り出そうとしてくださったのだ。だけど、わたしにも言わせてほしい。

「メルビナ様、お顔をあげてください」

「うん」

 メルビナ様は素直にお顔を上げた。

「本当の気持ちを申し上げます。わたしも先のことは考えています。わたしの恋人は結構、年齢がいってますし、仕事も危ないことをしているし、正直、明日にはそういう手紙が届くのではないかと不安です。
でも、使用人はやめたくありません。
彼もやめてくれなんて言いません。むしろ、がんばれと言ってくれます。
だから、使用人でいさせてください」

 使用人をやめるか、どうか、眠れない夜に考えてばかりいたことだ。それでも迷いがあって、ついにこの瞬間まで結論は出なかったけれど、メルビナ様からの後押しで決めた。

 わたしは使用人をやめない。

 言うだけ言って、頭を下げた。深く下げすぎて、メルビナ様のお顔を拝見することができない。どうお感じになっただろう。せっかくわたしを送り出そうとしてくださったのに、その思いを無駄にしてしまった。

 強く指を握っているせいでそこだけ白くなった。

 恐怖でいたとき、わたしの手に細くて温かみのある手が重なった。

「わかった。マキはそれでいいのね?」

「ええ、どうか今まで通りでお願いします」

「もちろんよ、マキのしたいようにして」

 顔を上げると、わたしの大好きな笑顔に迎えられた。

「今までありがとう、大好きよ。これからもよろしく」

 メルビナ様は席を立ち、腕を広げ、わたしを抱き締めた。頼りないと思っていたお背中はもう、支えてくれる人がいらっしゃる。メルビナ様が涙を流されるとき、もうわたしが慰めることはない。

 だけど、使用人はやめない。まだ必要とされているから。
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