クサいけどいい匂い

第2話

 噂の店でも仕事さえちゃんとしていれば、依頼は来る。今日はギルドマスターと呼ばれるドミナスさんが昼後に来る予定だった。

 お客さんが来るとはいえ、必要以上に身なりを気にすることもない。エメラルド色の首まで隠れるドレス。襟や袖口にフリルもついているが、着古しているため、少し黄ばんでしまっている。胸元に飾りなんてつけない。上から白衣を身につけていれば、本当に無意味なことだ。

 それに、今回の討伐ギルドの人たちは、そんなにうるさい人でもない。一度、メーベルという女性も来たけれど事務的だったし、ロスという男性はやる気が無さそうにうつろな目をしていた。ドミナスさんは蛇のような目をしながら、いつも口元に笑みを浮かべていた。選ぶ言葉はやわらかだけれど、その目に射ぬかれるとゾッとした。

 お昼の鐘が鳴り、休憩にしようかと腰を上げたとき、お店の呼び鈴が鳴った。約束よりも早めに来たらしい。作業場からお店のエントランスに出ると、見慣れない男性が泥除けマットの上に立っていた。

 他の人同様、布を口に当ててやってくるかと思いきや、何にもしていなかった。ただ、口は息するものかと強く結ばれていた。短く切られたツンツン頭。わたしみたいにくすんだ茶色じゃなく、金色だ。

 ギルドから支給されたものなのか、軽装で動きやすそうな鎧を着ている。腰にはショートソードと、布袋――おそらく依頼の代金が入っていると思われる――をベルトにくくりつけていた。鋭い目をわたしに向けると、眉間のしわを深くさせた。不躾にも鼻をすする。

「くせえ」

 第一声がそれとは、自分の心に正直な人らしい。臭いに関して予想通りの反応に苦笑が漏れた。

「あの、ドミナスさんのところのギルドの方ですか?」

 一応、丁寧な言葉で返す。仕事をする前に、師匠から教えられたことでもある。

「ああ、ドミナスの代わりに来た。ドミナスは腹を下してて」バカにしたように唇が歪んだ。

「大丈夫なんですか?」

「さあ、医者に診せるって言ってたけど。それよりも依頼してた薬を受け取りに来た」

 代わりの人は仕事を済ませて、今すぐにでもお店から出たがっているようだった。あまり時間をかけては可哀想だろう。

「承知しております。こちらの部屋へどうぞ」

 客間はお店の正面奥で、まあまあ臭いもマシだろう。ただ、“マシ”程度だけれど。

 とにかく、ドミナスさんの代わりの人の名は「トマ・シビリル」といった。客間のソファーの背に深く座り、鼻を何度もすする。紅茶を出したけれど、手をつけようとしない。ギルドマスターは紅茶が好きだったけれど、彼の好みではないようだ。りんご酒でも出せば良かったかもしれない。

 シビリルは巻き紙を取り出し、テーブルの上に置いた。わたしは「拝見します」と受け取り、巻き紙を上下に広げた。巻き紙はドミナスからの依頼状だった。

 普通の薬屋では手に入らない、魔法によって及ぼされる状態――毒、麻痺、混乱、沈黙など――を打ち消す薬だ。10本ずつのお買い上げだった。

「確かに確認しました。少々お待ちください」

 シビリルは待ちたくない様子で、ますます眉間のしわを中心に集めていた。ならば、来ます? とでも言いたくなった。ますます臭いがひどくていられないだろうに。

 わたしは客間を出て、エントランスから作業場に入っていく。作業場の隅の床に鍵のかかった両開きの扉がある。蛇が巻きついた装飾の鍵を錠前に差して回すと、開いた手応えがあった。この場所は昼間でも薄暗い。子どもの頃は恐くて近寄りがたかったけれど、叔父の家の暗がりを想像すれば、マシだと感じた。

 手を開いて軽く呪文を唱えると、炎が燃える。これが種火となるのだ。いちいち燃やし続けていると無駄な魔力消費になるので、ランプに火を点けた。

 階段を下ると、また扉がある。軋ませながら開くと、広い暗闇が現れた。ランプの火くらいじゃ、見通せない。それでも、四角い棚たちは整列して奥に連なっているはずだ。貴重な材料、薬ほど奥に位置していた。

 10年ほどの間、通っていれば、どこに何があるか、わかっている。毒消し薬と麻痺薬は1列目左。混乱と沈黙に効く薬は2列目右。

 木箱を探しだし、そこに薬を入れて回った。木の板を挟み、もう一段瓶を置いていく。下に20、上に20。結果、かなりの重さになった。持てなくはないけれど、階段はきついかもしれない。ランプを木箱の上に置いて、階段の前まで行ったら、板が軋む音がした。頭上から砂ぼこりが落ちてくる。

「早くしろよ。ったく」

 悪態をつきながら、シビリルが階段を降りてくるところだった。シビリルはわたしに確かめるでもなく、木箱の下に片腕を入れ、もう一方の手で角を持った。先程と同じ足取りで軽々と階段を上がっていく。わざわざ取りに来てくれたのだろうか。

「あの、ありがとう」

 背中に向けて言った。でも、シビリルは一瞥くれただけで、一足先に地下室から出ていった。

 客間に戻ると代金をもらい、依頼は完了した。シビリルを見送るためにエントランスに戻る。

「ドミナスさんにこれを」

 わたしは白衣のポケットから青色に染まったガラス瓶を木箱に乗せた。シビリルは首を傾げる。

「必要ないかもしれませんが、腹下しに良く効く薬です。師匠がわたしによく作ってくれた薬で。今は自分で作っているんですけど、常備薬としていつも持ち歩いているんです」

 後半はどうでもいい話をしてしまった気がする。遅れて口の端を伸ばして愛想よくしてみたのだけれど、シビリルからの反応は薄い。鋭い目は、木箱の上の瓶を見つめていた。声をかけると、ようやくわたしの方に視線を向けた。

「別料金とか言わないよな?」

「そんな! 料金はいりません」

 首を横に振る。自分用の薬だし、タダであげても損はない。

「わかった。ドミナスに渡しておく」

 シビリルは足早にお店を出ていった。悪気はないかもしれないが、ずけずけとものを言う人だった。わたしの印象はそのくらいで、すぐに作業場に引っこんだ。

 次回はドミナスさんとの取り引きに戻るだろう。トマ・シビリルと会うのはこれで最後だと思った。
2/9ページ
Clap