結ばれない日記
第5話
魔術師様の説明によれば、術の効果はそれほど長くないのだという。つまり、何度目かの夜を越せば、ボリスラフへの恋心は跡形もなく消えてなくなるというわけだ。そうなれば、いつもの冷たいやり取りを続けるわたしたちに戻る。普段通りの生活に戻れることは、今のわたしにとっての希望だった。
気づけば、1日のほとんどの時間、面白味のない男の表情ばかり眺めていた。飽きずにずっと、眺めていられた。
無駄な1日終えて、大人しく寝台の上に寝転んだものの、気を張っていなければ、ボリスラフを頭に浮かべて、悶えてしまう。あの迷惑そうな声をできるだけ近くで聞いていたい。
そんな自分が嫌で、明日からは絶対に顔を見ないようにしようと思う。できる限りは近づかない。心を乱さないようにする。そんな器用なことができるだろうか。弱気な自分が顔を出す。でも、やらなくちゃ。決意を並べながら、どんどん暗闇に吸いこまれていった。
2日目となる今日は、魔術師様の部屋に居座ろうと考えていた。賢い魔術師様から対策を聞き出そうとひそかに思っていたのだ。それに、ボリスラフと少しでも離れる口実もできるし、良いことばかりだ。
そんな思惑で朝食を早々に済ませ、魔術師様の部屋に直行した。でも、扉の取っ手は回らなかった。
「えっ? 何で?」
「魔術師は今日から休暇らしいですよ」と、わたしの背後にいたのはボリスラフだった。いつの間に、付いてきていたの? 足音も気配も気づかなかったけれど、騎士とすれば当たり前なのだろうか。驚きつつも、心を落ち着かせる。戸惑いを表してはいけない。あくまでも冷静に。
「そ、そう」一気に喉がかわいてきて、かすれた声になってしまった。
「それほど、落ちこみますか」
ボリスラフがぼそっと言葉を落とした。落ちこむというより、どうしたらいいのか途方に暮れているだけなのだけれど、彼はそうとらえたようだ。
「べ、別に違うわよ」
速やかに立ち去ろうと横顔を見ないように努力はしたものの、「エミーリヤ様」と声がかかった。一応、足を止めて、「何か用なの?」とたずねておく。
「いえ」
ボリスラフが何の用もなく、呼びかけてくるなんて珍しい。
「用がないなら気安く呼ばないでくれる」
一応、いつも通りのわたしで答えてみたけれど、罪悪感で胸が痛む。ボリスラフはどう思ったかなと、考える自分が本当に嫌だ。これまで、全然平気だったはずなのに、なぜ、こんなに苦しくなるのだろう。
逃げるように立ち去ろうとしたら、目の端や肩で気配を感じて緊張した。けれど、これ以上、ボリスラフがわたしを呼び止めることはなかった。結局、2日目もできるだけ離れた場所で、ボリスラフを眺めて過ごした。
3日目は気分を変えて、書庫へと足を向けた。入り口にボリスラフがいたものの、死角に入れば大丈夫。書庫には画集もそろっていて、絵の勉強にはちょうどいい。作者の歴史背景を調べるのも時間を忘れて熱中できる。そのはずだったのだけれど。
たまたま目に入ったのは騎士の絵だった。昔、国を守るために命を落とした騎士たちだ。そのひとりは、長くわたしの父の護衛についていた。でも、父を暴漢から守るため、命を落とした。確か、騎士にはわたしより年上の子どもがいたはず。
正装に身を包んだ姿を見てしまうと、初対面の時のボリスラフの姿を思い浮かべられた。王の前で、剣を手に誓いを立てる姿は、その騎士のようだった。子どもながらに格好いいと憧れた。もし、こんな人がわたしの隣にいてくれたら心強い。楽しく話もしてみたい。
けれど、現実はそうはいかなかった。ボリスラフは、常にわたしの隣ではなくて左斜め後ろに立ち、おしゃべりさえしてくれなかった。
どうも、彼にとって、幼い姫の護衛は不本意だったようだ。それでも仕事だから文句も言えずに、ただ忠実にしたがったというところだろう。そのことに気づいてから、ますます、ボリスラフが苦手になった。描いた夢が壊れた腹いせに、ボリスラフ相手に、冷たくあしらうようになったのだろう。ただの子供だった。
「最初は好きだったのね」あの頃の自分の気持ちを確認したところで、何が起きるわけでもない。すっかり画集に集中できなくなって、書庫を後にした。
4日目の朝。お父様と珍しく、食事をともにした。普段、朝食をとらないお父様がちらちらとこちらを確かめてくる。うっとおしいほどの視線が追いかけてくるので、どんな話を聞かせるつもりなのかと嫌な予感がしてきた。窓の外の天気と同じように気持ちも曇ってきた。
「お父様、何かわたくしにご用でもあるのですか?」
「あ、ああ。言いにくいのだが」たっぷりとたくわえた髭が自信なさげに垂れている。
「お前に縁談の話が来ている」
やっぱり、ろくな話ではなかった。でも、わたしの年齢を考えれば、当たり前の話だ。今までならすぐに断ることにしていたけれど、もうそろそろ潮時だと思える。断らずに話を進めたほうが、これからのためになるはずだ。
「わかりました。前向きに考えさせていただきます」
そんな答えを期待していなかったのか、周りは沈黙した。どこからともなく来る鋭い視線を感じながらも、食事中は顔を上げないように通した。その夜は眠れなかった。
5日目は体が重くて、部屋から出なかった。窓に雨が打ち付ける様を眺めながら、震える胸に耐えた。
魔術師様の説明によれば、術の効果はそれほど長くないのだという。つまり、何度目かの夜を越せば、ボリスラフへの恋心は跡形もなく消えてなくなるというわけだ。そうなれば、いつもの冷たいやり取りを続けるわたしたちに戻る。普段通りの生活に戻れることは、今のわたしにとっての希望だった。
気づけば、1日のほとんどの時間、面白味のない男の表情ばかり眺めていた。飽きずにずっと、眺めていられた。
無駄な1日終えて、大人しく寝台の上に寝転んだものの、気を張っていなければ、ボリスラフを頭に浮かべて、悶えてしまう。あの迷惑そうな声をできるだけ近くで聞いていたい。
そんな自分が嫌で、明日からは絶対に顔を見ないようにしようと思う。できる限りは近づかない。心を乱さないようにする。そんな器用なことができるだろうか。弱気な自分が顔を出す。でも、やらなくちゃ。決意を並べながら、どんどん暗闇に吸いこまれていった。
2日目となる今日は、魔術師様の部屋に居座ろうと考えていた。賢い魔術師様から対策を聞き出そうとひそかに思っていたのだ。それに、ボリスラフと少しでも離れる口実もできるし、良いことばかりだ。
そんな思惑で朝食を早々に済ませ、魔術師様の部屋に直行した。でも、扉の取っ手は回らなかった。
「えっ? 何で?」
「魔術師は今日から休暇らしいですよ」と、わたしの背後にいたのはボリスラフだった。いつの間に、付いてきていたの? 足音も気配も気づかなかったけれど、騎士とすれば当たり前なのだろうか。驚きつつも、心を落ち着かせる。戸惑いを表してはいけない。あくまでも冷静に。
「そ、そう」一気に喉がかわいてきて、かすれた声になってしまった。
「それほど、落ちこみますか」
ボリスラフがぼそっと言葉を落とした。落ちこむというより、どうしたらいいのか途方に暮れているだけなのだけれど、彼はそうとらえたようだ。
「べ、別に違うわよ」
速やかに立ち去ろうと横顔を見ないように努力はしたものの、「エミーリヤ様」と声がかかった。一応、足を止めて、「何か用なの?」とたずねておく。
「いえ」
ボリスラフが何の用もなく、呼びかけてくるなんて珍しい。
「用がないなら気安く呼ばないでくれる」
一応、いつも通りのわたしで答えてみたけれど、罪悪感で胸が痛む。ボリスラフはどう思ったかなと、考える自分が本当に嫌だ。これまで、全然平気だったはずなのに、なぜ、こんなに苦しくなるのだろう。
逃げるように立ち去ろうとしたら、目の端や肩で気配を感じて緊張した。けれど、これ以上、ボリスラフがわたしを呼び止めることはなかった。結局、2日目もできるだけ離れた場所で、ボリスラフを眺めて過ごした。
3日目は気分を変えて、書庫へと足を向けた。入り口にボリスラフがいたものの、死角に入れば大丈夫。書庫には画集もそろっていて、絵の勉強にはちょうどいい。作者の歴史背景を調べるのも時間を忘れて熱中できる。そのはずだったのだけれど。
たまたま目に入ったのは騎士の絵だった。昔、国を守るために命を落とした騎士たちだ。そのひとりは、長くわたしの父の護衛についていた。でも、父を暴漢から守るため、命を落とした。確か、騎士にはわたしより年上の子どもがいたはず。
正装に身を包んだ姿を見てしまうと、初対面の時のボリスラフの姿を思い浮かべられた。王の前で、剣を手に誓いを立てる姿は、その騎士のようだった。子どもながらに格好いいと憧れた。もし、こんな人がわたしの隣にいてくれたら心強い。楽しく話もしてみたい。
けれど、現実はそうはいかなかった。ボリスラフは、常にわたしの隣ではなくて左斜め後ろに立ち、おしゃべりさえしてくれなかった。
どうも、彼にとって、幼い姫の護衛は不本意だったようだ。それでも仕事だから文句も言えずに、ただ忠実にしたがったというところだろう。そのことに気づいてから、ますます、ボリスラフが苦手になった。描いた夢が壊れた腹いせに、ボリスラフ相手に、冷たくあしらうようになったのだろう。ただの子供だった。
「最初は好きだったのね」あの頃の自分の気持ちを確認したところで、何が起きるわけでもない。すっかり画集に集中できなくなって、書庫を後にした。
4日目の朝。お父様と珍しく、食事をともにした。普段、朝食をとらないお父様がちらちらとこちらを確かめてくる。うっとおしいほどの視線が追いかけてくるので、どんな話を聞かせるつもりなのかと嫌な予感がしてきた。窓の外の天気と同じように気持ちも曇ってきた。
「お父様、何かわたくしにご用でもあるのですか?」
「あ、ああ。言いにくいのだが」たっぷりとたくわえた髭が自信なさげに垂れている。
「お前に縁談の話が来ている」
やっぱり、ろくな話ではなかった。でも、わたしの年齢を考えれば、当たり前の話だ。今までならすぐに断ることにしていたけれど、もうそろそろ潮時だと思える。断らずに話を進めたほうが、これからのためになるはずだ。
「わかりました。前向きに考えさせていただきます」
そんな答えを期待していなかったのか、周りは沈黙した。どこからともなく来る鋭い視線を感じながらも、食事中は顔を上げないように通した。その夜は眠れなかった。
5日目は体が重くて、部屋から出なかった。窓に雨が打ち付ける様を眺めながら、震える胸に耐えた。