ヤメ騎士さんとわたし
第9話『沈んでいく』
部屋の掃除に夢中になっていたら、いつの間にか窓の外が薄暗くなってきた。時計はないけれど、太陽の沈みで夜が近いことを知る。
ロルフさんは暖炉の火を絶やさないでいてくれた。おかげで、日が無くなっても家のなかは温かいままだった。家のなかの棚やテーブル、ソファーにくっきりと影ができる。
わたしもロルフさんがやったように新しい薪を入れて、火かき棒で奥へと押す。はぜる炎を見つめていると、心が落ち着く気がした。
扉が開き、夜風が暖炉の炎を撫でる。重そうなブーツの音に視線を向ける。ロルフさんの長い足、手には血抜きされた青い魚があった。今日は魚料理だ。大体の味が想像できる。テンションが上がった。
久しぶりに味わって食べたかもしれない。煮こまれた魚はわたしの知っている味がした。明日の朝もきっと、これが出てくるのだろう。小さな楽しみができた。
皿を洗って、食器棚に片付け終えると、暖炉の前に座るロルフさんに近寄った。ソファーにもたれるロルフさんは暖炉の番をしている。
カタカタと窓が震える。ふくろうの鳴き声が上がった。でも、都会の音とは違う。薪の燃える音がしっかりと聞こえてくる。
体を動かしたのもあって、眠気が早くにやってきた。あくびも出る。その時、ロルフさんと目が合った。今、口を開けすぎたかもしれない。
わたしを見て、何を思ったのか、ロルフさんは獲物を運ぶみたいに肩に抱えた。抵抗したのだけど、両足が浮いている状態では難しい。すぐにベッドに連れていかれ、毛布をかけられた。ぽんぽんと胸の辺りを叩いてくる。
――わたしのお母さんみたい。
寝かしつけようとする姿に、ロルフさんはやっぱりわたしを子どものように見ている気がした。ろうそくの明かりも無くて、暗いだけで瞳の色を確かめることはできないけれど。
「お休みなさい」
この声に言葉が返ってきたかどうかは知らない。もうわたしの意識は途切れて、何も感じない夢の中に移っていたから。
そろそろだとは思っていた。洗濯しなきゃとは思っていた。けれど、やる気が起きなかった。
こんな自分を追いこもうと、起きてすぐ、ベッドの上のシーツをはぎとってみる。これで洗濯しないと眠れなくなった。夜、眠りたければ洗濯をするしかない。
朝食が終わり、汚れたシーツやら――ついでにモコモコのルームウェアも一緒にまとめた――を抱えて外に出ようとしたら、ロルフさんが扉の前に立ちはだかった。そびえたつ山を見上げているような威圧感がある。
太い指がシーツのかたまりを奪おうとしてくるので、取られないようにとお腹に抱きこんだ。これだけは譲れない。やったことの後始末は自分自身でやりたいのだ。
というか、特にキャミソールは自分の手で洗いたい。首を横に振って、絶対折れないという意志を目で訴えた。
わたしの訴えが効いたらしく、ロルフさんはシーツを奪おうとしていた腕を下ろした。
水はロルフさんが井戸から汲んでくれた広めの木の桶に水を落として、シーツやらを詰めてもみ洗いする。深く沈められていた水は冷たく、爪の間からも皮膚の奥へと染みてくるようだった。横の手から石けんを借りて染みを洗った。
ロープを家の柱と木の間でピンと張る。カップ付きのキャミソールを木の洗濯バサミで摘まむ。シーツが風にさらわれ、大きな波を作る。しぼんだルームウェアの上下も手を繋いだかのように仲良く、風に舞った。
ここまでやって、ちょっと休むことにした。ロルフさんは馬小屋へ行く。わたしもゼオライトに会いたくて、背と鼻を撫でに向かった。
家に戻ると、さっさと締め付けの強いブーツを脱いだ。布と木のバケツを持ってきて、床をこする。薄日の差した窓枠も掃除する。糸屑をかき出すと、細かいホコリが宙に舞った。いくら自然のなかに家があるといっても、吸ったら体に悪そうで、ちょっとだけ息を止めた。
窓から見る空は青かった。ロルフさんが切り株に腰を下ろして、ナイフの手入れをしている。奥の木々近くにはゼオライトが首をもたげて、エサを食べていた。
ここから見る景色は、わたしがいなかった頃からも続いていたものだろう。そして、わたしがいなくても続いていく世界だ。
瞼を閉じてみる。もしかして、ふたたび瞼を開けたら、自分の部屋のベッドの上に戻っていたりするかもしれない。でも、実際は開けてみても、窓の外の景色と布を持った真っ赤な手だけがあった。
特に変化はない。時間が流れていくだけ。空しくなってきた。気持ちを紛らわそうと、掃除を再開した。
昼過ぎになると、洗濯物はすっかり乾いた。真新しいシーツを両手いっぱいに広げる。空気で膨らんだシーツはベッドに落ちるとしぼんだ。石けんの匂いがする。
柔軟剤を使っていないためか、固くなったモコモコのルームウェアは残念だったけれど、気持ちは晴れていた。今夜はこれを着て寝よう。太陽は今日も変わりなく、沈んでいった。