ヤメ騎士さんとわたし
第7話『太陽の馬』
ロルフさんは真っ先に馬小屋へと向かった。
後をついて小屋を覗いてみると、中は全体的にこじんまりとした印象を受けた。床には木のバケツや寝床となる藁が敷かれていて、馬が出ていかないように木の仕切りがされている。仕切りの上から白馬が顔を出していた。
白い馬とか、めずらしい。触ってみたい。そうは思っても勝手に触るのは違う気がする。だから、わたしは一歩下がったところで見ていた。
ロルフさんは仕切りを持ち上げて、藁が敷き詰められた寝床へと歩いていく。そして、親しげに白馬の背中を一撫でした。青い瞳が優しく細められているのも親愛の証かもしれない。
握った藁の束で馬のたてがみや胴体をていねいにブラッシングしていく。白馬は心を許しているのか、大人しくされるがままになっていた。
ロルフさんは、わたしに対しても相当な世話焼きだけれど、動物が相手でも同じらしい。むしろ、髭に隠れた口元は笑っている気がしてならない。わたしは自分の口に手を当てて、バレないようにとこっそり笑った。
ロルフさんはブラッシングを終えると、小屋のどこからか細長い革の帯を持ってきた。これが何と言うかは知らないけれど、よく競走馬とか、軍馬とかが顔につけているものだ。
ロルフさんは白馬の左側に立つと、手綱と思われるものを馬首にかけて、革の帯を顔に近づけた。帯の先には両側に輪っかのついた棒がある。それを口に持っていくのだけれど、なかなか開けたがらない。
すると、ロルフさんは白馬の歯に指を入れた。馬には歯がない場所があるのだとはじめて知った。
奥歯の位置に輪っかのついた棒を噛ませる。輪っかは手綱とも繋がっている。後は頭、顎、鼻に革の帯をつければ、まるで競走馬のような姿になった。黒革の帯に白馬の体はとても映える。
ロルフさんは手綱を引いて、白馬を馬小屋から連れ出した。日差しの元で白馬の毛並みがしんじゅのように滑らかに輝く。羽根でもあったら、空高くに飛んでいってしまいそうだ。
ロルフさんは手頃な木に手綱をくくりつけると、白馬の首を優しく叩いた。
白馬に触れられるのが、うらやましい。でも、馬の撫で方とかあるのだろうな。どこかで馬の背後に行くと危ないとか、聞いた気がする。そんなことを考えてしまうと、簡単には近づけない。
「セーラ」
ロルフさんが後ろを振り返って、声をかけてくれた。青い瞳の奥をうかがうと、何か訴えかけているようでもある。
恐る恐る手が届く距離に近づくと、手首を太い指で捕まれた。あまりに突然で、心音が跳ねる。頭上に影が差した。大きな体がわたしの背後に回りこんできたのだ。どういうつもりなのか、気になって見上げると、ロルフさんは白馬に視線をやっていた。
「ゼオライト」
確かにそう聞こえた。ゼオライトとは白馬の名前なのだろうか。ロルフさんはゼオライトとの距離を詰めていく。わたしも押されるかたちで前に足を進めた。
「ゼオライト」
呼ばれた白馬の耳がぴくっと動いた。ロルフさんではなく、長いまつ毛にふちどられた二重の目でわたしを見てくる。
ロルフさんはわたしの手をゼオライトの鼻先まで近づけた。ここまで来ると、わたしでもわかった。ロルフさんはゼオライトに触らせてくれようとしてくれている。
ロルフさんに習って、ちょっと斜め横に立った。わたしも「ゼオライト」と呼んでみる。そして、ゆっくりと鼻先に指を当てた。
やわらかくて温かい。指先に触れるだけだったのを手のひらで撫でてみる。ゼオライトは耳を下ろして、ただ大人しくしていた。
大丈夫みたいだ。もう少し大胆に鼻先の上まで触ってみた。耳の間の前髪までいってみる。ロルフさんの手が離されても、ひとりでできるようになった。
よく考えたら、生き物と接したことがあまりないかもしれない。家で飼ってたペットも金魚くらいで、近所のわんちゃんとか、友だちの家のハムスターくらいしか、接したことがなかった。
もちろん、白馬との交流もない。ロルフさんのおかげではじめてのことばかりだ。
大人しく触らせてくれるゼオライトが可愛い。あまりの可愛さに「ふふ」と気味悪く笑ってしまった。ゼオライトが恐がらないでくれたらいいと心配したけれど、特に反応はなかった。良かった。
むしろ、背後にいるロルフさんの方から、「ふ」と息を吐くような小さな音が聞こえてきた。何が起きているのだろう。後ろを振り向くと、かがみこんでいたロルフさんの鼻先が触れるくらいに近かった。
思わず、「うわ」と飛び退こうとしたけれど、ゼオライトとロルフさんに挟まれてうまくいかない。バランスを崩して、ロルフさんに体当たりをしてしまう始末。太い腰に腕を回してしまったのも不可抗力だ。もう情けない。鼻水出そう。
だけど、何だろう、この安心感は。樹齢何百年の大木を抱えているようなありがたさを感じる。冷静になった考えてみれば、年上の男の人に抱きついているわけだけれど、抵抗感がなかった。もうちょっとくっついていたい。
そんなわたしの下心を見抜いたのか、ただ邪魔だったのか、ロルフさんがわたしの両腕を取って体をはがしにかかった。
さすがに自分自身でも気持ち悪い。出会ったばかりの人にセクハラ紛いのことをしてしまった。反省したい。きっと、ロルフさんも気持ち悪いと思っただろう。これ以上、変な女だと思われたら嫌だ。
ロルフさんの顔色なんて確かめる勇気もなく、すぐに離れた。自然を装って、ゼオライトの観察に回る。この気まずい空気も何のそので、草を食べ始めるゼオライトがうらやましかった。