ヤメ騎士さんとわたし

第52話『一緒にいたい』


 儀式部屋を出て、地下階段を上った。暗闇から赤色の部屋に着くと、わたしとロルフさんは窓の前で並んで立った。窓が割られていて、光をさえぎるものない。直に注がれる。

 わたしはまばゆい赤色から目をそらし、ロルフさんと向き合った。

「すまなかった」
「ごめんなさい」

 ふたりの声が重なる。

「意地を張っていた」

「わたしもです」

 わたしからでも話しかければ良かった。こんな簡単なことだったのに、大分、時間がかかってしまった。

「セーラがあんなことを言い出すとは思わなかった。『一緒にいたい』という想いは同じだと思っていたからだ。考えれば、自然なことだ。セーラが自分の世界に戻りたいのなら、俺は後押しをしなくてはならなかった」

 わたしは首を横に振った。ロルフさんにそこまで求めていない。もともと、わたしのいる世界はこちらではないのだ。帰らなければならない。すべて理解してほしいなんて言えない。わがままには、なれなかった。

 本当はロルフさんと同じように「一緒にいたい」と言いたかった。だけど、「好き」、「一緒にいたい」と、一度でも口にしてしまえば、決心がゆらぐ。戻れなくなってしまう。でも、これくらいは言っておきたい。

「もし、ですよ。わたしが元の世界に戻っても、ロルフさんへの気持ちが変わらなかったら。この世界の方がいいってなったら、戻ってきてもいいですか?」

 冗談っぽく言えば、傷は浅い気がしたけれど、そうでもなかった。傷は傷のまま、残る。

「あまり期待を持たせるな」

 ぽんと頭に手を置かれる。

「ごめんなさい」

 やっぱり、不確かなことは言わない方が良かったのかもしれない。

「だが、本当にそう思ったのなら戻ってこい。いや、待たなくても、俺が行ってもいい」

 冗談みたいな、だけど、優しい言葉だった。

「ロルフさんがわたしの世界に、ですか? たぶん、すぐに嫌になると思いますよ」

 あんな機械のなかに森暮らしの猟師さんが馴染めるとは思えない。でも、ロルフさんが「努力する」と言うから、満更でもなく想像してしまった。生活に馴染んだロルフさんが、「ただいま」「おかえり」と迎えてくれる場面を。きっと、それもしあわせだろう。ありえない日常に悲しくも笑ってしまった。

 ひとしきり笑った後、わたしは呼吸を整えた。真面目な話をしたかったからだ。

「わたしからロルフさんに、ひとつだけお願いしてもいいですか?」

「何だ?」

「……騎士を続けてくれませんか?」

 ロルフさんは騎士として城や国、人々を守る姿が一番、輝いている。今度のことで、強く思った。猟師として生きるだけではもったいない。根っからの英雄なのだ。周りが思わず、期待したくなるような、応援したくなるような人だから、続けてほしい。

 そういう思いをこめたけれど、ロルフさんの表情は固かった。

「それだけは無理だ」

 きっぱり言われてしまう。無理だと言われても納得できない。

「何でですか?」

「俺はもう、人のために生きたくはない。自分のために生きたい。それにな、今回のことでやりたいことができた」

「やりたい、ことですか?」

「ああ。知りたかったら、また、ここに戻って来るんだな」

 教えてくれてもいいのに、ロルフさんは意地悪だ。

「もう戻ってこれないかもしれないのに」

「まあ、そう言うな」

 せめて、ロルフさんの横顔を脳裏に焼きつけて、忘れないようにする。じっと視線を離さないでいたら、見ているのがバレた。長く視線が繋がり合う。

「セーラ、勝手にだが、きみを遠くから想っていていいだろうか?」

 涙がぎゅっと押し出させれるみたいにあふれた。まばたきをすると、頬の上をこぼれ落ちる。

「どうして、そんなこと言うんですか。しかも、突然」

「ダメだったか?」

「ダメじゃないから、困るんじゃないですか」

 ただただ、嬉しい。離れてもわたしを想ってくれるなんて、どれだけしあわせだろう。

「そうか」

 泣いたわたしをなぐさめるように、背中に腕が回る。わたしはロルフさんの胸板に顔を寄せた。心音を聞くだけでは足りなくて、顔を上げた。

「わたしも想っていていいですか?」

「ああ」

 ロルフさんはわたしの頬を手で包むと、親指で下唇をなぞった。そして、顔を寄せて、額、頬、唇と、優しく口づけしてくる。わたしは受け止めながら、その感触を忘れたくないと願った。強く抱き締める腕も手の温かさも全部覚えていたい。

 モニクが準備ができたと呼びに来るまで、ロルフさんは、ずっと、抱き締めてくれた。

「行きますね」

 離れたくない。気持ちとは裏腹に、わたしはロルフさんの胸板を押した。背中に回っていた腕の力がゆるめられる。腕を伸ばしたくらいの距離ができる。腕を下ろして、わたしは最後とばかりにロルフさんを見つめた。どうにか、忘れないように脳裏に焼きつける。

「無事で、な」

「ロルフさんも」

 あっさりとした別れかもしれない。待ってくれ、とすがることもない。だけど、わたしはずっと、地下の階段に沈むまで、ロルフさんの視線を感じていた。わたしを想っていてくれることを感じ取っていた。

 後ろを振り返ってはダメだ。自分で自分を必死に押さえつけて、足を前に出すことだけに集中した。

 わたしはお香の匂いが詰まった儀式部屋に入った。四隅に立っていたトーチに火が移されている。部屋のなかは、煙くて暖かかった。眠気にやられているみたいに、頭がボーッとしてくる。

「横になっていただけますか?」

 モニクの指示で、台座の上に仰向けになる。布を下敷きにしても、台座の固さが骨に当たって痛い。

「目をつむって。呼吸はしてくださいね」

 言われたように目をつむる。部屋の暖かさも手伝って、モニクの呪文が連なれば連なるほど、わたしは眠気に襲われた。

 ――「あんたは良くやったよ」

 ダリヤの声がする。魔女に誉められたって嬉しくない。でも、ダリヤに誉められたのは嬉しいかもしれない。

 何かを言わなきゃと思ったのに、目の前が白くにごっていく。体についた腕や足が引っ張られる。ゴムのようにねじられても痛くはなかった。ただ、車酔いを起こしたみたいに、頭が重い。吐き気がする。

 だけど、吐き出すことはできなくて。

 最後にモニクの呪文が耳に響く。わたしは意識を失った。
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Clap