ヤメ騎士さんとわたし
第49話『和解』
つい先ほどのキスは夢だと思えた。ふやけたような頭がはっきりと意識を取り戻した時、思わず「キスって!」と叫んでしまった。
勢いよく上体を起こしたら、わたしはベッドの上に寝かされていた。腰には布団がかけられている。見たことのない部屋のなかで、わたしはまた、混乱した。
「セーラ様?」
かたわらにはモニクが椅子に座っていた。真ん丸の見開いた目をこちらに向けている。ダリヤから受け取った本を膝の上に置いている。その本を読みながら、わたしが目を覚ますのを待っていてくれたのかもしれない。
しかし、まさかモニクがいたなんて思わなかった。先ほど、自分のしでかしたことに、もう一度、意識を飛ばしたい。
「あ、いたんですね」
なんて、自分で言っていて恥ずかしくなる。顔が赤くなっていないだろうか。熱を逃がそうと、頬に手を当てた。
「ええ、お体の方は大丈夫ですか?」
「わたしは大丈夫です」
体の重みが取れて、今すぐにでも走っていけそうだ。モニクはそんな現金なわたしに対して、穏やかにほほえんだ。
「良かったです。この本に、おばあさまからの直伝の魔法があったのです。孫が魔力を使いすぎたときに使う魔法。魔力を少し分け与えるという、とっても優しい魔法です」
「おばあさま」というのは、ダリヤのおばあさんのことだろうと想像できた。モニクからもらった魔力のおかげで、わたしは浮き上がれているのか。
「モニクは、大丈夫なんですか? わたしに魔力を分けたりして」
「わたしは大丈夫です。やはり、あれだけ急激に魔力を失ったセーラ様の方が、危険な状態でした。ロルフ兄さまなんて、大慌てでしたもの」
そうなんだ。あのロルフさんが。顔がにやけそうで困る。しかも、聞き捨てならない単語がモニクの口から出た。
「ロルフ兄さま、なんですね?」
「こ、これは……」慌てるモニクに意地悪するつもりはなかった。
「和解できたんですね」
「ええ。呪いのお話もありましたけれど、それだけではなくて。
あなたとセブラン様が行ってしまわれた後、しばらくして、ロルフ兄さまが帰ってきました。そして、わたしの言葉を聞いたら、ロルフ兄さまったら、『追いかける』と言い出して。わたしはまだ、許せませんでしたから、腹が立ちました。
『ジゼル姉さまを助けなかったのに、セーラ様は助けるの?』なんて、わたしは意地悪な質問をしてしまいました。ロルフ兄さまは言いましたわ。『もうあんな想いはしたくない。どちらも助ける。だから、行くんだ』と」
モニクは本の上で重ねた手の上に涙をこぼした。
「終わった後も、少し話したのですよ。ジゼル姉さまはロルフ兄さまを助けたかったから、呪いに手を出したこと。ロルフ兄さまは自分を責めていましたわ。やはり、自分のせいであると」
責められるべきはわたしも同じです、とモニクは言う。わたしはうなずかなかった。違うと思っていた。責められるべき人なんていなかった。それに、時が経ち過ぎている。許されていいんじゃないだろうか。
「わたしとロルフ兄さまは同じですわ。それを言ったら、セブラン様が『わたしも入れてくれ』なんておっしゃるんですよ。『わたしもきみと同じ罪をつぐなっていきたい、一緒に』なんて」
何だろう。わたしにはプロポーズの言葉に聞こえてしまったけれど、モニクはそんなふうに取っていないようだ。
「わたしをなぐさめるために、素晴らしい方です」
遠回しではモニクにはうまく伝わらないらしい。セブランさんは結構、苦労するのではないだろうか。そんなふたりを思うと、ほほえましかった。
「あの、ここはどこなんですか?」
辺りを見回すとカーテンの開いた窓、閉まりきったドア、わたしが横たわるベッドの横にはサイドテーブル、モニクの座る椅子がある。どれも知らなかった。
「ここはわたしの実家です」
モニクの話によれば、気絶したわたしは、この家に運びこまれたらしい。ずっと、ロルフさんが見ていたけれど、さすがに手当てを受けずにいるのは良くないということで、モニクと入れ替わったそうだ。
確かに、ロルフさんはひどい怪我をしていた。でも、本当に間が悪い。もう少し早く目が覚めていたら、ロルフさんと対面できたかもしれない。だけど、考える。キスの後に顔を合わせるのは、わたしの心臓が持つだろうか。自信ない。モニクがいてくれて良かった。
「ロルフ兄さまを呼んできますね」
「あ、もうしばらく待ってくれます?」呼吸を整えるから。
「ずっと、待っていたんですよ」
そう言われてしまうと、覚悟を決めないといけない。わかった、なんて、本当はわかりたくなかったのに答えた。
モニクが行ってしまった後に、床を鳴らす足音が近づいてきた。髪の毛の乱れを手ぐしで直したりして、意味もなく小さく咳をした。ドアが開く。青い瞳がわたしを見つめる。
荒い息づかい。すぐに耳元で聞こえるようになる。それは、ロルフさんがわたしを抱き締めたからだ。ぎゅっと体を絞られるような痛みと温かさに包みこまれる。身じろぎもできない。でも、「ロルフさん」と声をかけると、少しだけ腕の力がゆるめられた。
「あの、心配かけてすみませんでした。まさか、こんなに力を使うなんて自分でも思わなくて。それと、運んでくれてありがとうございます。重くなかったですか? あと……」
必死に言わなくちゃいけないことを探す。でも、うまく繋がらない。そんなことを言いたかったんだっけ、と自分でもわからない。
「きみがこんなに話す方だとは思わなかった」
「うるさかったですか?」
「いや。話すのは苦手なはずだったが、不思議ときみと話すのは嫌いではない。話ができなかった頃も通じ合っている気がしたが、こうして話をするともっと近づけるのだな」
わたしも思っていた。ロルフさんも同じ事を感じてくれていたなんて嬉しい。わたしは自分からロルフさんの背中に手を伸ばした。回しきらないけれど、ずっと、距離は近くなる。
「好きです」と言えたらどんなにいいか。たやすく言えないのは、わたしがずっとこの世界にいるわけにはいかないからだ。帰らなければならない、ロルフさんのいない世界へと。
それでも今だけは、忘れてもいいだろうか。ぬくもりだけを感じていいのだろうか。