ヤメ騎士さんとわたし
第48話『騎士の姿』
剣を手にしたロルフさんを、実際に目にしたことはなかった。だから、驚きを隠せない。騎士の服を着ていないというのに、構えただけで様になる。失礼かもしれないけれど、本当に騎士だったのだ。
剣さばきに無駄がない。男が速度を上げて、闇の玉を投げつけてくる。そのすべてをかき消していくのだ。
男は手を止めた。隙をつくとばかりにロルフさんは男との間合いを詰める。わたしも「勝った」と思った。払った剣先が男に当たる。しかし、すんでのところで男はかわす。逆に隙のできたロルフさんに闇の玉を当てた。
「ロルフさん!」
ロルフさんは当たる寸前に、剣を胸の前に構えて、闇の玉を受け止める。それなのに、闇の玉の周りにうずまくオーラのようなものは消えなかった。服をずたぼろにしていく。ロルフさんの頬に一筋の赤い血が浮かんだ。
たった一発食らっただけだ。なのに、ロルフさんは剣を地面に突き刺して、杖がわりにした。もはや、立っているのも辛いのだ。肩で息をし、鼻からは空気が漏れていた。
わたしはロルフさんの背中に手を当てた。怪我をしている場所を避けて、さすった。少しは良くならないかと思えて。ロルフさんがわたしを見つめる。片目の瞼が傷ついていた。胸が潰れるほど痛かった。
「……セーラ、逃げろ。俺が食い止めている間に、逃げるんだ」
息も絶え絶えになっているのに、ロルフさんは自分のことなど考えていない。わたしに逃げろと言う。魔法も使えなくて、足手まといなのはわかっている。どうしたらいいのだろう。ずっと、わたしはそればっかりだった。当事者になろうとしなかった。
どうしたらいいのかなんて、わかりきっている。わたしが炎を操り、燃やしつくしてしまえばいいのだ。単純なことだ。でも、やるとなったら、それが一番、難しい。
わたしたちの会話を敵であるはずの男は黙って眺めていた。笑い飛ばせるくらいに余裕があるのだ。
「言っておくが、ここで逃がせても俺はこの女を殺すよ」
「なぜだ。もう、彼女のなかには、魔女はいない。関係ないだろう」
「もうそんなことは問題じゃない。俺はこのなかにあるジジイのような考えを持ってはいない。国を支配するなんて、ちっぽけだ。国だけじゃない、この世界を壊すんだ。その前に、危険分子は残らず、処分しておかなければならない。きっと、邪魔になる。だろう?」
「だろう?」じゃない。そんな話は冗談ではない。ロルフさんをこんなにしたのも腹が立っている。わたしにも暴言を吐いた。忘れるわけがない。黙っていられるわけがない。
それにまだ、わたしにはロルフさんと話したいことがある。真っ先に「ありがとう」と言いたいし、「よくもやったな」と恨み言も吐きたい。後は、この受けてきた恩を少なくても返したい。
だから、わたしは手のなかに炎を作る。定まらない炎の高さや揺らぎは、わたしの未熟さのせいだ。炎を安定させるにはどうしたらいい? ダリヤ式の答えを探す。もし、ダリヤだったらどう行動するだろう。
わたしは想像して、両手に炎を広げた。横に広がった炎を見下ろして、思い切り顔をうずめる。炎を信頼しなければ、うずめたりできない。結構、勇気がいる。端から見ていても可笑しかったのだろう。
「セーラ?」
わたしは炎から顔を上げると、ロルフさんに笑って見せた。
「大丈夫です。それより、あの…… 」
わたしは炎をいったん消して、ロルフさんに耳打ちした。提案をした後に「できますか?」とたずねると、「ああ、できる」と頼もしい答えが返ってきた。
「わたしを信用してもらわなければいけませんけど」
「その点は大丈夫だ。信用している」
ロルフさんがわずかに微笑んだ。その姿が眩しくて、ここが戦いの最中である事実を忘れそうになる。もう、好きだ。どうにでもしてほしい。
現実に引き戻したのは、男の「そろそろ、いいかな?」という声だった。せっかくいい気分だったのに台無しだ。闇の口から玉が浮かぶとき、戦いははじまった。
ロルフさんは地面から剣を引き抜き、怪我をしているとは思えない速度で間合いを詰めた。その間にわたしは呪文を唱える。一度、瞼を落とし、詰めた息を吐く。
瞼を開けると、揺らぐ炎が定まった。わたしのなかでも炎を扱う感覚が変化した。思い通りに動いてくれると信じられる。もしかしたら、魔法で一番大事なのは、信じることなのかもしれない。
両手に炎を広げて、腕を上げる。この呪文は、ダリヤがただ一度だけ、わたしに見せてくれた。ロルフさんが闇をかき消してできた敵の無防備な隙。剣では間に合わない隙に、わたしは炎をたたきこむ。
――「わたしのも上乗せしてやるよ」
ダリヤも力を貸してくれる。まだ、ダリヤもいたのだと、嬉しくなりながら、一層強く大きく炎は燃える。わたしは頃合いだと、炎を手放した。ロルフさんもろとも、炎に包まれていく。炎に焼かれる男の叫び声が上がった。
しかし、その声も炎に飲みこまれた。辺りも炎の残りが燃えた。わたしは倒れた。意識はあったし、ロルフさんがどうなったのか、確かめたかった。起き上がろうとするけれど、体が重い。背中に岩でも乗せているかのようだ。
「セーラ」
ロルフさんは炎に焼かれなかった。煙のなかでたたずんでいた。できるかどうかは賭けだったけれど、男が警戒しないのはこうするより他なくて。
太い腕がわたしの体をすくいあげる。背中と膝裏に腕を回されていて、抱えあげられた。
「大丈夫でした?」
「ああ、大丈夫だ。よくやったな」
もうそれだけで飛び上がりそうなほど喜べる。体はぼろぼろだったけれど。「よくもやった」に顔がふやけてしまう。かなり締まりのない顔になっているだろう。
「もう、いいな」
その呟いた意味は何なのか。問いかける前に、顔 には影が差して、口元に何かが重なった。やわらかくてちくちくした。瞬きしたら、終わっていた。
「ロルフさん?」
それはもう一度やってきた。触れただけで、今度はわたしも自覚してしまった。勘違いなんかじゃない。ロルフさんとキスしてしまっている。しあわせすぎて、ふわふわする。真っ白になる。
「セーラ。実はな……」
ロルフさんが何か言いかけていた。けれど、最後まで聞けなかった。わたしの意識はそこで飛んでしまったのだ。