ヤメ騎士さんとわたし
第46話『魔法の戦い』
魔法を極めたふたりの戦いは、展開が速かった。
顔と顔とが触れられるくらいの距離で、魔法が放たれる。わたしは、ダリヤに迫ってくる闇に驚いて、一瞬、目をつむってしまう。距離を開けても、炎と闇がぶつかり合う。ふたりの間に煙が立つ。まるで、踊っているように軽やかにかわす。
しかし、無傷ではいられなかった。男が扱う闇の玉は、周辺にオーラをまとっていて、それに触れるとナイフのように切り傷を作った。ダリヤの炎は、男の服の裾ととんがり帽子のつばを焼き、腕には少しのやけどを残した。
お互いに一歩も退かない。ダリヤは地面に転げながら闇の魔法をかわす。
ダリヤはしゃがみこんだ状態から腰を上げようとした。その時、どくっと強い心音が鳴った。こんなことは、はじめてだった。ダリヤはうずくまったまま動かない。うめく。胸の辺りをかきむしる。
「どうした、ダリヤ?」
男の余裕そうな声にも、ダリヤは反応しなかった。ダリヤがうつむいていては、この男が今何をしようとしているのかわからない。
――「ダリヤ!」
わたしは必死で呼びかけた。ダリヤが立ち上がってくれなければ、わたしの体もあの魔術師の弟子と同じように消えてしまう。それはもはや、死ぬことだ。
「セーラ。ここで、体を明け渡す、ことになるとは、思わなかった、よ。でもね、あんたなら、できるはずだ。わたしは、それだけのことを、見せてきたつもりだよ」
息切れを起こしたかのように途切れ途切れな言葉の断片を拾った。でも、意味はわからない。
――「何を言っているの?」
「もし、声に迷ったら、聞いちゃいけない。ひとつの声だけにしぼるんだ。わかったね。もう……」
ダリヤは言葉の後に、右に傾いて崩れ落ちた。セブランさんの声がダリヤの名を呼んだ。目の前は闇の魔法を受けたかのように、真っ暗になった。やがて、セブランさんの声も遠くなった。
死ぬということは、無なのだろうか。何もできず、真っ暗な中で、魂だけがさまよっているみたいな感覚なのだろうか。
遠くで声が聞こえた。あまりに遠すぎて「……ラ」としか聞こえない。その声をかき消すように横から大きな声が上がった。
「魔女さん」と嫌みったらしい女の声がする。口々に別の声がわたしを「魔女」だという。間を待たずに声が重なっていく。罵声に変わった。わたしは耳をふさぎたくてたまらなかった。やめてと言いたいのに声が出ない。ますます、声は重なる。うるさくなっていく。
どうしたらいいのだろう。声が邪魔をして考えられない。まさに、声に迷っている。迷う?
――「もし、声に迷ったら、聞いちゃいけない。ひとつの声だけにしぼるんだ。わかったね。もう……」
ダリヤの声を思い出した。そうだ。今がその時だと思えた。集中して声をしぼっていく。耳で探っていくような不思議な感覚だった。ひとつふたつ、重なった声が離れていく。だんだん、マシになってきた。
聞き分けられるようになると、違和感に気づいた。「魔女」と呼ばれているなかで、ひとりだけ違う名前が聞こえている。わたしはその声だけに集中する。やっと、ひとつの声を見つけた。
「セーラ!」
――「ロルフさん」
忘れようと思うたびに、ロルフさんは現れて、わたしの心にとどまろうとする。だから、いつまで経っても忘れないのだ。忘れずにいてしまうのだ。だけど、今は素直にロルフさんの声に導かれよう。
瞼を開けると、わたしは誰かの腕のなかにいた。肩に腕を回されていて、その誰かの顔を至近距離で見てしまった。
「ロルフさん」思ったより頼りない、かすれた声が出る。
ロルフさんの震える右手がわたしの頬を撫でた。ぎゅっとしわの寄った眉間が離れていくのを見つめた。
笑ってくれるかと思いきや、ぽつりと小さな雨が降った。ロルフさんの顔から落ちた滴に、わたしの方が驚いた。指を軽く動かして、手をロルフさんの顔に持っていく。涙腺に浮かぶ涙を指で拭った。
「セーラなのだろう?」
ロルフさんに言われてわたしも気づいた。先程から自分の体を動かしているのはわたしだ。指も細かいところも動く。そして、少しずつ自分が置かれている状況が思考にどっと流れてきた。
「ダリヤは!」ロルフさんに掴みかかる勢いで、たずねた。ロルフさんは首を横に振る。「わからない」と続けた。
「俺が来た時にはきみが倒れていて。夢中で駆け寄った」
ロルフさんの背後にはモニクもいた。モニクはシールドを張ってくれていた。だから、こうして、邪魔されずに話せていたのだ。
ダリヤに呼びかけても声はしなかった。でも、わたしの奥で眠っていることにしたい。気配は感じなくても、ダリヤがここにいると信じたい。
わたしはロルフさんに支えられて立ち上がった。シールドにはひびが浮かび、いつ崩れてもおかしくはない。
「ロルフさん、わたしはどうしたらいいんでしょう?」
ダリヤはわたしならできると言った。だけど、できるなんて思えない。ダリヤのように魔法を扱うなんて無理だ。
「俺が何とかする」
「何とかするって」
相手は魔法を扱ってくる。申し訳ないけれど、元騎士だとしてもかなわないだろう。魔法を使えるモニクの力も限界に来ていた。シールドが消えかかっている。
「今度こそ、どちらとも助けるつもりで来た。この村人たちも、セーラ、きみも」
それは、うぬぼれてしまいそうになるほどに嬉しかった。ロルフさんに選ばれたという事実が後押ししてきた。わたしは単純かもしれない。できるとは思えないと言っていた魔法に、挑戦してみたくなったのだ。