ヤメ騎士さんとわたし
第42話『魔法反射』
坂を下り、森の奥へと潜っていくと、森での方向感覚はなかった。木々に表情はなく、すべて同じ景色に見えてしまう。こうなっては、自力でロルフさんの家まで戻れない。もう、戻る理由はないのだけれど、帰る場所がないことを想像すると、淋しかった。
頭の後ろからセブランさんの息づかいが聞こえてくる。ロルフさんと馬に乗ったとき、かなり手加減されていたのだと思い知った。セブランさんは先を急いでいた。気をつかう余裕がないのだろう。自分一人で乗っているかのような荒い乗り方だった。平坦ではない、岩や土を越えると、どうしても体はふらついた。
しかし、どれだけ荒い乗り方だとしても、魂のわたしは寝てしまえるということだ。その点に関しては、魂のままで良かったのかもしれない。
ふたたび目が覚めたときには、夜になっていた。石と木で組まれたたき火を囲んで、みんな座っていた。どうやら、森は越せたらしい。それは良かったけれど、ここで野宿をするつもりだろうか。街道横の雨風もしのげない、この場所で。
――「村や街には寄らなかったの?」
街道横で野宿なんて物騒だ。なぜ、こんな場所になったのか、わたしは知らなかった。
「セーラ、あんたはのんきだねぇ。まだ、今日は終わらない。少し休憩した後に、出発して、村まで行くらしいよ」
聞かなければ良かった。まだこれから馬を走らせるらしい。野宿でも休める方が良かった。騎士のみなさんだって、顔のしわを深くして、お疲れな感じだ。セブランさんはたき火の番をしながら、火を見つめ、何かを考えているようだった。誰もものを言わない。その中で、周りの雰囲気など気にしないダリヤは口を開いた。
「セブラン、あんたはロルフを許せたって言ったね」
セブランさんが顔を上げると、炎が顎の辺りを照らした。思考中の邪魔をされたけれど、不機嫌にはなってはいないようだ。
「ジゼルのことか? その話をわたしはした覚えがないのだが、モニクがしたのか?」
静かな声でたずねてくる。ダリヤがうなずくのを待って、セブランさんは長いため息の後に言葉を続けた。
「しばらくは許せなかった。あいつが騎士団を辞めると言い出した時も、腹立たしかった。妹を選ばなかった男が英雄とされ、その心中は罪悪感で支配されていると知っていた。あいつにはすべてを背負っていて欲しかった。苦しめばいいと。だが、ジゼルの手記が考えを変えさせた」
セブランさんはぼろぼろになった文庫本ほどの手記をダリヤに投げて寄越した。
「読んでも?」
「ああ、読んでくれ」
ダリヤは後ろ側の真っ白なページからめくっていった。最期の文章までたどり着き、手を止めた。手記はこう締められていた。
『どうしたら、ロルフをせめられる? 病弱なわたしは、ずっと、ロルフの荷物だった。
ロルフはわたしのことだけを好きじゃない。あの人は国やそこに住む人たちが好きなの。あの人は誰かを助けることでしか生きられない人なの。
わたしが呪いたかったのはわたし自身。わたしの命と村の命で、ロルフが悩むのは見たくない。先の短いわたしが命を捧げるの。
だから、ロルフにはずっと、誰かを助けていってほしい。騎士団として、誰かの希望であり続けてほしい。わたしが好きになったのはそういう人だから』
恨み辛みが書かれていると思っていた。でも、違っていた。ロルフさんに対して、どれだけ愛していたかわかるような文章だった。好きな人が悩まないように自ら呪いを受けただなんて、こんな悲しいことがあるのだろうか。
「セブラン、あんたはわたしが呪い殺したことも知っていたんだね」
「ああ、有能な魔女なんてあなたぐらいなものだろう」
ジゼルさんの手記にはダリヤのことも書かれていたのかもしれない。
「許してくれるのかい?」
「そうだな。皆を救ってくれたら考えてもいい」
皆とは、セブランさんの故郷の村を言っているのだろう。
「それくらいでいいなら容易いもんだ。あんたたち、剣を抜いて見せてくれないか」
「何をするつもりだ?」
もっともな質問だと思う。ダリヤはいつも説明が足りないのだ。セブランさんの問いかけに、ダリヤは笑みを浮かべた。
「魔法をかけてやろうと思ってね。魔法反射っていうんだけど。これがあれば、大抵の魔法は打ち返すことができる。高等な魔法は無理だけど、無いよりはマシさ」
「セブラン様、この魔女を信じてもいいのでしょうか?」
「やっぱり、何ていっても、魔女ですからね」セブランさんの部下のふたりがしぶっている。
「しかし、魔法を反射できれば、対抗できる力となるだろう。わたしはやってもらおうと思う」
「嫌ならいいんだよ、魔法で丸焦げになりたいならね」
セブランさんの言葉を受けて、さらに追い打ちをかけるように、ダリヤは意地悪く言った。セブランさんの部下ふたりは顔を見合わせると、やがて、ダリヤに目線を移す。
「せ、セブラン様がそうおっしゃるのなら、わたしも」
「わたしも」
セブランさんの一声でふたりも納得したようだ。3人分の剣が、ダリヤの前にそろった。
「では、はじめるかね」
ダリヤは呪文を唱え始めた。時折、人差し指を使って剣の表面に文字か、絵を描いていく。その時は、騎士ふたりもムッとした。ダリヤはその様を見ながら、逆撫でするように微笑む。ますます騎士がムッとするかと思いきや、目を見開いて動きを止めた。隣の騎士が頭を殴ると、その固まった顔が動き出した。惚けていたらしい。
剣の表面に青白い文字が浮かんでいく。ダリヤの記憶を通してわかるのが、『魔法反射』という文字だった。青白い文字が消えていくと、ダリヤは呪文をやめた。
「これでいい」
「もう、いいのか?」セブランさんはたずねた。
「きっちりやろうとすると、もっと時間がかかるが、少しの間の効果だったら、これくらいで十分だ」
「そうか」
セブランさんを含む騎士たちは、剣をおさめた。部下のふたりは、やっぱり半信半疑といった顔をしていた。しばらくの休憩の後に、一行はたき火を始末した。馬へとまたがり、ひづめの音を立てた。村までは、もう休まない。一気に突き進むのだ。