ヤメ騎士さんとわたし
第40話『嫌な予感』
瞼を開けたとき、両肩が捕まれていた。ベッドに背中を押しつけられて、身動きが取れない。自分の体を動かせるようになったはずなのに、重いものに、のしかかられている。
――「ロルフさん……」
目の前にある必死な表情は、「セーラ!」と、わたしを心配してくれた。どうにか、自分も応えたくて唇を開こうとするのだけれど、ダメだった。
「まったく、何てことをしてくれたんだい!」
わたしが声を出したわけではなく、主導権はダリヤのままだった。珍しく魔女が声を荒げたものだから、ロルフさんも面食らったようだった。
「どういうことだ?」
「どうもこうも」
「お、俺はただ、セーラが目を覚まさないから、起こそうとしたまでだ」
「それが迷惑なんだ。今、セーラは目を覚まそうとしたんだよ。でも、あんたが邪魔をした。目を覚ます前に、わたしを起こしてしまったんだ」
「す、すまない。今度は邪魔しない……」
「何度もできるもんじゃないんだよ、魔術っていうのは。セーラのことを考えたら、またしばらく時間を置かなくちゃならない」
ダリヤの切羽詰まった声は、わたしの心を重くした。今回を逃したら、また、わたしの「副作用」は進行する。ほとんど、目を覚まさない時間が流れるのかもしれない。わたしの知らない間に、すべてが動き、終わっていたらどうしよう。魂が消えてしまったら、元の世界に戻るどころか、自分すら無くなってしまう。
魔女のお説教を食らったロルフさんは、肩から手を離し、眉尻を下げた。しゅんとしている。大きな体を縮こませている。相当、こたえたのだろう。
「し、知らなかったんだ。すまん、セーラ」
わたしに向けて謝ってくるから、魔女も毒気が落ちたようだ。
「まあ、あんたがこんなにセーラを心配するとは思わなかったよ。自分がどれだけ必死だったか、わかるかい?」
ダリヤはニヤニヤしながら話しかけた。いつもの面白がりだ。
「それは」
「わかるわけないさ。無意識だったんだろ。勝手に体が動くなんて、よっぽどあれだね」
「よっぽどあれとは、何だ?」ロルフさんは低い声を出して、ムッとする。
「言いたかないね。わたしの口からは二度と言いたくない言葉さ」
わたしも気になったのだけれど、ダリヤは「さあさあ、行った行った」とロルフさんを遠ざけた。しぶしぶと、ロルフさんはベッドから離れて、暖炉の前に向かった。
「というわけで、魔術は失敗した。次にできるのは3日後くらいか」
――「お城ではもっと、短い間隔でやっていたけど」
ほぼ毎日、魔術を受けていた気がするけれど、何か違うのだろうか。
「連中はあんたの体のことなんて、気にしちゃいないさ。あんたの体のなかでも、副作用は起きていただろ? 体がだるかったり、頭が痛かったり、しなかったかい?」
体の不調は、魂の融合がはじまったからだと思っていた。でも、違っていたのかもしれない。重なる魔術がわたしの体に負担をかけていたのだとしたら、不思議ではないと思った。
――「魔女でも、ちゃんと、気づかってくれるんだね」
「気づかいとは違うね。一応、あんたには借りがあるんだ。あんたがいなけりゃ、わたしは外に出られなかった」
想像する。ダリヤはずっと、魂として封じられてきた。連中の相手をしながら、時折、脅しをかけながら、生き長らえてきた。それは、しあわせだとは思えない。思おうとしても、牢屋で過ごすような苦痛の時間でしかない。
「まあ、罪滅ぼしで連中を殺して回るのもいいんだけどね、こいつはあんたに返さなくちゃならないから、やめておくよ」
まったく、放っておくと物騒な方法を考える魔女だ。だけど、冗談だとはわかっていた。わかっていたから、わたしも「そうして」と笑えた。
――「ロルフさん、落ちこんでないかな?」大きな背中が丸まっていたのを思い出して、心配になった。
「はは。そりゃいい。落ちこんでしばらく浮上しなきゃいいんだよ」
ダリヤはおもしろそうに笑う。わたしとすればロルフさんの落ちこんだ姿は見たくない。どっしりと構えた気難しい猟師のままでいてほしい。
「あれだけ突っついたんだ。今は違うことを考えてるさ」
ダリヤの言葉の意味は、理解できなかった。ロルフさんは今、何を考えているのだろう。わたしのことではなく、もう、違うことを考えているのだろうか。それはちょっと、複雑かもしれない。せめて、今日くらいは、わたしのことだけを考えていてほしかった。
それから、さらに、2日が経った。2日もだ。朝起きて、「いよいよ、明日、魔術をかけようか」とダリヤが宣言した。ロルフさんには「絶対に邪魔するんじゃないよ」と、圧力をかける。ロルフさんは「わかっている」と、真剣な顔でうなずいた。
やっと、自分の体がわたしの元に戻ってくる。明日が待ち遠しい。
考える。体が戻ったら、まず何をしよう。ロルフさんと話したい。お城でのこととか、ダリヤのこととか。もしかしたら、話したいことが渋滞して、話せないかもしれない。だけど、それはぜいたくな悩みだった。これまでは、話す権利すらなかったのだ。ダリヤに拾ってもらわなければ、わたしの言葉はないのも同じだった。
わくわくしながら朝食を終えた頃、森は騒がしくなった。駆けてくる蹄の音がする。
「何だい? やかましいねぇ」
不審がったダリヤが窓をのぞくと、そこには白馬と栗毛の馬に乗った騎士の姿があった。白馬から降りた騎士には見覚えがある。わたしたちがお城から逃げ出すのを手助けしてくれた。
「セブラン様が、迎えに来てくださった!」
モニクは、さっさと汚れた布と木のバケツを片付けはじめた。モニクの輝いた瞳は、見ているこちらも微笑ましくなってしまう。だけど、ダリヤの見方は違った。
「どうも嫌な予感がするねぇ」
魔女には特殊な力でもあるのだろうか。凡人のわたしは、まったく嫌なものを感じ取れなかった。