ヤメ騎士さんとわたし
第39話『光を掴む』
ロルフさんの家に来てから3日が経った。最近、わたしは意識を飛ばすことが増えた。知らないうちに昼寝をしていたりして、気づいたら夕方になっていたりする。どんどん、起きている時間が減っているのがわかる。このまま減っていけば、そのうち、わたしは目が覚めなくなるかもしれない。想像すると不安だった。もやもやと胸のなかに取り巻いて、簡単には払われてくれない。
そんな不安を解消したくて、ダリヤに言うと、「そろそろかね」と危険をあおってくる。
――「何が言いたいの?」
わたしは強い口調で聞いた。
「時間は待ってくれないってわけさ。これは本腰を入れて、方法を考えるかねぇ」
そのやり取りから、ダリヤは家の外で青空を眺める時間が増えた。切り株に腰を落として、ぼーっと考え事をする。あまりに動きがないものだから、本当に考えているのかなと疑ってしまう。
わたしは「早くして」と急かしそうになる自分を抑えこんだ。この難題はダリヤにしか解決できない気がしていた。下手に刺激してはいけない。「あー、やめた」と言われたりしたら困る。何せ、相手は魔女なのだ。何が起きてもおかしくない。
ダリヤ以外のふたりといえば、相変わらずだ。ロルフさんはマイペースで、狩りの時間になると、誰にも告げずに森に入っていった。モニクは几帳面を生かして、てきぱきと働いた。基本の掃除や洗濯はもちろん、料理までこなすのだ。わたしも手伝いたかったけれど、ダリヤに支配されているので、何もできなかった。
今日も時間だけが流れていく。気づけば、森は赤く照らされていた。ロルフさんが獲物を抱えて帰ってきて、小屋に入っていく頃合いだ。坂を上がり、家へと近づく大きな体が見えてくる。
「お帰りなさい」と言ってみるけれど、ロルフさんに届いたためしはない。わたしは「そんなものか」と返ってこない事実を噛み締めた。
ダリヤの声は届いた。「ちょっと、聞きたいことがある」と、ロルフさんが小屋に入るところを引き止めた。
「体を清めたいんだけど、その井戸の水は使っていいのかい?」
ロルフさんは一瞬、固まった気がした。目を丸くしてダリヤを見る。
「その体を、洗うつもりか?」
「当たり前だろ。わたし以外どうやってこいつを洗うのさ。で、いいのか、ダメなのか」
「ああ、好きにしろ」
ロルフさんはいつもの無表情に戻り、小屋のなかに入っていった。わたしはふたりの会話に掴めないものを感じた。奥歯にはさまったパンのかけらみたいに、すっきりしなかった。
井戸の水をキッチンにいたモニクに温めてもらい、ダリヤは服を脱ぎだした。人の支えを失った黒いドレスはかたちを崩して、足元に落ちた。
現れたのはわたしの貧相な体だ。お城住まいで、だらしなくなったお腹が悲しい。
お湯を桶に注ぎ、布を浸して絞る。首から肩、腕までを一気に拭いていく。胸やお腹も、足先まで丁寧に拭いた。お風呂には敵わないけれど、やっぱり清潔というのはいい。できれば、髪の毛も洗いたかったけれど、またの機会になった。黒いドレスをもう一度、着る。魔女の姿になったとき、ダリヤは一息、置いた。
「さあて、準備は整った。モニク、しばらく、寝台を借りるよ」
いや、あのベッドはロルフさんのものだろう。そう思ったけれど、「ええ、どうぞどうぞ」とモニクは快く応じた。モニクと話していると、時折、ロルフさんの奥さんみたいな感覚になる。だから、色々言い合えるのかもしれない。うらやましいとは思いたくないけれど、ちょっとだけ、思っている。
ダリヤはベッドを借りると言った。何のために借りたのか、まったく想像がつかない。夕食も取らずに早めに寝てしまうということなのか。明日の朝いちで、何かしようというのか。ダリヤの行動がよくわからない。たずねても、「黙っていてくれるかい」だけ。
ベッドに横たわったダリヤは、まるで祈りを捧げるように指を組んだ。そして、視界を断つ。暗い空間が広がっていく。わたしは戸惑いながらも、ダリヤと同じようにしていた。
ダリヤが呟きはじめた。聞き取れないのは、呪文を唱えているのだろう。魔術をはじめようとしている。それだけはわかった。
暗闇のなかに、ぽつりと小さな点のような光が落とされた。その点を中心として、上下にも横にも光の線が伸びていく。まるで呪文で動かされているみたいだ。点が穴へと広がりを見せていく。わたしはその光の穴が導いてくれるような気がした。手を光にかざしたいと思ったけれど、どうにも体の感覚がない。本当に魂だけの存在なのだろう。
わたしは諦めて光が視界をすべて覆うのを待った。闇の隙間が無くなる。光だけが満ちていく。
「セーラ、目を覚ますんだ」ダリヤの声がはっきり聞こえた。
――目を覚ましていいの?
「そう。今から、あんたの体はあんたのもんだ」
――本当にわたしのものになるの?
「ああ、そうさ。ずっと、そうだっだだろ?」
確かに、魂が融合する前は、わたしはわたしを操っていた。普通に戻るだけだ。
「光を掴むんだ」
声の通りに、光を掴もうと手を伸ばしたら、本当に指先が光に触れた。一度、手を開いて、ぎゅっと握りしめると、光が指の間からこぼれていく。光がくっついて、わたしの手から離れない。引っ張られていく感覚だ。わたしは抵抗しなかった。きっと、その先がわたしの目指す場所だと思えたから。
「さあ、目を開けるんだ」
目を開ける権利が、今のわたしにはある。ダリヤの声に素直にしたがう。目を覚ます時だ。わたしはセーラとして、瞼を開ける。柊木犀良として、ロルフさんと、この世界と対面する――そのはずだったのに。
「セーラ!」
声がすべてをさえぎった。