ヤメ騎士さんとわたし
第38話『呪い返し』
呟いた言葉の意味をたずねたかったけれど、とても聞ける雰囲気ではなかった。わたしの声はダリヤ以外の他の人には聞こえない。それでも、ダリヤに独り言を言わせるのも変だし、後にしようと思えた。ふたりきりになったら、聞いてみることにする。
窓の外の雨は、ますますひどくなっていた。地面を叩きつける雨のなかをロルフさんは出ていってしまった。きっと、ゼオライトがいる小屋に行ったのだろう。淋しいけれど、ロルフさんが信頼を寄せているのはゼオライトなのだ。
こういう時、魂だけのわたしは無力だ。改めて感じる。寄り添いたいときに近づくこともできない。少なくともわたしは許せると伝えることもできない。自分の体なのに、どうにもならない。悔しい。それが今のわたしだ。
モニクは何事もなかったようにキッチンに引き返す。ダリヤはソファーに腰を下ろし、ひじ掛けに頬杖をつく。世界を繋いでいる瞼を閉じられてしまうと、辺りは音だけになる。ぼうっと燃える音と、ざあっと雨の音が混じって聞こえた。
お互いが頭を冷ますように、交わらない時間がしばらく流れた。
どれくらい経っただろうか。ダリヤはふたたび、瞼を開いた。暖炉のなかに入れた薪が崩れた。暖炉の明かりが主張しはじめる頃、「食事にいたしましょう」とモニクの声がかかった。
家の主人がいないのに、勝手に食事をするのは抵抗がある。でも、モニクはロルフさんを呼びにいこうとはしなかった。まだ、腹を立てているのかもしれない。ダリヤも主人がいないことを気にかける様子もなく、ソファーから腰を上げた。
ダリヤとモニクは向かい合って食事を取る。モニクが作ってくれた、いものスープは美味しかった。保存肉をハーブと一緒に煮こんだおかげで、やわらかく食べられた。
片付けの時はダリヤを説得して、モニクに協力してもらった。本当にしぶしぶだったけれど、モニクに感謝されて、ダリヤは満更でもなかったはずだ。「魔女が片付けなんて、世も末だねぇ」なんて、笑いながらも手伝っていた。
夜になっても、ロルフさんは家に戻ってこなかった。モニクは床でも眠れると言ったけれど、ダリヤは「寝台に寝ときな」と、うながした。
「でも」と、モニクはしぶる。
「ここじゃ、身分なんて関係ないだろ。わたしはまだ寝ないし、寝るとしても暖炉の前で寝るよ」
ダリヤはそんな勝手なことを言っていたけれど、わたしの心のなかは複雑だった。暖炉の前のソファーは、よくロルフさんが寝ていた場所だ。ベッドをわたしにゆずって、夜の間、暖炉の番をしていてくれた。朝起きた時には、大きな背中を見つけて安心していた。そのことが思い出されて、ぎゅっと胸が締めつけられる。モニクがわたしの気持ちを知るわけがない。
「では、お言葉に甘えて、休ませていただきます」
モニクは靴を脱ぎ落として、ベッドに上がる。ダリヤは興味を失って、暖炉の前のソファーに腰を落ち着けた。
ふたりきりとなって、わたしはようやくダリヤと話せると思った。
――「ジゼルさんのこと、知ってるの?」
ずっと、引っかかっていたのだ。「ジゼル」さんの名前をモニクが出してから、知っているように呟いていた。
「まあね。ちょっとした知り合いだった」
――「知り合い?」
「わたしには客がいたんだよ。ほとんどがあの男からの斡旋だったけど。その客の一覧のなかに、『ジゼル・アヴリーヌ』の名があったのさ」
頭を整理する必要があった。魔女の客というのは、つまり、呪いをかける側のことだ。そのリストのなかにジゼルさんがいた。呪いで殺されたとモニクは言っていたけれど、呪っていたのはジゼルさんのほうだった。でも、呪いで亡くなった。どういうことなのだろう。
ダリヤに聞いてみると、「呪い返しだろうね」ときっぱり言った。呪い返し? その辺りをたずねると、ダリヤは教えてくれた。
「呪った相手から反撃を食らったってことさ。それで、そのジゼルが誰を呪っていたか思い出そうとしていたんだけど、さっぱりわからない」
会ったことはないのかと聞いてみれば、「あるんだろうけど、覚えちゃいないねぇ」と答える。だけど、わたしはあまり魔女のいうことを信じられなかった。モニクの話によれば、ジゼルさんは優しくて素晴らしい人だった。魔女に頼って誰かを呪い殺す必要があるのだろうか。
「まあ、呪いをかけるなんて、よっぽどのことさ」
――「確かにそうかもしれないけど」
ジゼルさんのことを想像してみる。病に倒れてから呪いをかけたのか。呪いをかけたから病に倒れたのか。その辺りの詳しい話は知らない。
だけど、呪う相手は誰なのだろう。もしわたしだったら、誰を選ぶだろうか。そう考えた時に、ある人を想像してしまった。もし、婚約者に選ばれなかったとしたら、その想いを呪いにぶつけたとしたら。こんな悲しい想像はしたくない。これ以上は考えたくなかった。
ダリヤとの話が一通り済んだところで、ロルフさんは家に戻ってきた。
「あんたの分の食事は取っておいてあるよ」
ダリヤの軽やかな声にも、ロルフさんはむすっとしていた。わたしといたときに、こんなに気難しい顔をしていただろうかと考える。あまり無かったけれど。
ぐっしょり濡れた靴で歩を進めて、泥を置き去りにする。「あっ」と思わず声が出る。モニクは綺麗好きだ。後始末をするときに、怒られるかもしれない。だけど、ロルフさんは気にした様子もなく、キッチンに向かった。
しばらくして、湯気が美味しい匂いを運んでくる。ロルフさんは「うまいな」と呟いた声が聞こえた。モニクは料理がうまい。そこだけはロルフさんも認めざるを得ない。どれだけ仲違いしていても、当分は一緒に生活する。もし、一歩でも半歩でも、ふたりが歩み寄れるなら、いいと思う。
翌日、モニクの叫び声で目が覚めた。
「何ですか、これ! こんなに泥だらけにしてしまって、ちゃんと靴を拭いてから家に上がってくれます!」
「俺の家だ。勝手だろう」
ロルフさんは家を出ていってしまった。ダリヤは「やかましいねぇ」なんて、呑気なものだ。ふたりが歩み寄るのはまだ難しそうだった。