ヤメ騎士さんとわたし

第36話『故郷の英雄』


 ロルフさんの髭は伸びてきていた。あんなにさっぱりしていたくせに、猟師のロルフさんに戻ろうとしている。いくらか、頬がこけて見えるのは気のせいだろうか。青い瞳が眩しそうにこちらを見ている。フードを被っていないから、雨粒が髪の毛や眉毛、髭にまでついてしまっている。

 この姿に、ずっと、会いたかった。でも、会いたくなかった。

「きみは……」

 ロルフさんはまたひとつ確かめようとしていた。ダリヤはわたしにしたがって、黙ったままでいる。お互いに次の言葉が出てこない。にらみ合っている状態を変えたのは、モニクだった。ロルフさんの視線がわたしから外れて、横に移った。

「ロルフ様」

 後ろから追いついてきたモニクはダリヤの隣に並んだ。しかも、さも知り合いであるかのように、ロルフさんを呼んだのだ。

「モニク? なぜ、ここに?」

 眉がつり上がりそうだった。ロルフさんの口から、親しげに「モニク」だなんて。どういう繋がりか、知りたいけれど、話に割りこむ勇気はない。完全に外野となったわたしは、見守るしかできないのだ。モニクは話を続ける。

「セブラン様からお話を聞いていませんか?」

「ああ、ある人物を預かってほしいとだけ聞いた。まさか、モニクも、とは聞いていなかった」

 「ある人物」には心当たりがある。でも、名前で呼ばれないのはかなりきつかった。もう、「セーラ」と呼んではくれない。やっぱり、わたしは歓迎されていない厄介者なのだ。事実は、ずっしりと重い。会わなければ、知らずに済んだ。会いたくなかったのは、このことを恐れていたのだと思う。逃げ出したいわたしをよそに、ふたりだけでわかるような会話をする。

「セブラン様らしいです。わたしがいれば、ロルフ様は追い返すこともできないでしょう。いくら嫌でも、受け入れていただけるでしょうね」

 含みのある言い方だった。過去にモニクと何かあったのだろうか。わたしの知らない何か。ふたりにしかわからない、何かがある。

「わかっている。元々、追い返す気はない。だが、俺は誰の側に立つ気もない。勝手にしてくれ」

 ロルフさんは言い放つと、わたしたちの横を通りすぎていく。わたしの方をまったく見ない。まるで、たたずんでなんかいないように、振る舞うのだ。

 あっさりとした再会だった。感動とは行かないまでも、「大丈夫だったか」とか、「すまなかった」とか、色々想像していた。そのすべてがなかった。ロルフさんはモニクとだけ会話して、家に入っていく。扉が閉まると、ダリヤは小さく息をもらした。

「モニク、そろそろ、あんたとロルフの関係を教えてくれないかい?」

 わたしが気になっていたことをダリヤは聞いてくれた。モニクは顔を上げて、遠くの方に視線をやった。

「ロルフ様はわたしの故郷の英雄でした。あるお方と婚約を結ばれ、皆、歓迎したものでした。わたしは下っぱの使用人ふぜいですが、あのお方は幼い頃からわたしに妹のように優しく接してくださったのです。しかし、あのお方が天に召され、ロルフ様は変わってしまった。ここにいるのは、ロルフ様ではありません。情けないただの、猟師ですわ」

 モニクはおそらく、怒っていた。いつになく、饒舌で、「あのお方」の名前を正確に口にできないほど、感情が高ぶっているようだ。それ以上は話したくないらしく、モニクは立ち止まらなかった。

 ロルフさんの家に入るのを、ダリヤは黙って見守った。

「さあて、どうするかねぇ。面白いのは好きだけど、ややこしいのは嫌いなんだ」

 ――「こんなところでわたしに託さないでね」

 本当に困る。いきなり自分の体に戻って、ロルフさんの目の前に立つ自信がない。

「そっちの方が面白そうだけどねぇ」

 ダリヤは傍観者でいる方が好きなのだ。わたしだって気楽な方がいい。

 ダリヤがロルフさんの家に足を踏み入れた時、ぎすぎすした雰囲気の真っ只中だった。ロルフさんは暖炉の番をして、窓際のモニクは窓の外を眺めている。どちらの肩を持っても、地獄な気がする。だったら、第三者として見守るのが正解かもしれない。

 ようやく動き始めたのは、暖炉前の大きな体の方だった。ロルフさんは身じろき、「夕食は?」と、ぶっきらぼうに問いかけた。モニクはため息をついた。

「肉はあります? ハーブは? 野菜があれば、なおいいのですが」

「保存肉がある。ハーブもある。いもがある」

「わかりました。わたしが作ります」

 モニクはローブを脱ぐと、ロルフさんに渡した。「乾かしておいていただけます?」なんて言うのだ。ロルフさんはうなずいて、暖炉の前のテーブルにローブを広げた。わたしだって、ロルフさんに頼みごとなんてできなかったのに、うらやましい。

 モニクは腕まくりをすると、キッチンの方に消えていく。

 ダリヤもローブを脱いだ。テーブルに置くときに、ロルフさんが無口な顔でこちらを見てきた。何か言いたげに見てくる。髭に囲まれた口が開いたり閉じたりしてくるものだから、こちらは気が気じゃなかった。気づかってくれているのかと、良いように想像してしまう。いっそのこと、「お前は厄介者だ」とか、暴言を吐かれた方が希望を持たなくて助かったかもしれない。

 わたしが考えをめぐらせている間に、ダリヤはロルフさんの態度に耐えかねたらしい。

「あんたねぇ、さっきから、はっきりしなよ!」

 ――「やめて!」

 わたしの抗議も空しく、ダリヤはロルフさんの胸ぐらを掴んだ。もちろん、ロルフさんの足は地についていて、上げることはできなかった。でも、そうしかねないほどの勢いをダリヤは持っていた。

「視線だけであんたの言いたいことなんて、わかんないからね! 言いたいことがあるなら、はっきり口にしな!」

 もう、嫌われたのは決定的だった。ロルフさんの青い瞳が瞼に隠れていく。眉間にしわが寄っていく。そして、再び、瞳が現れた。目の中心が、少し潤む。揺れる。

「……きみは、魔女だろう。セーラはもう、いないんだな」

 この時、ようやく、ロルフさんの気持ちを理解できた。不謹慎かもしれないけれど、わたしがいないと思って、声を落としている。それだけでロルフさんの想いを知るには、十分だった。わたしは目覚めたい。ロルフさんの目の前に立って、「わたしはここです」と、言いたかった。

 だけど、今ロルフさんの前にいるのは、魔女ダリヤだ。

「そうだよ。この体は今、わたしのもんだ」

 ダリヤの宣言で、わたしは完全にいないことになった。
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