ヤメ騎士さんとわたし

第32話『魔女の家』


 早々に街道からそれた。小道を行く。この頃には人の姿はなく、道の上にはダリヤとモニクだけになっていた。

 街道の途中で、行商人から買ったローブをモニクは着ていた。反対にダリヤは、とうとうフードを外した。「まったく、邪魔でしょうがない」とか、ぶつぶつ言いながら。幸い追っ手は来なかったから、フードが無くても大丈夫だった。

 冬の冷気を手のひらの炎で暖めながら、ふたりは進んだ。夕闇が来る前に目的地に到着した。

 そこは、小高い丘に作られた集落だった。ロルフさんと行った集落よりも柵のなかは小さめだ。でもその柵もぼろぼろで、境目の意味がなかった。

 崩れた門の先に足を踏み入れなくても、人が住める状況ではないのがわかる。

 家々の壁は崩れ落ち、屋根はなかった。花壇は枯れ果て、雑草でまみれている。何より恐ろしかったのが、大木の枝から垂れ下がるロープだった。しかも、1つではなく、いくつもあった。枝には鳥がいたけれど、他人のように枝から見ているだけだった。

 集落の端には墓石がたくさんある。どこもかしこも静かだった。

「静かになっちまったねぇ」

 ダリヤの記憶を通して見る集落は、にぎわっていた。人々は魔女を恐がらず、むしろ、薬や何かで頼っていたらしい。

 魔女ダリヤは、おばあさんと一緒に暮らしていた。

 普通に暮らしていたなかを、とんがり帽子を被った連中が襲撃した。集落の人のなかでも、魔法の心得を持った者もいたけれど、不意打ちの襲撃に太刀打ちはできなかった。人々は爆発や炎に命を落としていった。ダリヤは集落の人の命を救う代わりに捕まった。それなのに、村には誰も残ってはいなかった。

 モニクは黙っていたけれど、白い息をもらした。

「この村をわたしも知っています。協会の連中が魔女狩りをした村です。それまでひっそりと暮らしてきた村人たちを、彼らは殺していきました。そして、後に、聖なる戦いとしました。ですが、わたしにはどう見ても、聖なる戦いだとは思えません」

 確かに、ダリヤがやってしまったことの罪は大きかった。村をひとつ殺すほどのことをしてしまったかもしれない。でも、協会の人間が村人を殺す理由はわからない。

 モニクもきっと、「聖なる戦い」の意味がわからないのだろう。こんな人殺しは魔女のしたことと何ら変わりがない。魔女を攻める資格すらないと思えた。

 しばらく風に吹かれてから、次に話を切り出したのはダリヤだった。

「さて、わたしらは用を済ませてくる。いいかい、モニク?」

「ええ、わたしはここでお待ちしています」

 モニクは野花をお墓に手向けて回ることにしたらしい。指を組んで祈ることも忘れない。かつて、彼女も協会のなかにいた。罪の意識を感る心があるのだとしたら、協会にいられないのも無理はない気がした。あのお城にいたおじいさんみたいの精神ではないと、たぶん心が潰されてしまうだろう。まともではいられない。

 だから、モニクがここにいることは良かった。心を潰されず、綺麗なまま、そこにいることが何より嬉しい。

 モニクを置いて、ダリヤが向かったのは、村の一番奥にある廃墟だった。広い庭があるのは、結構な金持ちだったのかもしれない。エントランスもあり、天井の大きな穴から光が差しこんできた。シャンデリアは崩れ落ち、食器は床で破片になっていた。

「ここがわたしの家だったんだ」

 ――「へえ、こんな広いところに」そんな簡単な感想しか言えなかった。魔女の家のイメージは森の奥の小屋とか、ツリーハウスとかだった。でも、こんな豪邸だとは思わなかった。

「金はあったからね」

 うらやましいと一瞬思えた。けれど、人を呪い殺して建てた豪邸だとしたら、おぞましく見えてくる。

「こんな広くたって、わたしひとりしか住んでなかった。使用人もいなかったんだよ。悠々自適というやつさ」

 ダリヤは気にしていないようだったけれど、ひとりで暮らす寒々しい部屋を想像した。わたしには耐えきれないかもしれない。

 ダリヤは家の記憶をいちいち回ることはしなかった。迷わず、1階の奥の部屋まで歩く。

 部屋の扉は、なくなってしまっているから、足を踏み入れる前からわかっていた。内部は荒らされていた。

 棚の引き出しはしまわれずに、服の布が垂れ下がっている。クローゼットは開けっぱなしで、ドレスが床に張りついていた。破かれた本が机の上にさらされて、インク瓶が倒されていた。協会の面々が金目のものや魔女に関わるものを持ち出したのかもしれない。

 ――「ひどい、何でこんなことができるの」

 いくら相手が魔女だって、まるで空き巣だ。ダリヤは「人間なんて、そういうもんさ」と、軽く言う。だけど、わたしは納得できない。盗んでいく人間の気持ちも、それを簡単に受け入れるダリヤの気持ちも、理解できない。でも、人の気持ちをどうすることもできないことは、わかっていた。

 部屋の隅に移動すると、ダリヤはしゃがみこんだ。何をするのかと聞いたら、「まあ、見てな」としか言わない。わたしも見ていることしかできないのだけれど、ダリヤはじゅうたんの端っこを豪快にめくる。すると、床に扉があった。じゅうたんの下に扉があるなんて、秘密の部屋のような予感がする。

 ダリヤは腕に力を入れて、扉の取っ手を引く。持ち上げるのに近いかもしれない。扉を上に開くと、どこまで続くのかわからない、闇の口が現れた。階段があるのは何となく見えたけれど。

 ――「どこへ行くの? 暗くない?」

 ダリヤはわたしの心配をよそに、手のなかに火を作った。階段を降りて、壁がけの燭台に炎を灯していく。すると、いくらか明かりができて、階段の輪郭を浮かび上がらせた。

 ダリヤは靴音をさせて、階段を降りていく。窓もない地下はますます静かだった。聞こえてくるのは、ぼうぼうと燃える音と靴音だけだ。どこまで深く潜るのだろう。階段の先に、何が待っているのだろう。

 ようやく階段が無くなり、ダリヤは足を止めた。手の中の火を、壁かけの燭台に移す。その瞬間、火が燭台から伸びた導線を駆けめぐる。火は部屋の壁、天井の周りを描いたかと思うと、すべての燭台に明かりが灯した。部屋の内部が浮かび上がった。

「ようこそ、魔女の部屋へ」魔女は部屋の内部を手で示した。
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