ヤメ騎士さんとわたし

第29話『魔女の視点』


 ――瞼を開けたとき、わたしは台座の上で寝ていた。辺りは薄暗く、松明の明かりがやたらと多かった。

 着ていたのは野暮ったい白い服。どうしてこうも袖にも余裕があって、動きにくそうな服なのだ。袖をまくり上げなければ、手が出ない。

 仕方なく袖をまくり、手にはめられた指輪を眺めると、唇が噛んだ。この指輪は過去に、男からもらったものだ。死ぬまで身につけていたなんて、バカが過ぎている。

 しかも、どうせ、この金目のものは、わたしの死体からはぎ取られたに違いない。それをわざわざ探しだして、このような使い方をした。こんなものがあるから、遺恨を残す。面倒を引き起こすのだ。

 とっとと捨ててしまえ。指輪を抜き取った。手のなかに丸めこみ、闇に向かって投げ捨てた。

「おい、何をしておる!」

 人の顔にツバを飛ばす勢いの老魔術師。わたしを牢屋に閉じこめた一味のなかに、この顔があったのは記憶している。名は何だっただろうか。そこは覚えていない。

「何を、とは?」わたしはわからず、問いかけた。

「言葉がわかるのか?」

「ほう、わかるわかる。手に取るようにわかる」

 バカにしてやれば、老魔術師の顔が歪んだ。それも少しの間だけで、笑みを浮かべようと不器用に口の端を上げた。

「なるほど、あの小娘がやりおった。あなたはダリヤ様ですな」

 この老魔術師の言うとおり、わたしはダリヤだった。つい先程の夢のなかで、セーラとわたしの魂は融合した。そこで勝ったのはわたしの魂だった。

 心の奥に、セーラが体を丸めて眠っているのはわかっている。いつかは目覚めてくれる気がしている。だから、その時が来るまでにセーラの安全を確保するのが、わたしの使命であるような気がしていた。

 老魔術師は自分が優位に立とうと余裕があるように笑うが、内心はそう穏やかではないだろう。向こうの出方次第では、力を使わなければいけない。

 使えば、セーラは怒るだろう。だが、セーラをこの城から出すには、手荒な真似もしていかなければ、無理だ。話せばわかるというような連中ではない。

「ああ、わたしは魔女、ダリヤだ」

「やはりそうでしたか。ダリヤ様、その体はどうですかな?」

 へらへらと老魔術師は機嫌をうかがってくる。だが、老魔術師の後ろにいたガキが、呪文を唱えている。わたしの気をそらせている間に、呪文を完成させるつもりだろう。わたしが気づかないとでも思ったのか。おろかだが、愉快ではある。

「まずまずだ。お前がこの体をわたしの元に寄越したのか?」

「ええ、それで……」最後まで話を聞く気はなかった。

「これだけいる人間のなかで、セーラを選んでくれたことは、感謝してやるよ」

「ありがたい、お言葉で」

 これっぽっちもありがたいなど思っていないだろう。ガキの方から呪文の完成を知らす気配がやってきた。やっと、魔法ができたか。遅いくらいだ。老魔術師がガキをちらっと見た。はじまりの合図だった。

 魔法で作られた風は、わたしの体を取り巻く。この風に触れれば、“かせ”が生まれる。基礎的な人の体を封じる魔法だ。おもしろいではないか。

 わたしは自分から風に触れた。手首に青白い蛇が巻きつく。動きを止めると、固い手かせが生まれる。手かせつきの両手が腹の前に寄っていく。両手がくっついて手錠の完成である。

 魔女の自由を奪ったことで心が大きくなったのだろう、老魔術師はこびる姿勢を崩した。

「ふはは、ダリヤよ。無様だな。人を殺め、恐れられた大魔女がこのような姿に!」

「無様か。その無様な魔女に教えをこう気なのだろう。少しは敬意を持ってもらいたいものだな」

「魔女ごときに敬意など払う必要もない。方法を簡単に聞き出せるとは思っていない。だが、実体を持った魔女を痛みつけることは可能だろう。わしの力でお前を意のままに操る。なんと素晴らしいことか!」

 そのために、セーラを使ったか。自分は傷つかず、安全な場所で、命令しているだけ。わたしが反撃することを恐れ、自分の弟子にやらせる。卑怯、そのものだ。

 卑怯な男の末路は、どうなるのだろう。簡単だ。わたしは奴のもくろみをたやすく破り、男の心をぶち壊す。欠片さえ残さないように燃やす。ああ、久しぶりに気持ちがよい。セーラには申し訳ない……などとは、微塵も思わない。わたしは魔女だ。人が恐れるほどの。

「いいね。やってやろうじゃないか」

 まずは、手始めに見えない炎を作る。その炎を手かせに集中させる。青白い蛇を溶かすに近い。ぼろぼろに形を崩し、焼きつくす想像をする。すると、せっかく作ったはずのかせが溶けた。愉快である。

「さあて、このわたしをお前ごときの魔術師が、痛めつけられるのかねぇ?」

「な、な」な、しか言えなくなった老魔術師は哀れである。弟子も目口を開けるだけで、役に立たないようだ。

「ほら、やってみなよ」やれるものなら。

 老魔術師は我に返ったように、しわくちゃな瞼を広げて、「皆の者!」と、仲間を呼んだ。わらわらと松明の間から人が現れる。

「食らえ!」

 大量の火の玉が放たれた。軌道を描いて、こちらに向かってくる、一度、食らってみようかと思った。食らって、相手が安心したところを反撃して、絶望に変えてやる。いつもやってきた通りだ。

 だが、今は自分の体ではなかった。セーラの体だ。傷つけてはならない。火の玉を避けながら、松明を倒していく。松明からこぼれた火が、じゅうたんを燃やしていく。わたしは人ではなく、天井に爆発を当てた。

 魔法に耐えかねた部屋が、天井から崩れだしていく。辺りに砂やがれきが降ってくる。魔術師たちの群れは隊列(元々なかったが)を崩し、我先にと、逃げ惑う。入り口を塞いでしまおうか、手を構えたとき、

 ――「手荒なことはしないで!」声が聞こえた。

 とうとう、セーラが目覚めたらしい。もうちょっと、寝ていてくれてもいいのに。戦いは終わっていない。まだ、体は譲れないのだ。

 一瞬、迷った。その間に、老魔術師が放った雷がわたしの頬をかすめた。危ない。直撃したら頬の肉がえぐれていたかもしれない。手加減は必要なさそうだ。

 ――「ちょっと、聞いてるの!」

 セーラの声に気をそらさず、わたしは瞼を伏せる。手のなかに炎を作った。膨張していく炎を解き放つべく、腕を振りかざした。瞼を開けた時、すべては炎に飲みこまれた――。
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