ヤメ騎士さんとわたし

第28話『進む』


 結局、体のだるさが取れるまでに、さらに2日もの時間がかかった。魔女という異物を自分のなかに受け入れるには、そのくらいの時間が必要だったのかもしれない。

 7日目。すっかり体調が戻ってしまったために、会談は、はじめられた。

 目が覚めたのは、鉄格子に囲まれた部屋だった。こうやって、交互に自分の思い出の場所になるのが、恥ずかしい。今度はダリヤの番だった。

 牢屋は相変わらず、不潔でみすぼらしい場所だった。ダリヤはボロ着でなく、ピンク色のドレスをまとって輝かしく立っていた。

「久しぶりじゃないか」

 元気そうなダリヤに、ため息がこぼれる。会談が久しぶりとなった理由は聞いてこなかった。おそらく壁からわたしの記憶をのぞき見たに違いない。だとしたら、わたしのなかに浮かんだ疑問についても、わかってくれるだろう。

「何で教えてくれなかったの? 触れたら融合が進むってこと」

「大体、わかるだろ? あれだけ成長したんだからさ」

 言葉を理解できることが成長なのか、わからないけれど、自分のなかで変わっている自覚はあった。ただ、融合の結果とは知らなかった。むっとなるのは仕方ない。

「このままで行くと、長くはかからないで、完全に融合しちゃうの?」

 ダリヤは「そりゃそうさ」と、うなずいた。

「ここまで来たからには、そうかからないだろうね。わたしたち、めちゃくちゃ相性いいんだよ」

 服装も手伝って、下手な占い師のように見える。ダリヤと融合するなんて、どんな気分なのだろう。人の魂が自分の魂にくっつく感覚を知らない。だからこそ、少し恐い。ダリヤをどんな人か知っても、恐さは消えてくれないのだ。

「どうにか、ならないのかな、止める方向に」

「なったって、悪いようにはしないよ」

 完全に悪人の言い方でこっちが笑ってしまう。

 ダリヤと色んな話をしてきたからか、彼女の悪い部分を少しはわかっているつもりだ。過去に騙された男に対しては、簡単に許せそうにはないようだった。けれど、他人を呪い殺したという自分の行動には、後悔を感じているように思える。だから、この言葉を言っておきたくなったのかもしれない。

「もし、融合ができて、わたしの魂がダリヤに負けたとしても、悪いことはしないで」

「何で?」

「何でも。人を傷つけないで。人生をやり直すと思って、今度はしっかり歩いて」

 魔女相手に諭すとか、意味はないかと思う。でも、本当にダリヤには、正しく生きていってほしかった。魔法を良いように使えたら、魔女の見方も少しは変わっていくはずだ。甘いと言われるかもしれないけれど、そこだけは譲れない。

「人がいいなあ、あんたは」

 ダリヤは、わたしに向けてほほえんだ。何かを噛みしめるようにうなずく。

「わかったよ、考えとく。まあ、わたしが勝つなんて保証はないし、あんたが勝つ場合だってある。そうしたら、魔法を使い放題だ。逆にあんたの悪い部分が大きくなって、悪いことに使うんじゃないか?」

 それはどうだろう。力を持ったら、感情が変わってしまうのか、わたしにはわからなかった。魔法が使えたとしても、動機がない。あれやこれやをしたい、気持ちがわかなかった。良い意味でも、悪い意味でも。

 過去をさかのぼってみても、強い動機はなかった気がする。目の前の現実をこなすことだけに必死になって、自分の内側とは向き合って来なかった。もし、ダリヤに勝てたとしたら。わたしにチャンスがあるなら、できるだけ良い道を選んで進みたい。ちゃんと、動機を持って。

「力を使うとしたら、やっぱり、元の世界に戻りたいかも」

 元の世界に戻って、職業魔女とかどうだろうか。冗談のようなものだけれど、そう軽く考えれば、融合が堅苦しいものではなくなる。

「戻る方法を教えるって言ったっけ?」

「教えなくても、ダリヤの記憶も魂のなかに入ってるでしょ? だから、それを見てしまえば、帰り方がわかるはず」

 わかってしまえば、もうこの世界にとどまる必要もない。ちらっとロルフさんの大きい背中を思い出したけれど、過去だと感情の向こうの方に払った。そうすべては過去だ。思い残すものはないはずだ。

「言うねえ、何も言えなくなっちまったよ」

「やった、勝った。もし元の世界に帰るときはダリヤも一緒かもね」

「いいじゃないか、面白そうだ」

 ダリヤが案外、狭い世界で生きていたことは知っている。自分のいた世界が特別に広いとは思わないけれど、きっと、色んなものが見えて来る気がする。魔女として悪く生きていくのがバカみたいに思えてきたりして。それを見るのは楽しいかもしれない。

「ちょっと、進んでみるか?」

 ダリヤはすぽっと手袋を引き抜くと、白い指をわたしの前に差し出した。

「うん、してみる」

 あれだけ恐かったのに、一歩先に踏み出した。

 わたしは手が届くところまで歩いた。3本の指が、ダリヤの手のひらに触れる。視界だけで触れたのがわかった瞬間、牢屋は白い光に包まれた。眩しくて見ていられない。たまらず、夢のなかを閉じる。薄暗い部屋よりもさらに暗い底に落ちていく感覚だ。

 もう後戻りはできない。上がれない。わたしは意識を失った――。
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