ヤメ騎士さんとわたし

第26話『実践』


 早速、実践してみようか、ダリヤはそう言った。口で説明するより、実際に力を見せてくれるらしい。そちらの方がわかりやすかった。

 ダリヤは「じゃあ、これ見て」と、手袋をしていない手のひらを差し出してきた。何のへんてつもない、皮膚に覆われた手でしかない。火種になるようなものがのっているわけでもなかった。

 しかし、ダリヤが小さくつぶやくと、手のひらの中心に小さな火の玉が浮かぶ。つぶやきは呪文だったのだろう。力の引き金となったのかもしれない。生まれた火の玉は、手を握りかけると小さくなって、逆に広げると大きくなった。ダリヤの手の動きに合わせて、火は大きさを変えるのだ。

「次は炎にしてみようか」

 ここからさらに火の玉を大きくするという。わたしはあまり信用していなかった。というより、頭のなかで整理できていなかった。何もないところで火が生まれ、また、炎に変わるなんて、信じられない。どうやったら、証明できるのだろう。偉い科学者の人なら、わかるのだろうか。

 混乱するわたしを置き去りにして、ダリヤは聞き取れないほどの小さな声で、呪文を唱えた。赤い唇から息を吐くと、ぼうぼうと音を立てて火の背が伸びる。暖炉のなかで薪を燃やしたときのような炎が手の上にのっている。炎は、ダリヤの顎につくくらいのシロモノだった。わたしの頭のなかに疑問が浮かぶ。

「実際やっても、熱くないの?」夢のなかで大丈夫だろうことは、何となくわかった。だけど、現実の世界ではどうなのだろう?

「わたしの手は大丈夫。こんなことをしてもね」

 ダリヤは自分の顔を勢いよく炎にうずめた。わたしは悲鳴を上げかけた。けれど、ダリヤはまったく平気な風で、「ひゃははは」と変な笑い方をした。炎にうずめながらである。

 ダリヤは顔を上げても、やけどひとつ負っていなかった。

「まあ、あんたは死んじゃうかも」

 夢のなかだから、熱は感じないけれど、こんなのをぶつけられたら、無事でいられる保証はない。ダリヤは手に炎をのせたまま、こぼさないように腕を上下させたり、横に振ったりした。

「すごい」本当に魔女だったのだ。

「ははは、まだまだ。これは基本。呪文を複雑化すると、こんな感じ」

 ダリヤはまた呪文を唱える。今回は長くたっぷりと時間を使った。ていねいに両手を重ねて、離すと、炎が分裂する。それぞれの手を強く握ったかと思うと、両腕を上げて、勢いよく振り下ろした。しかも、ロルフさんの家を目掛けて。

「何してんの!」

 でかい炎が家の壁にぶつかる。でも、ただそれだけだった。炎は家の壁をすり抜けて、音もなく消えてしまった。夢のなかは壊れない仕様らしい。肩の力が抜けた。最悪だ。もう心臓が取れかかった。いまだに心音が暴れまわっている。

「何だよ、ここはあんたの夢のなかだろ?」

「そうだけど、やめてよ。ロルフさんの家を壊そうとしないで!」

 いくら風景の一部だとしても、大事なわたしの記憶なんだ。傷つけてほしくない。傷がつかないとしても、わたしの心の問題である。

「ごめんごめん」ごめんを繰り返す人は、絶対に心から謝っていない。

「だけどさ、これで恨み晴らせたんじゃない?」

 こんなことまで言ってくる始末で、反省の色はなかった。いまだに心音が騒がしいなかで、「まったく、全然!」と言ってやった。

「何度も言っているけど、わたしは恨んでいないから」

「そう? そりゃ残念」残念でもないくせに。また、思いついた疑問をぶつける。

「で、現実でも、本当に、こんなことできるの?」

「まあ、あんたの体を使えば、いけるだろ」

「そんな適当な……」

 融合して、わたしの手から炎が出るわけない。自分の手のひらを見ても、まったく普通だ。こんな薄い皮膚に、炎がのるとは思えない。訝しげなわたしに、ダリヤは「言葉だって話せるようになっただろ?」と言ってきた。

「そうだけど」

 だとしても、こんな強い力を使えるようになって、いいのだろうか。ダリヤは恐くならないのだろうか。自分のさじ加減ひとつで、すべてを破壊してしまうかもしれない。危うさを感じないのだろうか。

「そんな力を持って恐くないの?」

 ダリヤはまた火の玉を作り、上に投げたりして遊んでいるところだった。

「制御できるから恐くはないよ」

 火の玉が宙を回って、わたしの手に落ちてくる。両手ですくい上げると、火の玉は生き物のように、ぽんぽん跳ねる。破壊をもくろむ悪人というより、ただ、無邪気に跳び跳ねる子どものようだった。

「恐くなんかない、可愛いだろ?」

 可愛いといわれれば可愛いのかもしれない。目とかついていたら、マスコットにもなりそうな気がしないでもない。わたしが握りつぶすと、火の玉は消えた。広げてみれば、単なる手のひらだけになる。人の使い方次第なのは、確かな気がする。

「それで、あんたはわたしと融合する気ある?」

 ダリヤの問いに、肝心な答えがまだ出せていない。融合が恐い。自分でなくなることが恐い。

「融合しないっていったら、あなたは腹を立てて、わたしを殺すの?」

 腹が立ったから殺した。ダリヤは確か、そう言っていた。しかも、夢のなかで殺されるなんてどういう気分なのだろう。そもそも、どうやって?

「そりゃあ、殺すさ。利用価値が無かったらね」

「実体がないのに、殺せるわけない」

「実体がないから、相手の精神を殺すことができるんだよ」

 悪びれもしないダリヤの言葉にぞっとした。暗闇を背負うわけでもなく、ただ日常のように告げた。

「魂だけになると、身軽さ。この夢のなかを突き破ってあんたの精神まで行けちまう。やってみようか?」

 自分の夢のなかだというのに、ダリヤの存在感に負けてしまう。わたしはただ、ダリヤの青い瞳を眺めるしかできない。体が動かないのは、ダリヤが何かをやっているからなのだろうか。

 はあと息を吐いたのは、魔女だった。

「やらないよ。あんたがわたしと融合するならね」

「しない」

「いつまでそんなこと言ってるんだか。セブランと、話したんだろ?」

「もしかして、見たの?」

「見たとも」

「その後のあんたが傑作さ。半泣きで『モニク』とか言ってたね」

「泣いてない!」

「いや、泣いてた。ぐずぐず鼻を鳴らしてたよ」

 本当に、嫌いだ。この魔女。

「融合はしないとは言い切れないけど、まだしない」

 ずるいかもしれないけれど、まだ少し考えたい。セブランさんに相談もしたいし。

「はいはい」相手にしていないような言い方には腹が立つ。

「待って。実体がなくても魔法がつかえるなら、わたしを元の世界に返すこともできるんじゃない?」

「言っとくけど、ここは所詮、夢のなかだ。魔法も実体化しない。ちなみに、融合しても、しばらくは戻してやらない」

「何で?」戻してくるなら、融合するかもしれないのに。

「そりゃあ、色々、用があるんだよ」魔女の用なんてろくなものではない気がした。

「じゃあ、やっぱり融合しない」

「あっそ」

 本当にあっけなく、魔女は諦める。その後は、融合うんぬんの話はなく、ただ、魔女による魔法のレクチャーを受けた。魔女は杖がないとこれっぽっちしか出せないと、また、さらに恐い話をしていた。
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