ヤメ騎士さんとわたし

第25話『呪いの力』


 3日目。

 瞼を開けると、わたしは見覚えのある家の前に立っていた。外枠の白いもやが無ければ、その場所に戻ってきたのだと勘違いしてしまったかもしれない。木材で作られた家は以前も見上げたことがある、ここはロルフさんの家だった。

 仮に戻ったとしても、ふたたび家に入る勇気はなかった。「ロルフさん」とも声を上げたりしない。このまま家に寄らずに、後ろにある森の奥へと引き返す未来が見えた。それほど動揺していた。

 ここ何日かで、ロルフさんとどんな顔をして会えばいいのか、まるでわからなくなっていた。セブランさんから明かされたロルフさんの事実を持っていても、言葉が通じたとしても。どう振る舞えば自然なのだろう。胸のなかのモヤモヤした気持ちが長く居座っている。

 もちろん、ここは夢のなかだ。ダリヤと会うためだけの空間で、あのロルフさんがいるはずもない。やっぱり、魔女のダリヤが切り株に座っていた。以前、わたしが座って、眠ってしまったあの切り株だった。

 ダリヤが片手を上げて、こちらに挨拶をしてくる。昨日から魔女に対する抵抗感が少なくなっていた。不思議だけれど、いくらか話すと印象も変わってくるらしい。下品な言葉も、ダリヤの一部に過ぎない気がした。

「ここが、ロルフとあんたが過ごした家か」

 ダリヤは切り株から腰を上げて、しみじみと話した。感情の少ない青い瞳で家を見上げると、たるませた白銀の髪のまとまりが背中に落ちた。過ごしたとは、ちょっと言い過ぎなくらいだ。本当に少しだけしか一緒にいられなかった。役にも立たなかった。

「あんた、元気がないね」

 ダリヤに心配されるなんて、よっぽど態度に出ていたかもしれない。顔に触れてみるけれど、特に自分の側からは変化はない。ただ、胸の奥は明らかに違った。目の前には懐かしい風景が広がる。それと、最近のできごととを照らし合わせると、胸が潰れるように痛かった。喉から絞り出すように「わたしは、選ばれなかったんだ」と告げた。

「選ばれなかった?」

「うん、でも仕方なかったんだけど……」

「ロルフに捨てられたって? それが仕方ないって?」

 ダリヤはわたしの記憶を大体見てきている。ちょっとのヒントでもバレてしまう。対して、「まあね」というしかなかった。

 実際、こんなどこの世界から来たのかもわからないような人間を選ぶ方がどうかしている。セブランさんがあんなことを言っていたって、ロルフさんが迷う必要はなかったのだ。答えはすでに出ている。なのに、わたしは自分が被害者だと思ってしまっている。悲劇のヒロインなんて、柄にもなく。

「ああ、また、あんたも面倒な考えをはじめたわけね。わたしもそうだったけど。そんなあんたに、少しだけわたしの力を貸してやるよ」

「力って?」

「手を貸しな」

 白い手袋を抜き捨てると、ダリヤはわたしの手首を取った。無理やり手をねじってくるから、わたしはたまらず、自分から手のひらを上にした。

「質問に答えて。力って何?」

「さあ」

 「さあ」じゃない。ダリヤはわたしの問いに答えていない。手を握るダリヤの横顔に暗い影が差した。にやけた顔をしていたとしても、笑顔とは程遠い。今なら、魔女だとしてもすんなり信じられそうだ。

 わたしはひるまず、にらみつけた。質問にちゃんと答えろと、強く言った。聞いているのだか、魔女は「ははは」と軽く笑い声を上げる。そして、言葉を続けた。

「人を呪う力さ」

「人を呪う?」

「そう。わたしが最期にやった方法さ。このわたしがただで、死ぬわけないだろ。ちゃんと裏切り者には死よりもひどい罰を与えた。あんたもそれをすりゃあいい。そうすれば、全部良くなるよ」

「やめて」手を振り払おうとした。だけど、ダリヤの手は思いの外強く、腕が横に早く動いただけだった。

「何で?」ダリヤは素朴な疑問だというようにたずねてきた。

 心のなかの整理はつかないけれど、ロルフさんを傷つけたくない。恨んでいないのだ。ただ、悲しいだけで。選んでほしかったと思う自分が小さくて情けない。むしろ、それが申し訳なくて、胸の奥を支配している。未熟なわたしだけれど、一応、プライドはあるのだ。

「どうせやるなら、幸せを祈りたい」

 どこかのヒロインみたいに優しい気持ちから来るものではなかった。でも、魔女のように落ちぶれたくはない。人を呪ってまで生きていたくないのだ。

「幸せね。どこまでめでたいんだよ、セーラ。あんたは捨てられた。あいつは何とも思ってないんだ。あんたをこんな城に閉じこめて、平気なんだ」

「違う」

 否定しても確かではなかった。自分の目や言葉で確かめたことではない。せめて、ロルフさんの口から説得されていたら、受け入れられたかもしれない。話せないロルフさんの気持ちなんて、わかりようがないのが切なかった。

 わたしの複雑な気持ちをダリヤは見透かしているように、にやけた。だからって、魔女のささやきに惑わされてはいけない。どちらにしても、わたしの気持ちはひとつしかない。

「ロルフさんを呪ったりしない」

 手首を持つダリヤの力が強められた。あまりの痛さに骨に食いこんでいるのではないだろうかと思った。ため息が吐かれた。諦めたのは、ダリヤの方だった。

「こうも違うんだね。わたしたちはさ」

「そうだね」

 いきなり手が緩められて、わたしの腕は支えを失って落ちた。ダリヤは興味を失ったように、わたしから背中を向けて歩き出した。

 もしかしたら、ダリヤが期待していた答えではなかったのかもしれない。うなずいて欲しかったのかもしれない。ドレス姿の背中が落ちこんでいるように見える。魔女でも落ちこむらしい。らしくない魔女の行動に、わたしは言葉に迷った。

 自然の風景なのに、風は吹いてこない。どちらとも話さないと、静かな時間が流れる。

「呪文を考えていると、何でもできそうな気がしてた」

「考えて呪文ができるの?」

「できるさ。呪文にも組み合わせがあってね。自己流の呪文をいくつか作った」

「どんなの?」興味が出てきた。

「ちょっとだけさ。隣の部屋の話し声を聞き取れたり、宝石箱の鍵を開けたり。笑っちゃうほどしょうもないけど、そういうのを考えるのが好きだった。ばあさまが生きているうちは、そのくらいで良かったんだ。あいつと出会うまでは。また、同じ場面に会っても、わたしはあいつに呪いをかけてやるだろうね。そこがあんたとわたしの違いってわけだ」

 沈んだように見えたダリヤが、また起き上がろうとしている。魔女らしく、嫌味を持って、わたしの神経を逆撫でしてくるのだろう。それでこそ、魔女だ。どこか下品な言葉を待っている、自分がいる。

「わたしには呪いなんていらないからね」一応、念押しで言っておいた。

「わかったよ」

 魔女はあっさりと退いた。ふたりで顔を見合わせて笑った。

「で、あなたの力について話を聞きたいんだけど」

 流れで聞いてしまえという発想だった。セブランさんの頼みだ。わたしは忘れていなかった。たずねると、ダリヤは「まあ、いいけどさ」と言って、特に抵抗しなかった。
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