ヤメ騎士さんとわたし

第24話『信頼と名前』


「でも、このことは言わないで……」

 あのおじいさんたちには報告をしてほしくなかった。もし、言葉を理解できることを知れば、自由に動きにくくなる。できれば、ギリギリまで知られたくなかった。ダリヤから提案された「ここからの脱出」についても考えておきたかった。

「きみの立場は理解している。言葉が聞き取れることは切り札になるだろう。あいつらにはこのことを報告しない。モニクも、な?」

 セブランさんは、わたしの不安を拭うかのように、うなずいてくれる。

「もちろんです」壁際にたたずんでいたモニクさんも答えた。

「でも、モニクさんは報告するのが仕事じゃないんですか?」

「まあ、そうでしょうね」

 モニクさんは口元をやわらげて、あっさり認める。穏やかな視線はセブランさんに向けられた。

「しかし、わたしを雇っているのは、正式にはセブラン様であり、あの男たちではありません。セブラン様が話す義務はないとおっしゃれば、あの男たちに報告する必要はないでしょう」

「というわけだ」と、セブランさん。

 なるほど、わかりやすい話だった。それにしても、

「セブランさんとモニクさんって信頼しあっている感じがします」

「は?」モニクさんにしては間の抜けた表情でおかしい。

 気がついたかのように、「失礼を」なんて、口元に手を置いて、動揺したように目をさ迷わせる。セブランさんはといえば、特に変化を見せなかった。どちらかといえば、顎に指を当てて、どう会話が転がるか楽しがっているようだ。

 わたしは次の答えを待った。モニクさんが戸惑いがちに口を開く。顔を少しうつむかせているのは、恥ずかしさからだろうか。

「信頼しあっているというのは、少し間違いかと思います。わたしの方が一方的に信頼しているだけのことです。セブラン様とは長いつき合いで、同郷でして。領主のご子息ですが、わたしのような平民にもわけへだてない方でした。よく遊んでいただきました。城へのお勤めも、セブラン様が推薦くださったおかげです」

 モニクさんにしてみれば、セブランさんは恩人なのだろう。まるで、わたしがロルフさんに感じているものと同じみたいで、くすぐったい。

「わたしもモニクを信頼している。だから、セーラの言うことは正しい」

「そんなことは」モニクさんは謙遜という否定をする。

「いや、否定などしなくていい。信頼しているのは、きみだけだ。もうこの城には、友人もいないし」

「友人」といえば、ロルフさんのことだろう。

「あの、ロルフさんはセブランさんの友人ですよね?」

「友人というより、戦友だが、まあ、どちらも似たようなものか」

「戦友」同じ騎士団で、戦ってきたという意味だろうと思う。その戦友なら、ロルフさんの行動の意味もわかるはずだ。先程の話をさかのぼる。

「ロルフさんが脅しを受けていたという話は本当ですか?」

「ああ、聖魔術師協会はロルフに取引という脅しを持ちかけた。きみか、集落か、どちらかを選べと。ロルフは天秤にかけて、きみを選ばなかった。あの男は騎士の頃から、ひとりの命より大衆の命を優先してきた。それはわたしたち騎士には大事なものだ」

 天秤にかけられた。そして、秤から落とされた。ロルフさんは騎士として正しい選択をしたのだろう。選ばれなかった自分を想像すると、心がすさんで来るのがわかる。

「聖魔術師たちを滅ぼす方には行かなかったんですか?」強い言い方になってしまった。

「勝ち目のない戦いはしない。しかし、せめてもと、わたしにきみを託した。城まで出向いてまで、な。本当はきみを手放したくなかったのだろう。あの男は『頼む』と何度も言っていた」

「ロルフさんは、わたしを置き去りにしたくてしたわけではないんですね?」

「もちろん」その言葉を聞きたかった。ずっと。だけど、やっぱり、簡単には受け入れられなかった。選ばれなかった事実は事実だから、どうにも拭えない。

「でも、あの男はどうやったって、きみを選べない。昔から自分のことより他人のことを思いやってしまう。きみには気の毒だが、やってしまうんだ。それにつけこんで、脅してきたあのくそじじいを許せない」

 わたしも許せなかった。改めてロルフさんに浴びせられた暴言が頭のなかに浮かんでくる。ますます、あのじいさんと弟子が嫌いになった。

「どうにか、あのくそじじいを出し抜けないか、考えているのだが」

 出し抜く方法はおそらく、ダリヤが握っている気がする。それを伝えるには、ためらいがあったけれど、セブランさんの前なら大丈夫だろう。

「ダリヤ――魔女ですが、実はある提案を受けています。魔女の力を脅しに使って、城を脱出なんて、現実的ではないでしょうけど」

「魔女の力か」

「仮に脱出できたとしても、また、捕まってしまいそうな気がしますし」

「確かにな。聖魔術師たちをどうにかしないことには、脱出しても変わりはしない。しかし、もし……」セブランさんは自分の思考のなかに入っていった。

「まだ、確信が持てない。セーラ、できるだけ、その魔女から力について聞き出してくれ」

「力について、ですか?」

「ああ。魔女の力がどれほどのものか、知りたい」

 セブランさんの頭のなかでどういう結論が出たのかわからなかった。でも、話を聞くだけならできる。役に立てるならどんなことでもしたい。ただ、嬉しいのだ。

「わかりました、聞きます」

「頼む」

 セブランさんはソファーから無駄な動きもなく立ち上がる。マントの裾が舞う。そして、部屋を出ていった。残されたのは、わたしとモニクさんだけになる。

 わたしは言葉が通じるだけでなく、欲が出てきた。ダリヤは勝手に名前を呼んできたけれど、ちゃんと誰かと会話したい。名前を呼んでもらいたい。提案する前に、モニクさんの方が動き出した。

「お食事をお持ちしますね」

「待って、モニクさん」部屋を出ようとするモニクさんを引き止めた。

「はい」

 改まって自分の名前と向き合うのは緊張する。

「あの、わたし、ヒイラギセイラといいます。セーラと呼んでください。魔女と呼ばれたくないので」

 早まったかもしれない。もう少し時間が経ってから言えば良かったかもしれない。モニクさんと話したかっただけなのに。後悔するくらいの時間が流れた。

「わかりました、セーラ様。わたしのことも、モニクとお呼びください」

 「セーラ」と、名前を呼ばれただけで泣きたくなった。「魔女」じゃなく呼ばれることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。

「わかりました、モニク……」声がぶれて震える。

 「モニク」と親しく誰かを呼ぶことも。胸の奥が、ほっこりあったかいのは、夢のなかじゃないからだろう。ちゃんと、現実の世界で起きたことだからだ。
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