ヤメ騎士さんとわたし
第22話『壁の記憶』
本当に緊張感のない魔女だ。こっちはかなり気合いを入れて来たというのに、しまりのない顔でにやにやしている。
相変わらず、薄ピンク色のドレスと白い手袋を身につけている。白銀の長い髪をリボンで結んでいて、中間にたるみをもたせている。毛先を肩に流していた。
魔女の周りを見渡すと、小部屋だった。奥の四角い窓には格子がはめられている。日差しが通らず、乾きにくいのか、床や壁には苔が生えている。ベッドの上の黄ばんだマット、脚の欠けた椅子は、平行にならずに歪んでいる。背後は格子で塞がれている。牢屋といっても間違いなさそうだ。
「ここは何なの?」
わたしには心当たりがなかった。牢屋に入るようなことをした覚えがない。
「牢屋さ」
「それはわかってるんだけど、何でここに?」
「知りたきゃ、触ってみるといい。全部、わかるから」
「何を」とは言えなかった。昨日、ダリヤは言っていた。
――「こうやって、あんたの場所に手を触れると、何となく記憶が体に入ってくるんだよ」と。確かに、ダリヤは、わたしの記憶を自分の目や耳で体験してきたかのように語っていた。
おそらくこの牢屋は、ダリヤに関する場所だろう。壁か何かに触れば、記憶が体に入ってくるはずだ。
だけど、わたしも魔女のようにできるのだろうか。そんな現実とは思えないようなことができるのか、わからない。半信半疑だった。
魔女の記憶をたどるために、壁に手をついた。指の間を開き、力をこめた。目では壁に触れているけれど、夢のなかだからか、壁の冷たさも感じない。
しばらく、手をついたままでいた。特に自分のなかに変化はなかった。魔女の言葉をまんまと信じてしまった。だまされてしまった。
恥ずかしくて手を離そうとしたとき、わたしの手首をレースに包まれた手が握ってきた。
「瞼を閉じて、心を開くんだ」右耳から、魔女のささやきが聞こえてくる。
「また、わたしをだますの?」
「だまされたかどうか、やってみればいい」
魔女の言葉に乗ったわけではない。こんなものでできるかと思いながらも、なげやりに瞼を閉じた。視界はすっかり無くなった。
「光を見つけるんだ」
閉ざされた視界のなかで、声だけがはっきり聞こえる。小さな光が瞬いた。ダリヤが言ったのはこれのことかもしれない。
光に触れると、一気に頭のなかを映像が駆けめぐっていく。映像のなかに、ダリヤ本人はいなかった。きっと、ダリヤが見てきた記憶なのだろう。わたしは瞼を開いた。壁から手を離した。
「何か見えた?」ダリヤはたずねてきた。わたしはうなずく。
「何となくだけど、見えた。はじめはしわくちゃなおばあさんの顔。たぶん、あなたのおばあさんでしょ。でも、性悪の魔女じゃなかった。優しく笑っていた」
「そう。ばあさまはわたしにいつも笑いかけてくれた」
ダリヤの表情がやわらかく見える。おばあさんのことは好きだったのかもしれない。
「次に見えたのは……」その先は言いにくかった。口ごもるわたしに、「ばあさまの死だろ?」と笑う。なぜ、笑えるのだろう。
「あなたは男の人に支えられて、棺の前に立っていた。おばあさんの顔をのぞきこんで、子どもみたいに泣きじゃくった。死にたいって。男の人はあなたを抱き締めて『死ぬな』って言った。
その日を境に、あなたは闇の魔術を使うようになった。ドレスを着るようになった」
なぜ、魔女なのにピンク色のドレスを着ているのか。今ならすべてがわかる。ダリヤはおしゃれをしていた。捕まる寸前までしあわせだったのだ。
「おろかな女さ。男の優しい言葉にころっとだまされて、呪いを仕事にしてしまったんだ。しかし、男は、聖魔術師協会にわたしを売った。わたしだけ捕まって処刑されるなんて、バカな話だ」
この場所はダリヤが最後に過ごした牢屋だった。粗末なベッドの上で、ボロ着を纏い、死ぬときを待っていたのだ。
「でも、好きだったんでしょ?」
「好きだったね」
魂の融合とか、前の人の話とか、たずねられる雰囲気ではなかった。気まずいなかで、わたしは次の言葉を見つけられずにいた。時間だけが、ただ過ぎていく。ダリヤは立ち尽くしたままだ。
でも、たずねなくてはならない。このために来たといってもいいのだ。
「魂が融合したら、どちらかはいなくなっちゃうの?」
わたしとダリヤ、どちらの記憶が残るのか。気になるところではあった。
「わからない。わたしも融合したことがないんだ。でも、楽しそうだね」
ダリヤはどうして、笑えるのだろう。楽しそうだなんて言えるのだろう。
「恐くないの?」
「どっちみち死んでいるからねえ。死んでから先のことは知らないし、むしろ、興味があるよ。あんたとわたしの魂、どちらが残るのか。どちらが強いか」
「消えたら、どうするの?」
「消えたっていいだろ、別に。死ぬって案外、屁でもないんだよ」
屁でもないか。少しは胸に突き刺さったとしても、答えは簡単に変わらない。
「あなたと融合なんてしないから」
ダリヤは「ははは」と笑った。
「しないか。でも、しなければ、前の人と同じようになるかもしれないよ」
「前の人がどうなったのか、あなたは知らないの?」
「知らないね」
ダリヤは素っ気なく言った。
「融合しても、しなくても、地獄って」
どちらを選んでも、結局、ダメだなんて、希望がどこにもない。ダリヤはドレスの裾を揺らしながら、わたしの方を向いた。
「そうとも言い切れないよ。もし、わたしがあんたと融合して、本当に上手いこと、ふたつの魂が半々になったら……」
「なったら?」
「実体のあるあんたのなかに、わたしがお邪魔してさ。魔術を使いつつ、連中をおどすだろ。で、城から脱出するんだよ。いい考えだと思わないか?」
どこがいい考え? なんて言いたかったけれど、城から脱出するのは、考えてもみなかった。
「上手く行く気がしない」
「まあ、賭けみたいなもんだ。でも、どっちみち死ぬなら、あがいてみないとわからないだろ?」
「何か、今日は歩く名言集みたいで、魔女じゃないみたい」
「名言集? 何それ?」
ダリヤが目を丸くした。わたしも説明できずに、笑ってごまかした。
結局、時間が余ってしまい、ここの世界のこととか、城のこととか、途切れなく話し続けた。相手が魔女とか、偏見もなく、目の前のダリヤと話した。
夢が終わるとき、別れるのが少しだけ淋しく思えた。今だったら握手もできるかもしれない。ちょっと弱味を見せてくれると、簡単に信頼してしまう。どれだけわたしは単純なのか。あれだけ泣いたのに、わたしは懲りないらしい。