ヤメ騎士さんとわたし

第2話『雨宿り』


 猟師さんは森を知り尽くしているらしく、大きな歩幅からも、歩きに迷いがない。木々の間に道のない道が浮かび上がって見えているというか。わたしには見えないものが見えているというか。

 枯れ草や枯れ木に隠れた道は平らでないこともあって、素足で歩けば、切り傷もできた。

 それでも、追いかけるのをやめないのは、背後から聞こえる野犬の声のせいだ。一度でも足を止めれば、死が襲いかかってくるのだろう。

 だけど、わたしだって、そう簡単には死にたくはない。死ねない。命の方が切り傷よりも重い。そう言い聞かせれば、どうにか歩けた。

 どこまで来ただろう。息も上がって、頬の汗を拭う手は泥にまみれていた。疲れた。お腹が空いた。昼から朝ごはんがいいなんて思わないから、何か食べたかった。あと、ソファーか、ベッドの上でゴロゴロしたい。

 でも、現実は程遠いところにあって、今も森のなかをさまよっている。

 先頭の猟師さんは休みなく、ずっと歩き通しだ。鹿を肩にかけているくせに、歩幅は変わらないのだ。大きな体は見た目通りのタフさを持っていた。わたしもその半分でいいから欲しい。

 やがて、獣道から外れると、緩やかな坂に行き当たった。ごつごつした石が減ってきて、切り株もいくつか見えた。木々の間が広がってきて、いくらか歩きやすい。まるで、人の手で整備されているみたいだった。

 坂を半分くらい登ったところで、木で作られた家が見えてきた。屋根に石造りの煙突が立っていて、壁は丸太が横に組まれていた。しかも、上下を交互に重ねた丸太は壁の角のところで少し出ている。

 これが猟師さんの家なのだろう。自分で建てたのだとしたら、本当に生活力が高い猟師さんだ。

 敷地内には井戸と小屋があった。他にも動物小屋――覗いたら馬がいた――や薪を積んだ大きめな棚まである。

 猟師さんは迷うことなく、井戸近くの小屋の中に入っていった。おそらくだけど、さっそく獲物を肉にするのだろう。小屋の扉が完全に閉まったので、血を見なくて済んで安心した。

 一気に暇になってしまった。だからといって、家に勝手に入る気も起きない。どこか適当な切り株を見つけて、座ってしまおう。

 まだ伐られて間もない切り株に腰を下ろした。血の滲んだ足の指には気づかないふりをして、空を仰ぐ。青はなく曇り真っ只中で、見なければ良かったと後悔した。

 一雨来たらどうしよう。家に入れてくれなくても屋根くらいは貸してくれないだろうか。ダメだったら、当てつけに窓に張りついてやるかな。

 くだらないことを考えていたら、緊張感が解けて、あくびが出た。それと、日差しがいい感じに顔に当たって、疲れと一緒に眠気を誘う。瞼を落としたら、簡単に眠れそうだ。足を上げて、膝を抱えた。

 そういや、子どもの頃、親を待っている時にこうしていた。いつの間にか寝てしまって、親に起こされたこともあった。「どこでも寝るんじゃないの!」と怒られたこともあった気がする。

 成人した今もまた、その道をたどる。こりることなく。

 再び瞼を開けると、ぽつぽつと頭に水滴が落ちてきた。眺めている間にも、すっかり雨足が強くなり、モコモコのルームウェアが水を含んで重くなった。髪の毛も頬にくっついて気持ち悪い。

 せめて、屋根の下で雨宿りさせてほしい。いくら他人でも、それくらいは許してもらいたい。だけど、雨宿りするなら、猟師さんに対して、ひとことぐらいは断っておきたかった。

 ちょうど、小屋から猟師さんが出てきたので、チャンスだと思った。

「あ、あの、雨宿りしてもいいですか?」

 青い瞳と目が合って、停止したかのように無言の時間が続く。猟師さんは海外の人だと思うから、日本語は通じなくても不思議じゃない。英語で話せれば……と思っていたけど、何て言ったらいいかわからなかった。

 片言の英語と身ぶり手振りで、屋根を指差したりしてみた。通じるという期待を持って。

 しかし、期待を持った瞬間に、猟師さんは何を言うでもなく、家のなかに入ってしまった。そうか、無視されたらしい。

 わたしは勝手ながらイラついてきて、屋根の下に座りこんだ。もう、他人の屋根の下だろうが、知るもんか。野垂れ死んだら、この猟師さんのせいなんだから。本当に、窓に張りついてやるのもいいかもしれない。

 くしゃみが出る。鼻水も出てきた。バカなことを考えている場合ではなかった。寒くなってきた。腕をさすってみても、濡れた服の上からでは、全然、温かくならない。せめて、服を脱いで、温まらないとダメだ。

 冷たい指先を握っていたら、猟師さんが家から出てきた。今度は期待したりしない。顔を戻して、雨に気を取られたふりをする。

 ……つもりだったけど、しゃがみこんだ猟師さんが、わたしの肩に手を置いた。

 びっくりして、顔を向けてしまった。しかも、すぐに離れていって、首に布を引っかけてくれる。

「あの」

 もしかしたら、これで頭を拭いていいのかもしれない。慌てて腰を上げて、その辺りをたずねようとした。口は開きかかったのだけど、猟師さんが家のドアを開ける方が早かった。

 そして、開けたドアの前で、わたしがしたように手振りで招いたのだ。まるで、「入れ」とでも言っているような。

「入っていいんですか?」

 青い瞳は動くことなく、こちらを見つめている。入っていいとしても、すんなり家のなかに通してもらうのは、さすがにためらいがあった。

 優しすぎると逆に怪しいというか。ほら、一応、わたしも女だし、そういうのはちょっとまずい。でも、相手も動かないし、ずっとこのままでいるのも時間の無駄だ。考えがまとまらないときは、無理やり答えを出せばいい。

「お邪魔します」

 一応、頭を下げて断りつつ、猟師さんの前を通った。
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