ヤメ騎士さんとわたし

第16話『お城にて』


 長く続いた街道にも、終わりが見えてきた。横たわった川に架かる橋。橋の上は、大きさの揃った石がきっちりと並べられている。仰いでみれば、アーチがところどころにあって、影を作っていた。

 ロルフさんとわたしは、ゼオライトから降りた。ここまで来ると、馬の背に乗ったままの人はいなかった。ほとんど、みんな馬から降りて、手綱を片手に進んでいる。

 ロルフさんも例外ではなかった。同じように手綱を引いて、歩き出す。わたしも置いていかれないように、ゼオライトの歩幅に合わせた。

 小雨が降りだしたこともあって、ロルフさんはフードを深くかぶった。わたしもフードをかぶる。ただ、フードが大きめで、うつむいたら性悪の魔術師みたいな姿になっているかもしれない。

 でも、周りの人を見ても、装いは大して変わらなかった。魔術師のようにぞろぞろと前を進んだ。

 心配していたけれど、フードを被っているためか、あの集落のような騒ぎにはならなかった。行き交う人々はただ、自分の用事をこなすことに必死なようだった。

 きっと、わたしやロルフさんもそう見えるのだろう。ただひとつの用事に向かっているように。

 そろそろ人を見るのも飽きてきて、橋の横から顔を出してみた。三角の頭が何個も突き出たお城が見えた。オレンジ色の三角が壁にもついている。石壁が両腕を広げていくつもの建物を囲っている。はじめて見る光景だった。

 橋を渡りきると、坂が現れる。アーチを何個かくぐると、甲冑を纏った人が立っていた。槍を持っているけれど、本物だろうか。じっと見つめていたら、兜の目だしから視線を感じた。置物ではなく、生きていた。おそらく門番なのだろう。

 馬のレリーフが描かれたアーチの下を抜けると、そこはもう街だった。

 色鮮やかな屋根やテントの下に、様々な品物が並べられている。売り子さんがお客を求めて、声を上げている。手が突き出され、銀貨や銅貨が飛び交っていく。吊るされたお店の看板には、見たことのない文字のようなかたちが表されている。

 気になったのは甘い香りを放つお菓子屋さんだ。久しぶりの甘い匂いに誘われる。小腹も減っていたし。

 でも、無欲の固まり――ロルフさんが先に行ってしまうので、立ち止まるのはやめた。後ろ髪は大いに引かれたけれど、置いてきぼりになる方が嫌だ。だから、追いかけた。

 どこからか、鐘の音が聞こえてきた。時間的には、お昼頃かもしれない。ゼオライトを厩舎に預けてから、ロルフさんは動き出そうとしなかった。ひたすら、道端にたたずむのみだ。

 わたしはどうしたらいいのか、わからなかった。見上げて顔をうかがっても、視線は遠くにある。

 たぶん、人の流れなんて見ていないだろう。何を考えているのだろう。誰かを待っているのだろうか。

 考えてもわからないところに、声が頭上から降ってきた。

「セーラ」

 かすれた声だった。青い瞳の奥を探る。眉間のしわ。頬の動き。口元。全部を見たとしても、ロルフさんの考えていることがわからない。

 だけど、心配する必要はないはずだ。これまでくれた優しさと信頼がある。けれど、言いようのない不安が胸の辺りにうずまく。

 ――何だろう。やっぱり、晴れてくれない。ずっと、昨日から感じていた不安が残っている。このまま行きたくないような、そんな不安だ。

 ロルフさんはふたたび歩き出した。目的を思い出したかのように、真剣な顔で。もう迷いはないように思えた。

 わたしは迷っていた。けれど、この場にとどまるという選択肢はなかった。ロルフさんを追った。

 賑わっていた通りから噴水広場を抜けた。また、アーチの下をくぐる。緩い坂を登っていく。坂の終わりで、橋に行き着いた。下は堀になっていて、ずいぶんと高い場所に橋が架かっていた。その先にはお城がある。

 ロルフさんは迷いなく、進んだ。わたしは、ひるみそうになっていた。こんなお城に何の用があるのだろう。

 雨足が強まってきた。頭と肩から、体が冷えてきた。ローブの下のシャツも濡れてしまっている気がする。

 大きな入り口の前にふたりの門番が立っていた。鎧を纏った門番は、兜の目だしから鋭く侵入者を見極めているのだろう。簡単には入れないだろうと思った。ロルフさんは門番の前でフードを取った。

 そして、ロルフ・シュバル――その先は聞き取れなかった――と話した。もしかしたら、ロルフさんの正式な名前なのかもしれない。言葉を受け取った門番だけでなく、もう一方の門番もやってきた。

 いくつかの会話の後、話がついたようで門番のひとりが奥に入っていった。しばらく待たなくてはならなかった。

 門番が戻ってきたとき、新たな人を連れてきた。肩までの長い髪を後ろに流している男の人だ。マントをひるがえし、白い鎧がきらめいた。細めの眉、切目の奥は冷たい。薄い唇はきつく結ばれている。その切り目がロルフさんを見つめると、少しだけ丸くなった気がした。

「ロルフ」

「セブラン」とロルフさんが呼んだ。

 セブランと呼ばれた人とロルフさんが話しはじめる。時折、切目がわたしを見てきて落ち着かなかった。

「セーラ」

 ロルフさんの手がわたしの肩に触れた。ロルフさんが笑ったかどうかも確かめる暇なく、背中を押された。セブランさんと門番の方に近づいた。嫌な予感しかなかった。

「ロルフさん!」手が離れていったとき、予感は本当になった。荷物を無理矢理、持たされる。

 ロルフさんはフードをかぶり直し、大きな背中をわたしに向けた。遠ざかろうとしている。信じられなかった。ロルフさんはわたしを置いていこうとしている。

 すぐに気づいた。そのために、ロルフさんはこのお城までわたしを連れてきたのだ。厄介払いをするために。

 わたしは追いかけようとした。それなのに、あのセブランが腕を引いて止めた。乱れてフードが取れても、構わない。

「離して! ロルフさん!」

 声を張り上げる。でも、届かない。まるで聞いていないみたいに橋を渡っていく。きっと、ゼオライトを厩舎番から引き取って、帰るのだ。あの森の、あの家へ。

 わたしのいないあの家で、ゼオライトと一緒に暮らしていく。いつか窓の外から見た光景のように。

「ロルフさん! ロルフさん……」

 嘘だと思いたかった。今すぐすがりついて、どういうことなのか、問いただしたい。だけど、できなかった。

 わたしは捨てられた。信じていたのに捨てられた。あのロルフさんに捨てられたのだ。目の前の事実だけがわたしの胸を切り裂いて、その傷跡がじくじくと痛み出した。うつむいたら、涙がこぼれてきた。
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