ヤメ騎士さんとわたし
第15話『街道へ』
さらし姿を見られたショックは、簡単にはおさまらなかった。服を着替えたとしても、無駄だった。
服の上からローブをかぶる。ローブの裾を引っ張って顔を出してから、ため息がこぼれた。ひどい顔に、壊れかけのメンタル。朝からのできごとを抜き出してみても、散々な1日になりそうだ。
せめて、少しは見られるようにと、ぼさぼさになった髪を手ぐしで整える。完璧とは言わないまでもマシだと思いたい。服を入れた布の袋も忘れずに掴んで、扉を開いた。
ロルフさんは扉の横で腕組みをして立っていた。気づかって部屋の外に出ていてくれたのだ。
わたしを見つけると、ロルフさんはぐっと眉間にシワを寄せた。どうも顔の辺りを見られている気がする。何だろう。気になって、頬を触ってみようとした。
しかし、先に大きな手のひらがわたしの頬を包んだ。ちょうど、はれぼったい目の下の辺りを親指がなぞっていく。優しく押し当てて、横を行き来する。マッサージされているみたいで、くすぐったい。
さっき、目の辺りを温めたから、マシになったはずだけれど、ロルフさんの目にはひどく見えたのかもしれない。
結構、近い距離に顔がある。だとしても、ロルフさんが気にした様子はない。わたしは照れ隠しに笑おうとした。
けれど、口の端がうまく持ち上がらなかった。きっと、真剣を通り越して恐い表情のロルフさんを前にして、ビビっていたのだと思う。
今まで、ロルフさんから怒られた記憶もない。嫌悪で歪む顔も知らない。思い返せば、にらみつけられたこともなかった。ただ、優しくわたしを見守ってくれていた。
目の前の眉間のシワがやわらいだとき、肩の力が抜けた。いつものロルフさんに戻った気がして、ようやく安心できたのだ。
階段を降りた。暖炉の部屋から東の扉に入ると、そこは食堂だった。長テーブルには白いクロスがかけられていて、すでに食事の準備が整っている。壁沿いにメイドさんが立ち続けていた。
わたしたちに気づくと近寄ってきて、荷物を持ってくれる。その時、ロルフさんの顔をたっぷり見ていたことは、あまり気にしないでおく。
わたしとロルフさんは真ん中の席で向かい合って座った。
スープ皿には、ポトフのような色合いで、キャベツやじゃがいもなどが、たくさん入っている。スプーンですくってみると、肉は入っていないみたいだ。バスケットにはパンが盛られていた。朝食としては充分な量だった。
ロルフさんは小型のナイフを取り出してパンを切ってくれた。わたしに手渡してくれる。
こうしてもらえると、固いパンも食べやすい。ちぎるにしても、繊維がぎっしり詰まっていて固いのだ。スープに浸してようやくふやけて食べられる。スープは塩気と野菜のとろみで美味しかった。
お腹が満たされると、何となく旅立ちそうな雰囲気がやってきた。昨夜のおじさんが家の入り口まで見送りに来たことも、旅立ちを思わせる。
この感じ、まさかと思ったけれど、やっぱり抱き合いがはじまる。わたしも巻きこまれた。相変わらず、おじさんはお腹が突き出ていた。もちろん、木を想像して、耐えた。儀式が済むと、かたわらにいたメイドさんから荷物を受け取った。
ロルフさんとおじさんが固い握手を交わし、とうとう旅立ちの時だ。と、思ったのだけれど、家の外が騒がしい。
屋敷を出ると、お祭り状態だった。
ロルフさんを眺めながら口元に手をそえている女性や、腕を突き上げている男性。杖を掲げるおじいさん。指を組んで拝んでいるおばあさん。駆け寄ろうとして母親に止められている男の子。ただ目を見開いてただすむ女の子。様々な人が家を出て、ロルフさんを一目見ようとしていた。
ゼオライトが手綱を引かれて現れた。すべてがそろった。旅立つ時だった。
ロルフさんがゼオライトの背に乗ると、まさに英雄のようだ。風に舞うローブが、マントのようにはためく。そして、わたしの手を取り、馬の背へと引き上げていく。歓声が一段と大きくなった。
わたしはお姫様とは程遠い。一般市民だ。ドレスも着ていない、茶色のローブを着た女だ。
だけど、歓声は止まない。ロルフさんの名前があちこちで聞かれた。様々な顔に見送られながら、ロルフさんは手綱を引いた。ゼオライトは動き出す。
やっぱり、馬の上で踏ん張っているのがつらくて、腕に掴まる。
わたしとロルフさんの関係は周りの人にはどう見えるのだろう。わかるのは恋人ではないことだけれど。
それだって、別に構わない。一緒にいられるだけで。
歓声に見送られながら、わたしたちは人々の間を進む。アーチ状の門をくぐれば、集落の音は背中から聞こえるだけだった。前に進めば進むほど、音は遠ざかっていく。
そして、前から自然の音が戻ってきた。風、木の葉がすれる音、ゼオライトのひずめ。やっぱり、この音の方が好きだった。
誰かが同じ道を通っているためか、草が少なくなっている。土の道ができていた。この先に何が待っているのか、知らない。でも、きっと、それを考えてはいけない。また、泣いてしまうかもしれないから。
街道を進むと、人とすれ違う機会が増えた。大きな荷物を馬に託し、進んでいく商人の一行や、柄の悪そうな男の人、わけありなのか赤ちゃんを抱えたお母さんもいた。
街道の途中には宿場町もあった。
ゼオライトに干し草を食べさせている間、わたしとロルフさんはお金を払って――この時、はじめて銅貨を見た――、お菓子を食べた。
屋台で売っていたものだ。縦と横の溝がワッフルに似ていて長方形だった。一口かじると、見た目から甘いものかと思いきや、塩気がある。固いパンみたいだった。
でも、子どもたちは美味しそうにかじってみせるから、わたしも負けじと普通に食べた。
街道の奥にはまだまだ先があった。石畳になっていくのを見ると、どんどん都市部に近づいているのかもしれない。
そして、ロルフさんの顔や体から張りつめたものを感じる。それは、眉間を寄せていたり、口を固く閉ざしていたり。腕を組み、瞼を伏せて考え事をしているような姿だったり。
あの時に近い。わたしの名前を呼ばなくなったときだ。ロルフさんはすぐ後ろにいるのに、こんなにも遠い距離を感じる。どうにか、繋ぎとめたくて、腕を掴んでいた手の力を強めた。服がシワになっても離したくなかった。