ヤメ騎士さんとわたし
第13話『集落の家』
ギッギッと板の音が軋む。2階を上がり、薄暗い通路を進む。高い位置に窓はあるものの、どれも黒く塗られている。細長い通路が奥へと続いている。燭台の灯りだけでは心細いと思った。
奥から2番目の扉の前で、メイドさんらしき人の足が止まった。燭台とともに振り返ると、顎下から照らされて、顔が浮かび上がる。わたしとロルフさんも足を止めた。横からついてきた影も止まる。目的地に着いたらしい。
メイドさんはわたしに話しかけてきた。訴えているのだとわかるものの、肝心の言葉がわからない。あまりにもわからなすぎて、首を傾げてしまった。
代わりにロルフさんが言葉を受け取り、神妙な顔つきで答えている。太い首が横に振られたとき、メイドさんは目を見開いた。わたしとロルフさんを交互に見てくる。何をそんなに驚いているのだろう。ロルフさんは何を言ったのだろう。それほど、ひくような答えをしたのだろうか。
メイドさんは扉を開けると、部屋のなかへと入っていく。続いて敷居をまたぐときに、わたしは「お邪魔します」と小さく口にした。
部屋は広かった。赤い口の暖炉、薄暗い影を背負ったベッドやクローゼット、テーブルまでが揃っていた。三又の燭台から、棚の上の燭台へと火が移された。 メイドさんはテーブルに荷物を置いた。
メイドさんの仕事はそこまでのようだった。失礼いたします、とでも言ったのだろうか。ひとこと何かを言った後、彼女は頭を下げて、部屋を出ていった。
出ていく間際、名残惜しそうにロルフさんを見たが、当の本人は、暖炉の前で手を温めていた。ロルフさんはメイドさんに興味を示さなかったらしい。安心した。ロルフさんはロルフさんだった。どこにいたとしても。
しばらくして、部屋のなかは暖炉の火と、わたしとロルフさんだけになった。ローブを頭から脱いで、ベッドに腰を下ろす。習慣になっている、ブーツを脱いで両足を解放した。疲れた。久々に色んな人の顔を見た。声と臭いと顔に、酔ってしまいそうだった。
暖炉の前でしゃがみこむロルフさんの横顔を眺める。黒髪が後ろに流れている。高い鼻、眉と瞼の溝は暖炉の明かりを受けて、深い影を作った。まさか、こんなにも有名な人だったとは思わなかった。
集落の人たちの興奮ぶりを見ると、森に追いやられたという説は完全に無くなった。これだけ手厚い歓迎を受けたのだ。部屋にまで泊まらせてもらえた。どこかの英雄のようだと思った。
ここまで考えてきて、ますますわからなくなる。なぜ、森にこもるようになったのか。奥さんと子どもは? どうして、ひとりでいたのだろう。おせっかいかもしれないけれど、考えずにはいられなかった。
ロルフさんが動き出したので、わたしは慌てて視線を落とした。何にも見ていない振りをする。
ロルフさんは暖炉から離れると、今度はわたしの前であぐらをかいた。そして、わたしの足首に手をそえた。引っこめようとしたけれど、もう片方の手が足の甲を包みこもうとしてきたのでやめた。マッサージしてくれるらしい。
暖かい手が強ばった筋肉をほぐしていく。さすがに足の指の間を押された時は、くすぐったさを感じた。ゆっくりとていねいにほぐされ、足先にあたたかさが戻ってきた。
瞼を閉じたくなるくらいの優しい時間が流れていく。ロルフさんといられるこの時間が、わたしにとっては何より大事に思えた。
泣かなかったのは褒めてほしい。両足やってもらった。ロルフさんの手が離れていき、終わりの合図だと思った。
「ありがとうございます」
わたしはベッドから降りると、今度はロルフさんの足をマッサージしてあげようと、手を伸ばした。太い足首を掴んだのだけれど、逆に手首を捕まれる。そして、首を横に振られる。そんなことはしなくていいと。
わたしはやりたくて触れているのだ。それなのに、ロルフさんはいらないと首を振る。こういうところだ。ロルフさんの嫌いなところ。自分はどんどん世話を焼くくせに、わたしにはやらせてくれない。
――今回は折れてあげない。
わたしはロルフさんのブーツの紐の先を引っ張った。片方が解けると、結び目がゆるんでいく。もうこうなれば、ブーツを足から引き抜いて、床に投げるだけだ。
長いため息が聞こえてきた。あぐらをかいていた足が伸ばされる。抵抗しない。つまり、わたしがマッサージしてもいいということだ。
――勝った!
両手を使ってブーツを引っこ抜くと、大きな足が目の前に現れた。ブーツの靴先とかかとを持った限り、まあ大きい。足もそれくらい大きかった。
ブーツを床に置いて、足の裏に親指をそえる。残りの指で足の甲を包む。固くて、両手でぎゅっと押さえつけないと、皮膚の奥の筋肉までほぐせない。結構、力を使う。押すときに息がもれる。
ロルフさんの顔は特に変化はなかった。暖炉の明かりのなかでも、髭があまり無くなっても変わらない。それでも、表情を確かめつつ、握る力を強めていく。
わたしの手の熱が伝わったのか、足の血行が良くなったのか、あたたかみが広がった。やわらかくなった気がする。もう一方の足も同じようにやった。
両足が終わると、「ありがとう」と言うみたいにロルフさんの手がわたしの頭を撫でた。
満足したわたしはベッドに寝転がった。暖炉の暖かさか、途端にやってきた眠気が、「瞼を下ろしたら」と誘ってくる。
わたしは暖炉に体を向けた。ロルフさんがソファーの上に横たわろうとしている。大きい体が小さく丸まるのを見た。居たたまれなくなったわたしは、気づいた時にはベッドから降りていた。
「ロルフさん」
わたしが思いついたこと。ロルフさんもわたしと同じベッドに眠ればいい。寄り添って無くても、背中を向けて寝たっていい。
服の裾を掴む。そして、引き寄せた。引き寄せたといっても、ロルフさんの足はそこに生えたみたいに1歩も動かない。わたしが近づいただけになった。
「一緒に寝ませんか?」
この時ばかりは、ロルフさんと言葉が通じなくて良かった。わたしは誘ってしまったのだ、ベッドに。