ヤメ騎士さんとわたし
第12話『祭り』
ゼオライトに乗ったわたしたちは坂道を下りて、木々の間の小道を通っていく。段差のあるところを跳ねるように落ちると、ローブの裾が舞い上がる。普通に歩くのも大変な道のりをゼオライトは駆けていく。さすがの脚力だった。
川まで来ると、ロルフさんはゼオライトの手綱を引いた。すると、馬は駆けるのをやめる。馬上から降りると、手綱を持って川に誘導して、ゼオライトに水を飲ませた。
わたしも両手ですくう。川水に手を入れたことで、小さな魚たちが一斉に散らばった。水は冷たいけれど、喉をうるおすにはちょうどいい。最後に、顎にまでこぼれた滴を手の甲で拭った。
ロルフさんに袋を渡されて中をのぞいてみると、乾燥された実が入っていた。見た目は大きめな梅干しに近い。それを一粒口に入れると、熟した果物のように甘かった。
休憩はそこまでとなり、また、ゼオライトの背に乗った。川沿いからだんだん離れ、木々が左右に分かれた獣道を行く。ゼオライトは縫うように駆け抜けていった。
木々が無くなり、白い空の範囲が広がると、草原が待ち受けていた。ここは覚えている。はじめて目を覚ました場所だ。鹿を見つけて、森へ入る前のはじまりの地点。
まさか、ここに置き去りにされるのでは。そう思ったけれど、ロルフさんは草原なんて目もくれずに横切っていく。どうやら、目的地は違うらしい。
夜が更ける頃に、前方からいくつもの灯りが見えた。近づくにつれ、灯りが松明の炎だとわかる。炎に人の影が浮かび上がった。動いているようだ。奥に建物がいくつか見える。小さな集落のようだった。
アーチ状の門をくぐると、警備している人なのか、東と西からひとりずつ駆け寄ってきた。ロルフさんはわたしを避けながら、ゼオライトから降りる。地面に降り立つと、警備のふたりと話し出した。
わたしは置いてきぼりにされて、完全に降りるタイミングを失ってしまった。耳を傾けてみたけれど、聞き取れない。
警備の人がいきなり「ロルフ」だとか、興奮したように叫び声を上げた。集落のなかが騒がしくなっていく。建物という建物から人が出てきた。お年寄りから子どもまで、まるでお祭りのような騒ぎなのだ。中心にいるのはロルフさんだから、ロルフ祭になるのか。なんて適当だけれど。
とにかく、騒がしかった。ロルフさんはもしかしたら、この集落の有名人だったりするのだろうか。出身地に帰って来たとか。松明の灯りが集落の人たちの嬉しそうな顔を浮かび上がらせた。おそらくロルフさんはただ者ではない。
わたしは自力で馬から降りた。そして、有名人を見る気分で、遠くのロルフさんを眺めていた。それも飽きると、ゼオライトの手綱を右手で掴んで、鼻先に左手をそえた。さすってやると、ゼオライトの目がわたしを見る。まるで、「気持ちがわかるよ」とでも言ってくれるように。
祭が少しずつ落ち着き出した頃、ロルフさんが周りの人たちをかきわけて、わたしとゼオライトの元に近寄ってきた。「セーラ」なんて言うものだから、集落中の視線がわたしの方に向けられる。
辺りの騒ぎがおさまった。まるで、次の言葉を待っているかのように時間が止まる。居心地が悪かった。生きていてすみませんと思ったくらい。
とりあえず、集落の人たちを見渡して、その場しのぎの笑顔を作った。言葉を話せないのだから、少しは好感度を上げておきたい。そして、できればフェードアウトしたい。ゼオライトのお尻を盾にして隠れようとした。
「セーラ」
怯えたわたしにロルフさんが手を差し伸べてくれる。おそらくはわたしをみんなに紹介するみたいな感じだろう。注目されるのが嫌だけれど、ここは仕方ない。ロルフさんが望むならそうする。差し出された手を取った。
すると、集落の人たちが歓声を上げた。ブーイングじゃない。おー! だったか、うおー! だったかもしれない。何が起きたのか、まったくわからなかった。
預けてもいないのに荷物が勝手に運ばれていく。ゼオライトが集落の若者に連れられて、馬小屋に向かった。手を繋いだままのわたしとロルフさんは、集落の奥へと押し流される。人波が勝手に押してくる。
もう、わけがわからない。
集落の奥の大きめな建物に連れていかれた。中に入ると、2階へと続く階段があり、暖炉の口が赤く燃えていた。そこにはローブを羽織った太っちょのおじさんが待ち構えている。ローブの間から、ベルトに乗っかったお腹が突き出ている。髭を生やし、頭には耳の辺りにしか毛が残っていない。そして、ロルフさんと握手を交わすと、ふたりは抱き締め合った。
抱き締め合ったといっても、すぐに離れた。おじさんの目はわたしに移っていた。何やらものを言われた気がする。手を差し出された。日本人にはあまり馴染みのない儀式だ。わたしは、木を掴み、太い幹に腕を回す想像をした。そうすれば、抵抗がないと考えたからだ。
想像をしている間に、おじさんは勝手にわたしの手を掴んで、抱き締めてきた。お腹がちょっと当たる。おえっとなりそうだった。でも、何とか耐えた。
軽くロルフさんが会話すると、おじさんとの面会は終わったらしい。ロルフさんは今度はわたしの手を取り、繋いだ。こちらから力を入れなくても、手は離れて行かない。ロルフさんが握っているせいだ。
部屋を出て階段の前に、わたしたちの荷物を持った女性が待っていた。右手に持たれた三又の燭台が、素朴な顔を照らす。帽子とエプロンドレスは白で統一されている。服装から見て、メイドと呼ばれる人だろう。
彼女がロルフさんに視線を送った。口元が緩み、少しだけ顔をうつむかせたのをわたしは見逃さなかった。胸の辺りがもやもやした。
――早く髭が生えてほしい。そうすれば、ロルフさんの良いところをわたしだけしか知らないことになる。こんな会ったばかりの女性に負けたくない。今、ロルフさんの手はわたしの手を握っているのだ。
繋がった手を彼女に見えるように少しだけ上げたのは、わたしの最大限の意地悪だ。