SS
手に囚われている
12歳のわたしは牢屋のなかにいた。ボロ着を身につけて、膝を抱えて座っていた。茶色の髪の毛はもう何日も洗っていないために、べたついている。たぶん、牢屋が臭いのは、わたしのせいでもあった。
村の地下に作られた牢屋には、わたし以外の姿はない。時折、小ねずみが駆けるくらいだ。鉄格子の先にも、人の姿はなかった。
牢屋は4つほどに仕切られていて、その間の通路の先に行くと、階段がある。階段の先は地上への唯一の出入口だった。
わたしは鉄格子ごしに、じっと階段を見つめていた。今すぐにでも、そこから降りて、誰かに迎えに来てほしい。牢屋から出してほしい。そんな願いをこめて、視線をやっていた。
しかし、無理だともわかっていた。わたしはまだ、許されていない。許されないことをしかねないと、この牢屋に入れられた。
もともと、腕っぷしは強かった。いとも簡単に木や鉄の棒を曲げることができた。10歳の頃になると、周りと違うことがすっかりわかった。
けれど、あまりにも力をつけすぎた。同じくらいの子どもと取っ組み合いの喧嘩になった時、わたしは彼を傷つけてしまった。
そして、彼の母親がわたしを「化け物!」と言ったのだ。ひとりがそう言いだすと、しだいに周りも「化け物」だと見てくるようになる。それは伝染するように止まらない。「化け物」と呼ばれ、石を投げられた。そのくらいで済めば、まだ良かった。
大勢の大人たちの前で体を転がされて、手を踏みつけられた。この手があれば、いずれ人を殺してしまうのだという。わたしはそんなことをしないと言ったけれど、構わず、殴られ蹴られた。
顔がはれるほどに暴行されたが、ちっとも痛くなかった。まったく非力な大人たちで、わたしは蚊に刺されたほどのかゆみしかない。はれた顔も翌日には治ってしまうのだ。
それがまた、化け物のようだと言われて、つらかった。
そんな仕打ちが、2年間も続いた。しかし、2年経ってしまったために、わたしの状況はますます悪くなった。
村では12歳になると、独り立ちをさせられる。つまり、わたしを遠慮なく、大人と同じ法律で裁けるというわけだ。大人たちは話し合いを重ねた。その末に、運命を決めた。
「こんな手があるからいけないんだ」
「切り落としてしまえ」
大人たちは、わたしを牢屋に閉じこめた。たったひとりの地下牢で食事も与えられず、切り落とす日まで過ごすことになった。
わたしがここから逃げることは難しくない。この両手で、固そうな鉄格子を曲げるなんて楽勝だった。すき間を作り、そこから体をねじこんで逃げるなんて、寝ていてもできるだろう。
それでも、逃げる気は起きなかった。たとえ、ボロ着から臭いがしたとしても、逃げるわけにはいかなかった。
生きていけないと思いこんでいた。一時の自由を与えられても、また村人に捕まれば、牢屋に戻らなくてはならない。だからといって、無理に抵抗して、人を傷つける行為はしたくなかった。もう、あんな目には耐えられなかった。
いつの間にか、眠ってしまった。音が聞こえる。何日ぶりかに靴音がした。やっと、誰かが許してくれた。わたしはそう考え、顔を上げた。
だけど、鉄格子の扉を開けてくれたのは、親でも村の人でもなかった。背が高くて、蛇みたいに鋭い目をしていて、甘い香りがした。
「こんな子どもがどうして牢屋に?」
そうか、この人は知らない、わたしが化け物だということを。まだ、ただの子どもだと思っている。
わたしは自分からあの冷たい瞳を受けようとした。鉄格子2本を両手で掴む。小枝を折るくらいの力で、ぐにっと曲げて見せた。
村の人に見せたら、「化け物」と言うのだ。石を投げつけられて、せっかんされる。力を見せるたびに、人は離れていく。わたしは知っている。
だけど、予想に反して、その人は蛇の目を大きく見開いた。
「素晴らしい!」
「えっ?」
「なんと、こんな逸材がこんなヘンピな村にいたとは!」
いつざい? へんぴ? その頃のわたしは変な言葉を使う大人だと思った。
「おじさんは恐くないの?」
「恐い? なぜ、そう思う?」
「わたし、すごい力持ちなの。だから、いつか、人を殺しちゃうんだって。本当のおとうさんとおかあさんが死んだときみたいに、わたし、誰かを殺しちゃうんだ」
ずっと、2番目の親からそう聞いてきた。思いこんできた。なのに、目の前の人はわたしの頭を撫でた。
「そんなことはない。きみは大丈夫だ」
はじめてだった。誰かに受け入れてもらえることは喜びなのだと知った。ずっと、こうやって、優しくしてほしかったのだ。今まで気づかなかったけれど。
「一緒に来ないか?」
「でも、村のみんなが」
「もう、この村には誰もいないよ。山賊に襲撃されて人間はいない。その山賊たちもわたしが倒したから、きみだけしかいない」
「さんぞくをおじさんが倒したの?」
「ああ、こう見えても、強いんだよ、“お兄さん”はね」
さっきからおじさんと言っていたのが嫌だったみたいだ。お兄さんはわたしの前に手を差し出す。「来るかい?」と聞いてくる。
考える。村のみんながいないなら、わたしは自由だ。どこにいったっていい。もう、いいんだ。我慢しなくていい。
鼻の奥がつんと痛くなった。涙が出そうになるのをごまかすように、甘い香りごと息を吸いこむ。思いっきり、吐き出した。
わたしの答えは決まった。もう迷わない。目の前の手を掴む。できるだけ、握りすぎないように手加減をして。
「うん!」
村を出たわたしたちは、街を目指して歩き出した。どうもお兄さんは、ギルドというところにいて、依頼でこの村に来たらしい。
どんな依頼なの? と聞いたら、さんぞくをとうばつせよ、だそうだ。お兄さんが背負った袋は、ぱんぱんにふくれている。ついでにさんぞくから金銀財宝をうばったのだと教えてくれた。そういえば、大事な話をしそびれた。
「お兄さんの名前を聞いてもいい?」
「ああ、いいよ。ドミナスだ。きみは?」
「アリーサ」
「これからよろしく、アリーサ」
「よろしくね、ドミナス」
――後に、この人がドミナスという名の変態だと気づくまで、時間はかからなかった。わたしは変態に助けられ、変態を想うようになってしまった、何とも哀れな「魔王」である。
ドミナスに連れられて、やってきたギルドには訳ありの人ばかりだった。元は騎士団の団員だったロス。ロスを殺そうとついてきた女の子メーベル。泥棒が得意な孤児のトマ。そして、それらをまとめる人こそ、ドミナスだった。
紅茶が好きで、いつも甘い匂いを漂わせるその人は、わたしの“手”が大好きだ。顔を合わせると、「手を出して」と言い、わたしの手をぎゅっと握ってくる。
子どもの頃は、あたたかくていいなとノンキに思っていたが、18歳にもなるとさすがに「うっ」となる。汗もかくし、男の人の大きな手を意識せずにはいられない。
「もう、やめてよ」
「いいや、やめない。本当にわたしは好きなんだ。こんな細い手がなぜ、あんな力を持っているのか」
ただ、手が好きなだけだと告げられて、わたしはむっとした。結構、胸だって発達したし、肌だって気をつけている。会話だって、ドミナスの趣味に合わせたりできるのだ。
でも、この人は“手”が好きなのだという。他の男だったら「触んな!」とボコボコにしてやるのだが、惚れた弱味というのか、したいようにしてしまう。むしろ、その先に行ってもいいのだ、ドミナスとなら。
「うっわ、朝から気持ちわりぃの見た」と階段を降りてきたのはトマだ。
トマ・シビリル。わたしの相棒である。何か、最近、可愛い彼女ができて、調子がいいらしい。ムカつくので、膝裏を蹴っておく。
「いってえ!」
痛いだろう。痛くしているのだから。
残念なことにわたしの蹴り技は、他の人間と大差がない。やっぱり、この手だけが異常な力を持っていた。ドミナスはわたしの手をまだ触っていた。トマの前では恥ずかしい。「ドミナス」と声を絞り出すと、案外簡単に、手は離れた。
「とまあ、満足したところで、仕事の話をしようか」
離れた手の感触がまだ残っている。少しずつあたたかさが消えていくのが淋しかった。
おわり