戦神王子と男装兵士
第4話
ノアはシーツから顔を上げると、何をやっているのだろうと自分自身に呆れた。ダニールは今日、森を散策すると言っていた。そのためにこの格好を選んだのになぜここに寝ているのだろう。
あこがれの人がとなりにいようが、これはノアの仕事なのだ。仕事に好き嫌いは持ちこまない。たとえ彼から逃げ出したくなっても、気持ちをこらえるのがノアの仕事だ。
「逃げていてはダメだ」
それに、彼を目の前にして一喜一憂するのも最後にしよう。彼も迷惑に違いない。平常心を保たなくては、ぜったいに。そうかたく決意した。
ノアが自室を出て、食堂に遅れて到着する頃には、ダニールはすでに席に着いていた。主人の体を考えて作られた緑一色の食事。キャベツばかりがスープに浮かび、パンも心なしか緑に近い。
「実に身体に良さそうだ。いただこう」
ローナはせかせかと食事の世話を焼きながら、ダニールと会話を弾ませていた。自分もこれくらい話せれば、ダニールを楽しませられるかもしれないのにと、ノアは考えてしまう。高らかに笑う主人の姿は、本当に愉快そうだった。
パンも食べただろうに、すっかり食事を平らげたダニールは、席を立つと行こうかと促した。やっとこの時が来た。ノアは戦場に行くように気を引き締める。いつもよりも一段とかたいノアの歩き方に、ダニールとローナは隠れて笑い合った。
ノアとダニールは屋敷を離れ、木漏れ日の下を歩く。ふたりきりになり、緊張しながらも、並んで歩くことに少しずつ慣れてきたノアは、ダニールをうかがった。主人がものを言わないのは気になった。だが、返事もろくにできないうえ、それはそれでいいかとノアは思った。
ついに森の開けた場所に出た。池がある。池の近くには墓があり、ダニールは膝を折ってその墓に手を置いた。
「母上」
ダニールの言葉に驚きつつも確か噂で伝わってきたのを思い出した。ダニールの母親は正室だったが、寵愛を受けた側室から別荘に追いやられ、自ら死を選んだ。ちょうど死を覚悟した場所がこの池なのだ。
果たされた親子の再会は、森がささやくだけの静かな時間だった。
墓参りを終えて、屋敷に戻る途中、
「もし最期を迎えるならこの場所にしたいと思っていた」
「そ、そのような、ダーナ様は生きます! そして、王になられます!」
思わず突いて出た言葉に、ノアは謝りかけたが、主人はそれをさせない。
「ふはは。俺もまだくたばらん。やりたいこともあるしな」
ダニールが声を上げて笑っている。ノアは恥ずかしくなり逃げたいと思うのだが、今回はとどまった。
「時に、ノアはもっと上に行きたくはないのか? できれば、俺の下で働くようなことは」
「め、めっそうもないです。僕は平凡な兵士で」
「残念だな。志があるなら、準備運動がてら稽古をつけてやろうと思ったが」
願ってもない機会だった。
「え?」
「どうだ? 試してみないか? 自分がどれだけできるのか」
ノアはどんなに間抜けな顔に映ろうが目を開くのをやめなかった。そして、ダニールの顔を見つめると、「お願いします」とかぼそい声を出したのだった。
「もっと、大きい声で」
「よ、よろしくお願いします!」
ダニールはノアの興奮で上気した顔を見て、笑いだした。どうもノアの態度は、ダニールの笑いのつぼを刺激する。
「ダーナ様?」
「いや、いい。お前は可愛いな」
いたずらっぽい笑みを残して、ダニールはノアに背を向けた。ノアは口を開けて、真っ白な頭で考えようとした。思考と同じように足も止まっている。
ただの冗談だとしても、
――お前は可愛いな。
思い出して、ノアは胸の奥が掴まれたように苦しくなるのを感じた。顔に熱が集まっていって、恥ずかしくて逃げ出したい。たったひとことで、ノアの決意は早くも揺らぎはじめた。
ノアはシーツから顔を上げると、何をやっているのだろうと自分自身に呆れた。ダニールは今日、森を散策すると言っていた。そのためにこの格好を選んだのになぜここに寝ているのだろう。
あこがれの人がとなりにいようが、これはノアの仕事なのだ。仕事に好き嫌いは持ちこまない。たとえ彼から逃げ出したくなっても、気持ちをこらえるのがノアの仕事だ。
「逃げていてはダメだ」
それに、彼を目の前にして一喜一憂するのも最後にしよう。彼も迷惑に違いない。平常心を保たなくては、ぜったいに。そうかたく決意した。
ノアが自室を出て、食堂に遅れて到着する頃には、ダニールはすでに席に着いていた。主人の体を考えて作られた緑一色の食事。キャベツばかりがスープに浮かび、パンも心なしか緑に近い。
「実に身体に良さそうだ。いただこう」
ローナはせかせかと食事の世話を焼きながら、ダニールと会話を弾ませていた。自分もこれくらい話せれば、ダニールを楽しませられるかもしれないのにと、ノアは考えてしまう。高らかに笑う主人の姿は、本当に愉快そうだった。
パンも食べただろうに、すっかり食事を平らげたダニールは、席を立つと行こうかと促した。やっとこの時が来た。ノアは戦場に行くように気を引き締める。いつもよりも一段とかたいノアの歩き方に、ダニールとローナは隠れて笑い合った。
ノアとダニールは屋敷を離れ、木漏れ日の下を歩く。ふたりきりになり、緊張しながらも、並んで歩くことに少しずつ慣れてきたノアは、ダニールをうかがった。主人がものを言わないのは気になった。だが、返事もろくにできないうえ、それはそれでいいかとノアは思った。
ついに森の開けた場所に出た。池がある。池の近くには墓があり、ダニールは膝を折ってその墓に手を置いた。
「母上」
ダニールの言葉に驚きつつも確か噂で伝わってきたのを思い出した。ダニールの母親は正室だったが、寵愛を受けた側室から別荘に追いやられ、自ら死を選んだ。ちょうど死を覚悟した場所がこの池なのだ。
果たされた親子の再会は、森がささやくだけの静かな時間だった。
墓参りを終えて、屋敷に戻る途中、
「もし最期を迎えるならこの場所にしたいと思っていた」
「そ、そのような、ダーナ様は生きます! そして、王になられます!」
思わず突いて出た言葉に、ノアは謝りかけたが、主人はそれをさせない。
「ふはは。俺もまだくたばらん。やりたいこともあるしな」
ダニールが声を上げて笑っている。ノアは恥ずかしくなり逃げたいと思うのだが、今回はとどまった。
「時に、ノアはもっと上に行きたくはないのか? できれば、俺の下で働くようなことは」
「め、めっそうもないです。僕は平凡な兵士で」
「残念だな。志があるなら、準備運動がてら稽古をつけてやろうと思ったが」
願ってもない機会だった。
「え?」
「どうだ? 試してみないか? 自分がどれだけできるのか」
ノアはどんなに間抜けな顔に映ろうが目を開くのをやめなかった。そして、ダニールの顔を見つめると、「お願いします」とかぼそい声を出したのだった。
「もっと、大きい声で」
「よ、よろしくお願いします!」
ダニールはノアの興奮で上気した顔を見て、笑いだした。どうもノアの態度は、ダニールの笑いのつぼを刺激する。
「ダーナ様?」
「いや、いい。お前は可愛いな」
いたずらっぽい笑みを残して、ダニールはノアに背を向けた。ノアは口を開けて、真っ白な頭で考えようとした。思考と同じように足も止まっている。
ただの冗談だとしても、
――お前は可愛いな。
思い出して、ノアは胸の奥が掴まれたように苦しくなるのを感じた。顔に熱が集まっていって、恥ずかしくて逃げ出したい。たったひとことで、ノアの決意は早くも揺らぎはじめた。