戦神王子と男装兵士
第3話
別荘に新たな1日がやってきても、ノアの習慣は変わらない。朝はノア手製のパンにローナからの木いちごのジャムと決めている。簡単な朝食だが、ノアは気に入っていた。
軽い足取りで屋敷の庭を横切り、白い丸テーブルが備え付けられた場所に向かう。野外で食事するなら絶好の場所だ。日除けの屋根もあるし、朝のさわやかな空気が何よりおいしい。パンの入ったバスケットを置くと、ノアは地べたに座った。
バスケットからパンを取り出し、はしたなくもかぶりつく。すると、甘酸っぱいジャムの香りが口の中に広がる。
孤児院時代にはこんなおいしいものがあるなんて思わなかった。脱走を防ぐ高い塀もなく、風を自由に感じられる。今日もしあわせなひとときになりそうだった。
ノアの横に影が差したとき、そんなひとりの時間はたやすく奪われた。
「ノア、ここにいたのか」
ダニールはノアの左隣にしゃがみこむ。驚いて横に退こうとするのだが、ダニールの手がノアの手首を掴んだ。
「なぜ、逃げる?」
「に、逃げているわけでは」
「ならば、ここにいろ」
ダニールの手がノアの手首を痛いほど強く掴んでいる。ノア自身も逃げたいとは思っていない。けれど、ダニールがとなりにいると身体が勝手に遠ざかろうとするのだ。まるでおびえているように。
それでも、手首を掴まれれば、ノアは振りほどけなかった。ブルーの瞳は鋭く、そらすことすらできない。大抵、瞳の強さに負けて、ノアが折れるしかないのだ。
「わ、わかりました、ダーナ様。手をお離しください」
「ああ、よかろう」
手首を握っていた力がゆるめられて、ノアはようやく詰めていた息を吐くことができた。
「俺も一つもらおうか」
「な、なりません。ダーナ様の朝食はローナが用意しているはず」
「ローナの朝食にもひかれるが、ノアが顔をほころばせるほど美味しいパンを食べてみたいものだ」
顔がほころんでいたのだろうか。だとしたならば、相当にだらしない顔だったに違いない。ノアは身体中が火照るのを感じた。あまりの恥ずかしさにダニールと目を合わせることもできない。
「ノア?」
「ダーナ様、こ、これを」
なかば強引にバスケットをダニールに押しつけた。ノアは慌てて立ち上がり、引き止める声にも耳を貸さなかった。ノアが自分の失態に気付いたのはベッドのシーツに顔をうずめたときだった。
◆
ノアが残したバスケットを見つめながら、ダニールは口元に笑みを浮かべた。戦神と呼ばれた男は愉快でたまらなかった。
これほどまでに腹の底から笑いたい場面があっただろうか。少なくともここに来るまでにはなかった。病が身体をむしばむまで、ダニールは自分の健康に興味は持たなかった。頭には国を広げるか、国を守ることだけ。
女も性欲が満たされるならだれでもよかった。世継ぎを産むという明確な動機ができた今、慎重に考えてはいるが、人生の最後くらいは愛する女性を妻にしたかった。
ノアがもし女性だったら、真っ先に言い寄っていただろう。そんな自分の考えもおかしくて喉の奥で笑った。
別荘に新たな1日がやってきても、ノアの習慣は変わらない。朝はノア手製のパンにローナからの木いちごのジャムと決めている。簡単な朝食だが、ノアは気に入っていた。
軽い足取りで屋敷の庭を横切り、白い丸テーブルが備え付けられた場所に向かう。野外で食事するなら絶好の場所だ。日除けの屋根もあるし、朝のさわやかな空気が何よりおいしい。パンの入ったバスケットを置くと、ノアは地べたに座った。
バスケットからパンを取り出し、はしたなくもかぶりつく。すると、甘酸っぱいジャムの香りが口の中に広がる。
孤児院時代にはこんなおいしいものがあるなんて思わなかった。脱走を防ぐ高い塀もなく、風を自由に感じられる。今日もしあわせなひとときになりそうだった。
ノアの横に影が差したとき、そんなひとりの時間はたやすく奪われた。
「ノア、ここにいたのか」
ダニールはノアの左隣にしゃがみこむ。驚いて横に退こうとするのだが、ダニールの手がノアの手首を掴んだ。
「なぜ、逃げる?」
「に、逃げているわけでは」
「ならば、ここにいろ」
ダニールの手がノアの手首を痛いほど強く掴んでいる。ノア自身も逃げたいとは思っていない。けれど、ダニールがとなりにいると身体が勝手に遠ざかろうとするのだ。まるでおびえているように。
それでも、手首を掴まれれば、ノアは振りほどけなかった。ブルーの瞳は鋭く、そらすことすらできない。大抵、瞳の強さに負けて、ノアが折れるしかないのだ。
「わ、わかりました、ダーナ様。手をお離しください」
「ああ、よかろう」
手首を握っていた力がゆるめられて、ノアはようやく詰めていた息を吐くことができた。
「俺も一つもらおうか」
「な、なりません。ダーナ様の朝食はローナが用意しているはず」
「ローナの朝食にもひかれるが、ノアが顔をほころばせるほど美味しいパンを食べてみたいものだ」
顔がほころんでいたのだろうか。だとしたならば、相当にだらしない顔だったに違いない。ノアは身体中が火照るのを感じた。あまりの恥ずかしさにダニールと目を合わせることもできない。
「ノア?」
「ダーナ様、こ、これを」
なかば強引にバスケットをダニールに押しつけた。ノアは慌てて立ち上がり、引き止める声にも耳を貸さなかった。ノアが自分の失態に気付いたのはベッドのシーツに顔をうずめたときだった。
◆
ノアが残したバスケットを見つめながら、ダニールは口元に笑みを浮かべた。戦神と呼ばれた男は愉快でたまらなかった。
これほどまでに腹の底から笑いたい場面があっただろうか。少なくともここに来るまでにはなかった。病が身体をむしばむまで、ダニールは自分の健康に興味は持たなかった。頭には国を広げるか、国を守ることだけ。
女も性欲が満たされるならだれでもよかった。世継ぎを産むという明確な動機ができた今、慎重に考えてはいるが、人生の最後くらいは愛する女性を妻にしたかった。
ノアがもし女性だったら、真っ先に言い寄っていただろう。そんな自分の考えもおかしくて喉の奥で笑った。