戦神王子と男装兵士
第2話
ダニールがやってきたのは、それからまもなくのことだ。
装飾も何もない、質素な馬車が別荘の門の前で止まった。ノアが慌てて出迎えようと駆け寄ったときには、馬車から1人が降りていた。周りにはその1人の他にだれもいない。兵士も使用人もおらず、彼しかいなかった。
ダニールは丈の長い真っ赤なガウンを羽織り、町民でも裕福な家庭を思わせるような服で王族らしからぬ姿で立っていた。黒髪がゆらゆらと風にそよぐ。快晴の青空を写し取ったような瞳は別荘へとそそがれた。
ノアは戸惑っていた。自分が知る限り、肖像画に描かれた男と寸分も狂わない。むしろ思っていたよりもずっと太くて頼りがいがある。無駄な脂肪を削ぎ落としたような身体だった。
別荘へとそそいだ目がノアを映し出す。ノアは息を呑んだ。呼吸をするのも忘れて、吸いこまれるように一心に見つめた。どちらとも目をそらさず、しばし時間が止まる。
時間を進めたのはローナの叱り声だった。
「邪魔よ、ノア! 王子さまに見惚れてんじゃないのよ!」
ノアはちょうど真ん中に立ち尽くしていた。「ご、ごめん。すぐ退くよ」このやりとりはダニールにも聞こえていた。ノアでもローナでもない、喉の奥で笑う声が響く。2人は驚いて振り返ると、ダニールが目を細めて笑っていた。
思いもよらないところからの笑いに、ノアとローナは揃ってダニールのガウンの色にも負けない真っ赤な顔をさせた。
「そそうを申し訳ございません」
「なぜ謝る?」
「使用人の分際で私語など厳禁でございますのに」
ローナは印象を取り戻そうと自分の知恵のかぎりの敬語を並べた。ノアは言葉にできず、ただうつむくだけである。こういうとき、話好きの侍女の頭はよく回転する。日頃の世間話が訓練となって、言葉を運んでくるのだった。
「いや、良いものを見せてもらった。私……俺もかたっくるしいものは苦手だ。お前たちもふつうに話せ。お前、名前は?」
まさか、真っ先に声をかけられるとは思わないでいたノアは、はじめからつまずいた。自分の名前の1文字目が出なくなってしまった。
「……アです」
「ノアですわ、ダニール様。わたしはローナと申します」
「ノアとローナだな。わかった。俺はダニールだ。ダーナと呼んでくれ」
「それはいけません!」
「ダーナ」と呼ぶことは目線も同じく、親しくするということだ。使用人と兵士に許されるわけがなかった。
「やはりダメか。別に無理強いするつもりはない。2人の立場もわかっている」
そうは言ったものの、寂しげに見えたダニールの顔にノアは自分から声をかけた。
「あの、ダーナ様でよろしいですか?」
「ちょっと、ノア!」
ノアは自分が落ち着いてきているのを自覚した。今ならはっきりものを言える。
「ここは田舎です。幸い、別荘に近づくものは少ない。そう呼んだとしても、だれにも気付かれないでしょう。ダーナ様が願うならできるだけ叶えるのが僕らの仕事です」
ノアのはっきりとした声にローナは何も言えなくなってしまった。
「いいか、ローナ?」
「あ、当たり前ですとも! ダーナ様!」
うれしそうな笑い声がする。やがて、3人分に広がっていく。平穏な別荘に新しい風が吹いた。
ダニールがやってきたのは、それからまもなくのことだ。
装飾も何もない、質素な馬車が別荘の門の前で止まった。ノアが慌てて出迎えようと駆け寄ったときには、馬車から1人が降りていた。周りにはその1人の他にだれもいない。兵士も使用人もおらず、彼しかいなかった。
ダニールは丈の長い真っ赤なガウンを羽織り、町民でも裕福な家庭を思わせるような服で王族らしからぬ姿で立っていた。黒髪がゆらゆらと風にそよぐ。快晴の青空を写し取ったような瞳は別荘へとそそがれた。
ノアは戸惑っていた。自分が知る限り、肖像画に描かれた男と寸分も狂わない。むしろ思っていたよりもずっと太くて頼りがいがある。無駄な脂肪を削ぎ落としたような身体だった。
別荘へとそそいだ目がノアを映し出す。ノアは息を呑んだ。呼吸をするのも忘れて、吸いこまれるように一心に見つめた。どちらとも目をそらさず、しばし時間が止まる。
時間を進めたのはローナの叱り声だった。
「邪魔よ、ノア! 王子さまに見惚れてんじゃないのよ!」
ノアはちょうど真ん中に立ち尽くしていた。「ご、ごめん。すぐ退くよ」このやりとりはダニールにも聞こえていた。ノアでもローナでもない、喉の奥で笑う声が響く。2人は驚いて振り返ると、ダニールが目を細めて笑っていた。
思いもよらないところからの笑いに、ノアとローナは揃ってダニールのガウンの色にも負けない真っ赤な顔をさせた。
「そそうを申し訳ございません」
「なぜ謝る?」
「使用人の分際で私語など厳禁でございますのに」
ローナは印象を取り戻そうと自分の知恵のかぎりの敬語を並べた。ノアは言葉にできず、ただうつむくだけである。こういうとき、話好きの侍女の頭はよく回転する。日頃の世間話が訓練となって、言葉を運んでくるのだった。
「いや、良いものを見せてもらった。私……俺もかたっくるしいものは苦手だ。お前たちもふつうに話せ。お前、名前は?」
まさか、真っ先に声をかけられるとは思わないでいたノアは、はじめからつまずいた。自分の名前の1文字目が出なくなってしまった。
「……アです」
「ノアですわ、ダニール様。わたしはローナと申します」
「ノアとローナだな。わかった。俺はダニールだ。ダーナと呼んでくれ」
「それはいけません!」
「ダーナ」と呼ぶことは目線も同じく、親しくするということだ。使用人と兵士に許されるわけがなかった。
「やはりダメか。別に無理強いするつもりはない。2人の立場もわかっている」
そうは言ったものの、寂しげに見えたダニールの顔にノアは自分から声をかけた。
「あの、ダーナ様でよろしいですか?」
「ちょっと、ノア!」
ノアは自分が落ち着いてきているのを自覚した。今ならはっきりものを言える。
「ここは田舎です。幸い、別荘に近づくものは少ない。そう呼んだとしても、だれにも気付かれないでしょう。ダーナ様が願うならできるだけ叶えるのが僕らの仕事です」
ノアのはっきりとした声にローナは何も言えなくなってしまった。
「いいか、ローナ?」
「あ、当たり前ですとも! ダーナ様!」
うれしそうな笑い声がする。やがて、3人分に広がっていく。平穏な別荘に新しい風が吹いた。