剣とひつじの物語
第1話
「待ってくれないか」
わたしは羊飼いである。杖を持って麻の服を着ている、本当にふつうの羊飼いである。いつものように大事な羊たちにエサを食べさせている最中だ。
しかし、今日は羊の群れにまぎれて男の姿があった。わたしは普通の羊飼い。あちらはどう見ても、ふつうの男じゃない。
腰に提げた剣をはじめ、わたしを見下ろしてくる大きな体、人を殺しそうなほどの目付きの悪さは、フードを被っても隠せていない。この辺りの村では、そんな物騒な剣も、悪い人相もお目にかけない。つまり、この人は山賊なのだろう。羊か、羊を狙っているのか!
「話を聞いてほしい」
「仕事中です」
大事な羊たちにエサを食べさせている最中だ。山賊の相手なんてしていられない。
でも、もし羊が襲われたらどうしよう。抵抗したら剣で殺されたりする? 無視はいけないかもしれない。こちらは女ひとりで羊飼いをなりわいにしている。そんじょそこらの乙女ではないのだ。草や枝を切るときのために腰に提げていた鎌に手をかける。
足を止めた。意を決して後ろを振り返る。
「わたしに何の用でしょう?」
「サナサ村のルシーリアという女性を捜している」
サナサ村にルシーリアという名前の女はわたし以外いない。つまり、どういうわけかはわからないけれど、この山賊はわたしを捜している。名乗り出ても大丈夫だろうか。
でも、もし襲われでもしたら、この鎌で戦ってやればいい。そんな気持ちで「あの、ルシーリアはわたしです」と名乗り出た。
「やはり、そうか。羊飼いをしていると聞いたが、話の通りだったな」
山賊は声を沈ませた。捜しているくせに、本当は見つけたくはなかったかのような態度だ。
山賊はフードを後ろに落とし、黒髪を風にさらす。あちこちに跳ねた髪は、まるで草原を駆け回る黒馬のたてがみのように見える。青い瞳は鋭いけれど、冷たくはない。瞳のなかに自分が見えても恐怖はなかった。
「ヴァン・ブランクルから預かったものがある」
「ヴァンから?」
ヴァンはわたしと同じ村の出身で、幼い頃に「結婚しよう」と約束したものだった。まあ、わたしもこの村でヴァンと結婚するのかなあと、何となく思っていたから、特に抵抗もなかった。
しかし、ヴァンは12歳のときに両親を亡くしてから、この村を出た。遠くの親戚を頼って、騎士を目指すために都へ渡ったのだ。
それから6年。ヴァンからの手紙はなかった。風の噂で騎士団に入ったとか。戦地に向かったとか。遠く離れた村に届くのは、たまにやってくる旅人や商人からの話だけだった。
ヴァンが書いたとされる手紙は、正直、胡散臭かった。相手は山賊だし、差し出されても受け取る気にもなれない。
「どうか、受け取ってほしい。俺たち騎士は戦地に向かう前に、必ず、こういうものを残す。心残りのないようにな」
「え、あなた、騎士なんですか?」
山賊かと思った。
「失礼した。俺……わたしはファナレリーア白騎士団のエセルバート・ドルイだ。ヴァンは一時期、わたしのもとで騎士見習いをしていたことがある。隊も同じだった」
白騎士団。確か出回っている絵には、白い鎧を纏って、白馬にまたがっている様子が描かれていたけれど。目の前のドルイ様は、そんな姿を微塵も感じさせなかった。むしろ、白騎士団とは違い、野性味あふれる黒騎士団のほうがお似合いな感じがした。だとしても。
「ご、ごめんなさい」もう色々と失礼をしてしまった。申し訳なくて地面に膝を落とそうとすると、「しなくていい」と言われた。
「私用で騎士団の制服は着てこなかったわたしも悪い。しかし、あの制服はまるで似合わなくてな」
わかる気がします。とは口に出せなかった。
「受け取ってもらえるだろうか?」
「あの、受け取りますけど、ヴァンは?」
途端、ドルイ様はうつむいて、気まずそうにする。わたしだって鈍感じゃない。騎士、戦地、上司がわざわざ手紙を渡しにくるとなれば、1つしかない。
「婚約者のきみに伝えるのは酷だが……」
聞きたくはなかった。ヴァンとは婚約者というよりかは兄弟のような存在だったけれど。ドルイ様の言葉をさえぎるように、「手紙を読んでもいいですか?」とたずねた。
「あ、ああ、もちろん」
受け取った手紙の封を開ければ、便箋の他にネックレスが入っていた。ヴァンがずっと身に付けていたお母さんの形見だ。血を流す戦地には、汚さないように身に付けていなかったのかもしれない。
それを握りしめたまま、便箋を開いた。別にヴァン相手に恋だとか、そういう感情はなかった。ずっと兄弟のようだった。
それなのに、ヴァンの文字を目で追っていくだけで涙がこみ上げてくる。手紙には、この戦いが終わったらわたしを迎えにいくと、そう書かれていた。
ヴァンがわたしのことを好きだったなんて知らなかった。どれだけの決意を持って村を出たのかも知らずに、わたしはヴァンを見送った。無邪気に笑顔で。
ごめんねと謝りたかった。ヴァンに許しをこうように、ネックレスとともに手紙を胸に抱く。
「ヴァンはどこで眠っているんですか?」
「葬儀はすでに済ませて、遺体は王立の墓地で眠っている」
「そうですか」
この村に帰ってくることはないのか。
「……その、何だ、泣いてもいいぞ」
「泣きません。まだ仕事の途中なんで」
嘘だ。ネックレスを首に通し、強がりを言ってドルイ様に背中を向けたとき、涙が転げ落ちた。だけど、わたしは知らないふりをした。涙は誰にも見せないって決めていた。
それなのに、肩に置かれた手が引き金になって、泣き声がもれてしまった。ダメだ、泣くなと思っても、次から次へと溢れてくる。服の袖口で涙を拭っていたら、「これを使うといい」と、くしゃくしゃの布が差し出された。あんまり清潔そうではないけれど、わたしはありがたく受け取った。「洗って返します」とか何とか言って。
ようやく涙も落ち着いて、くしゃくしゃの布がますますぐしゃぐしゃになってしまったとき、わたしは自分の失態に気がついた。
「失礼をしました。ドルイ様の貴重なお時間をとってしまって」
「いや、いいんだ。それよりあれは……」
「あ、ああ!」ドルイ様が指し示した方向、岩ひとつ分先に羊が見えた。
羊を放置し過ぎたらしい。大体は母羊が子羊に境界を教えてくれるから、群れを外れたりはしないのだけれど、ごくたまにはぐれてしまう羊がいるのだ。
「わたしが追おう」
何とも頼りがいのあるドルイ様が羊を追いかけてくれた。ドルイ様の活躍で羊を群れに戻すことができた。わたしが羊の首に杖の先を引っかけて群れに戻していると、「なるほど、杖はそのためにあるのか」なんてドルイ様が感心したように言う。
「ドルイ様、そんなことで感心なさらないでください」騎士団ならば、もっと大変な仕事をしているはずだ。
「いや、わたしは剣を振るうことしかできないから、騎士をやっているまでで、他のことはまるで駄目なんだ」
偉そうな態度をとるばかりか、とても謙虚なドルイ様にわたしは好感を抱いた。この人のもとで働けたヴァンは、幸せだったのではないだろうか。わたしがドルイ様に笑いかけると、彼の頬がぴくぴく動きだした。
「どうされました?」
「い、いや」
ドルイ様の目がうろついている。
「大丈夫ですか?」
「いや」大丈夫ではないらしい。頭に手を当てて具合が悪そうだ。
「あの、ドルイ様?」挙動不審なドルイ様はわたしに大きな背中を向けた。
「用は済んだのでこれにて失礼する。わたしの方こそ、仕事の邪魔をして済まなかった」
「あの、これ……」ドルイ様がちらっとわたしの手にある布を見る。
「次に来たときにでも返してくれればいい」
次に来たときにでもということは、また来るという意味か? でも、わたしにはわかっていた。社交辞令だということは。
「はい、お待ちしてます」
もう一度、ドルイ様の顔が見たかったけれど、彼は振り向くことなく行ってしまう。羊を驚かさないようにわざわざ、馬を置いて歩いて来てくれた優しさに気づいて、また笑みがこぼれるのがわかった。
そして、これが、ドルイ様との最初で最後の出会いだと思った。
「待ってくれないか」
わたしは羊飼いである。杖を持って麻の服を着ている、本当にふつうの羊飼いである。いつものように大事な羊たちにエサを食べさせている最中だ。
しかし、今日は羊の群れにまぎれて男の姿があった。わたしは普通の羊飼い。あちらはどう見ても、ふつうの男じゃない。
腰に提げた剣をはじめ、わたしを見下ろしてくる大きな体、人を殺しそうなほどの目付きの悪さは、フードを被っても隠せていない。この辺りの村では、そんな物騒な剣も、悪い人相もお目にかけない。つまり、この人は山賊なのだろう。羊か、羊を狙っているのか!
「話を聞いてほしい」
「仕事中です」
大事な羊たちにエサを食べさせている最中だ。山賊の相手なんてしていられない。
でも、もし羊が襲われたらどうしよう。抵抗したら剣で殺されたりする? 無視はいけないかもしれない。こちらは女ひとりで羊飼いをなりわいにしている。そんじょそこらの乙女ではないのだ。草や枝を切るときのために腰に提げていた鎌に手をかける。
足を止めた。意を決して後ろを振り返る。
「わたしに何の用でしょう?」
「サナサ村のルシーリアという女性を捜している」
サナサ村にルシーリアという名前の女はわたし以外いない。つまり、どういうわけかはわからないけれど、この山賊はわたしを捜している。名乗り出ても大丈夫だろうか。
でも、もし襲われでもしたら、この鎌で戦ってやればいい。そんな気持ちで「あの、ルシーリアはわたしです」と名乗り出た。
「やはり、そうか。羊飼いをしていると聞いたが、話の通りだったな」
山賊は声を沈ませた。捜しているくせに、本当は見つけたくはなかったかのような態度だ。
山賊はフードを後ろに落とし、黒髪を風にさらす。あちこちに跳ねた髪は、まるで草原を駆け回る黒馬のたてがみのように見える。青い瞳は鋭いけれど、冷たくはない。瞳のなかに自分が見えても恐怖はなかった。
「ヴァン・ブランクルから預かったものがある」
「ヴァンから?」
ヴァンはわたしと同じ村の出身で、幼い頃に「結婚しよう」と約束したものだった。まあ、わたしもこの村でヴァンと結婚するのかなあと、何となく思っていたから、特に抵抗もなかった。
しかし、ヴァンは12歳のときに両親を亡くしてから、この村を出た。遠くの親戚を頼って、騎士を目指すために都へ渡ったのだ。
それから6年。ヴァンからの手紙はなかった。風の噂で騎士団に入ったとか。戦地に向かったとか。遠く離れた村に届くのは、たまにやってくる旅人や商人からの話だけだった。
ヴァンが書いたとされる手紙は、正直、胡散臭かった。相手は山賊だし、差し出されても受け取る気にもなれない。
「どうか、受け取ってほしい。俺たち騎士は戦地に向かう前に、必ず、こういうものを残す。心残りのないようにな」
「え、あなた、騎士なんですか?」
山賊かと思った。
「失礼した。俺……わたしはファナレリーア白騎士団のエセルバート・ドルイだ。ヴァンは一時期、わたしのもとで騎士見習いをしていたことがある。隊も同じだった」
白騎士団。確か出回っている絵には、白い鎧を纏って、白馬にまたがっている様子が描かれていたけれど。目の前のドルイ様は、そんな姿を微塵も感じさせなかった。むしろ、白騎士団とは違い、野性味あふれる黒騎士団のほうがお似合いな感じがした。だとしても。
「ご、ごめんなさい」もう色々と失礼をしてしまった。申し訳なくて地面に膝を落とそうとすると、「しなくていい」と言われた。
「私用で騎士団の制服は着てこなかったわたしも悪い。しかし、あの制服はまるで似合わなくてな」
わかる気がします。とは口に出せなかった。
「受け取ってもらえるだろうか?」
「あの、受け取りますけど、ヴァンは?」
途端、ドルイ様はうつむいて、気まずそうにする。わたしだって鈍感じゃない。騎士、戦地、上司がわざわざ手紙を渡しにくるとなれば、1つしかない。
「婚約者のきみに伝えるのは酷だが……」
聞きたくはなかった。ヴァンとは婚約者というよりかは兄弟のような存在だったけれど。ドルイ様の言葉をさえぎるように、「手紙を読んでもいいですか?」とたずねた。
「あ、ああ、もちろん」
受け取った手紙の封を開ければ、便箋の他にネックレスが入っていた。ヴァンがずっと身に付けていたお母さんの形見だ。血を流す戦地には、汚さないように身に付けていなかったのかもしれない。
それを握りしめたまま、便箋を開いた。別にヴァン相手に恋だとか、そういう感情はなかった。ずっと兄弟のようだった。
それなのに、ヴァンの文字を目で追っていくだけで涙がこみ上げてくる。手紙には、この戦いが終わったらわたしを迎えにいくと、そう書かれていた。
ヴァンがわたしのことを好きだったなんて知らなかった。どれだけの決意を持って村を出たのかも知らずに、わたしはヴァンを見送った。無邪気に笑顔で。
ごめんねと謝りたかった。ヴァンに許しをこうように、ネックレスとともに手紙を胸に抱く。
「ヴァンはどこで眠っているんですか?」
「葬儀はすでに済ませて、遺体は王立の墓地で眠っている」
「そうですか」
この村に帰ってくることはないのか。
「……その、何だ、泣いてもいいぞ」
「泣きません。まだ仕事の途中なんで」
嘘だ。ネックレスを首に通し、強がりを言ってドルイ様に背中を向けたとき、涙が転げ落ちた。だけど、わたしは知らないふりをした。涙は誰にも見せないって決めていた。
それなのに、肩に置かれた手が引き金になって、泣き声がもれてしまった。ダメだ、泣くなと思っても、次から次へと溢れてくる。服の袖口で涙を拭っていたら、「これを使うといい」と、くしゃくしゃの布が差し出された。あんまり清潔そうではないけれど、わたしはありがたく受け取った。「洗って返します」とか何とか言って。
ようやく涙も落ち着いて、くしゃくしゃの布がますますぐしゃぐしゃになってしまったとき、わたしは自分の失態に気がついた。
「失礼をしました。ドルイ様の貴重なお時間をとってしまって」
「いや、いいんだ。それよりあれは……」
「あ、ああ!」ドルイ様が指し示した方向、岩ひとつ分先に羊が見えた。
羊を放置し過ぎたらしい。大体は母羊が子羊に境界を教えてくれるから、群れを外れたりはしないのだけれど、ごくたまにはぐれてしまう羊がいるのだ。
「わたしが追おう」
何とも頼りがいのあるドルイ様が羊を追いかけてくれた。ドルイ様の活躍で羊を群れに戻すことができた。わたしが羊の首に杖の先を引っかけて群れに戻していると、「なるほど、杖はそのためにあるのか」なんてドルイ様が感心したように言う。
「ドルイ様、そんなことで感心なさらないでください」騎士団ならば、もっと大変な仕事をしているはずだ。
「いや、わたしは剣を振るうことしかできないから、騎士をやっているまでで、他のことはまるで駄目なんだ」
偉そうな態度をとるばかりか、とても謙虚なドルイ様にわたしは好感を抱いた。この人のもとで働けたヴァンは、幸せだったのではないだろうか。わたしがドルイ様に笑いかけると、彼の頬がぴくぴく動きだした。
「どうされました?」
「い、いや」
ドルイ様の目がうろついている。
「大丈夫ですか?」
「いや」大丈夫ではないらしい。頭に手を当てて具合が悪そうだ。
「あの、ドルイ様?」挙動不審なドルイ様はわたしに大きな背中を向けた。
「用は済んだのでこれにて失礼する。わたしの方こそ、仕事の邪魔をして済まなかった」
「あの、これ……」ドルイ様がちらっとわたしの手にある布を見る。
「次に来たときにでも返してくれればいい」
次に来たときにでもということは、また来るという意味か? でも、わたしにはわかっていた。社交辞令だということは。
「はい、お待ちしてます」
もう一度、ドルイ様の顔が見たかったけれど、彼は振り向くことなく行ってしまう。羊を驚かさないようにわざわざ、馬を置いて歩いて来てくれた優しさに気づいて、また笑みがこぼれるのがわかった。
そして、これが、ドルイ様との最初で最後の出会いだと思った。
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