寝台の上の騎士
第1話
わたしは椅子に上るなり、ほうきの柄をくるりと回す。そうすれば、蜘蛛の巣は潰れて柄に巻きついた。
「おい、早くしろ」
「今、やってますってば」
仕事をはじめてから大きな失敗はなかったはずだった。この男の部屋を掃除するまでは――。
わたしは騎士たちの部屋を掃除するメイドだ。それ以外のことをしたいとも思わないし、それ以上のことをする必要もない。お給金もそれなりの安さだし。とにかく、部屋にある埃という埃を取り除くのが仕事だ。
今日の仕事場は新しい部屋だった。同僚の女の子がひとりやめてしまったため、回ってきた仕事だ。
部屋の主は騎士で隊長の下と言ったかな。先の戦いにより、怪我を負って、部屋で静養中らしい。本来なら医務室にいろよというところだけれど、医務室がいっぱいで、特にひどい怪我の人が優先されているらしい。
つまり、今回の部屋は住人がいらっしゃるのだ。そういうときは仕方なく、空気よろしく静かに掃除をはじめるしかない。わたしはいませんよと心のなかで唱えながら、床をみがく必要があるだろう。
部屋に入ってみれば、想像した通り、眠っていらっしゃる。毛布を体にかけて、肩から上を出している。騎士の人って鍛えすぎて首周りが太かったり、顎がしっかりしているのだ。髭も生えているし、枕は臭い。
けれど、この人は違った。首は細いわ、顎は尖っているわ、髭はないわ。小顔とさらさらした髪の毛が女として負けている気がする。長いまつ毛を揺らして、お前は王子か。ただ、白い肌に小さなかすり傷があったのが残念に思う。それもささいなことで、男の人を相手に、綺麗だなあと見惚れたのははじめてかもしれない。
瞼を開けたら、どんな表情をするのだろう。仕事そっちのけで、じっと眺めた。肩や腕はそれなりに筋肉ありそうだけれど。
「んっ」
男がわたしのいる方向に寝返りを打つ。頬が枕につぶれて、綺麗から可愛らしい顔に変わる。気持ち良さそうによだれまで垂らしている。故郷にいる幼い弟を見ている気分だった。懐かしいな。だから、手を伸ばして、さらさらした髪の毛を撫ででしまったのだろう。
「母上……」
包帯に包まれた男の手がわたしの手を捕らえる。どうやら、お母さんの手と間違えているらしい。わたしの手に頬ずりをする。すりすりとされる。髭のざらついた触り心地は、男なんだなぁと思う。
いや、これ以上はやばい。腕を引こうとするけれど、思いの外、男の手の力が強かった。本当に怪我をしているんだろうか。
「あの~」
離してもらわないと仕事にならない。不躾だとは薄々感じていたけれど、そいつの肩に手を置いて揺すってやった。さっさと起きろと。
「ん?」起きそうだ。もう一揺らししてみると、瞼がわずかに動いて、青い瞳が現れた。
しばらく視点は定まらなかったけれど、目は丸くなってから大きく見開かれた。そして、「ぎゃあ!」と叫び声を放つ。わたしの腕は払い落とされた。
まるで化け物扱いだ。
「い、いてえ」
お腹を手でかばいながら、そいつはうめく。そうだった、怪我をしているんだった。体を折って痛がって、お可哀想である。同情心を抱きつつ眺めれば、目の前の男は落ち着いてきたようだ。
「お、お前は誰だ?」
誰だってメイドの服を着ているし、考えればわかるようなものだけれど、「メイドです」なんて律儀に答えた。
それからの奴のわたしに対する扱いといえば、ひどい。自分が勝手に寝顔をさらしたくせに、「寝こみを襲いやがった女」だと決めつけてくる。
「してません」
「しただろう。人の頬や肩にまで触れた」
「それはあなたが『母上~』とか言って、人の手を掴んでくるから」
「なっ!」
「母上~」と甘えてきたのは事実だ。手を掴まれたのも嘘ではない。固まっているところ悪いけれど、
「何でもいいですけど、仕事をしていいですか?」
「仕事……ああ、掃除か。ふん、好きにしろ」
偉そうな態度である。騎士にもこんなやつがいるのかとがっかりする。さっさとほうきで払って、床をみがいてやろう。
いつもよりもてきぱき仕事をこなせている自分に満足していたら、「おい」と呼ばれた。
「何か?」
「そこの角の拭きが甘い。みぞもしっかり拭け」
命令かよ。そう思いながらも、自分の掃除が甘かったのかもしれない。角もみぞも拭いたら、「髪の毛が落ちている」なんて。よくも寝台の上から髪の毛の1本が発見できるな。それからも、細かいところをいちいち指摘してくる。
「まあ、いいだろう」と許可をいただいたのはお昼頃のことだった。一部屋に時間をかけすぎだ。
「それでは、失礼して……」
騎士の顔を見ないようにして、早々に部屋を退出しようとしたとき、「待て」と引き止められた。
「まだ、何か?」
「明日も来るつもりか?」
「ええ、まあ、一応、仕事ですし」
「そうか」
何でそんなことを確かめるんだろう? 寝顔を見られたことが気にさわったのか? その辺のことはわからないけれど、一応文句は言われないように礼儀は尽くして、退室した。
さて、それからなんだけれど、わたしは毎日そいつにいびられている。怪我の治りが遅いらしく、寝台の上からだ。寝顔を見ることはなくなったけれど、起きているせいでいちいち指摘してくる。「どこやれ」「そこやれ」なんて、本当にやめてほしい。
掃除だけではなく、シーツを取り替えろだの、食事を食わせろだの。わたしの仕事じゃないと思った。でも、包帯ぐるぐるの手を見せられると、何にも言えなくなった。お給金がはずむだろうな、おい。
で、人が帰ろうとすれば、「明日も来るつもりか」といちいち確かめてくる。この時ばかりはわたしも腹の虫がおさまらずに、「ええ、そのつもりですが何か?」と返してしまう。毎回、同じように聞いてくるから「悪いですか?」とたたみかけてしまうこともある。
「い、いや」
そこで目線を明らかに外し、気まずそうにする。何だか知らないけれど、わたしがこの部屋に来ることは許されているらしい。こっちはあんたの部屋の滞在時間が長すぎて、他の部屋の掃除時間が詰まっているのだ。
「失礼いたします」
「ああ」
結局、「お疲れ様」のひとことすらもらえなかった。こんなやつが騎士として出世するとは思えない。
わたしは椅子に上るなり、ほうきの柄をくるりと回す。そうすれば、蜘蛛の巣は潰れて柄に巻きついた。
「おい、早くしろ」
「今、やってますってば」
仕事をはじめてから大きな失敗はなかったはずだった。この男の部屋を掃除するまでは――。
わたしは騎士たちの部屋を掃除するメイドだ。それ以外のことをしたいとも思わないし、それ以上のことをする必要もない。お給金もそれなりの安さだし。とにかく、部屋にある埃という埃を取り除くのが仕事だ。
今日の仕事場は新しい部屋だった。同僚の女の子がひとりやめてしまったため、回ってきた仕事だ。
部屋の主は騎士で隊長の下と言ったかな。先の戦いにより、怪我を負って、部屋で静養中らしい。本来なら医務室にいろよというところだけれど、医務室がいっぱいで、特にひどい怪我の人が優先されているらしい。
つまり、今回の部屋は住人がいらっしゃるのだ。そういうときは仕方なく、空気よろしく静かに掃除をはじめるしかない。わたしはいませんよと心のなかで唱えながら、床をみがく必要があるだろう。
部屋に入ってみれば、想像した通り、眠っていらっしゃる。毛布を体にかけて、肩から上を出している。騎士の人って鍛えすぎて首周りが太かったり、顎がしっかりしているのだ。髭も生えているし、枕は臭い。
けれど、この人は違った。首は細いわ、顎は尖っているわ、髭はないわ。小顔とさらさらした髪の毛が女として負けている気がする。長いまつ毛を揺らして、お前は王子か。ただ、白い肌に小さなかすり傷があったのが残念に思う。それもささいなことで、男の人を相手に、綺麗だなあと見惚れたのははじめてかもしれない。
瞼を開けたら、どんな表情をするのだろう。仕事そっちのけで、じっと眺めた。肩や腕はそれなりに筋肉ありそうだけれど。
「んっ」
男がわたしのいる方向に寝返りを打つ。頬が枕につぶれて、綺麗から可愛らしい顔に変わる。気持ち良さそうによだれまで垂らしている。故郷にいる幼い弟を見ている気分だった。懐かしいな。だから、手を伸ばして、さらさらした髪の毛を撫ででしまったのだろう。
「母上……」
包帯に包まれた男の手がわたしの手を捕らえる。どうやら、お母さんの手と間違えているらしい。わたしの手に頬ずりをする。すりすりとされる。髭のざらついた触り心地は、男なんだなぁと思う。
いや、これ以上はやばい。腕を引こうとするけれど、思いの外、男の手の力が強かった。本当に怪我をしているんだろうか。
「あの~」
離してもらわないと仕事にならない。不躾だとは薄々感じていたけれど、そいつの肩に手を置いて揺すってやった。さっさと起きろと。
「ん?」起きそうだ。もう一揺らししてみると、瞼がわずかに動いて、青い瞳が現れた。
しばらく視点は定まらなかったけれど、目は丸くなってから大きく見開かれた。そして、「ぎゃあ!」と叫び声を放つ。わたしの腕は払い落とされた。
まるで化け物扱いだ。
「い、いてえ」
お腹を手でかばいながら、そいつはうめく。そうだった、怪我をしているんだった。体を折って痛がって、お可哀想である。同情心を抱きつつ眺めれば、目の前の男は落ち着いてきたようだ。
「お、お前は誰だ?」
誰だってメイドの服を着ているし、考えればわかるようなものだけれど、「メイドです」なんて律儀に答えた。
それからの奴のわたしに対する扱いといえば、ひどい。自分が勝手に寝顔をさらしたくせに、「寝こみを襲いやがった女」だと決めつけてくる。
「してません」
「しただろう。人の頬や肩にまで触れた」
「それはあなたが『母上~』とか言って、人の手を掴んでくるから」
「なっ!」
「母上~」と甘えてきたのは事実だ。手を掴まれたのも嘘ではない。固まっているところ悪いけれど、
「何でもいいですけど、仕事をしていいですか?」
「仕事……ああ、掃除か。ふん、好きにしろ」
偉そうな態度である。騎士にもこんなやつがいるのかとがっかりする。さっさとほうきで払って、床をみがいてやろう。
いつもよりもてきぱき仕事をこなせている自分に満足していたら、「おい」と呼ばれた。
「何か?」
「そこの角の拭きが甘い。みぞもしっかり拭け」
命令かよ。そう思いながらも、自分の掃除が甘かったのかもしれない。角もみぞも拭いたら、「髪の毛が落ちている」なんて。よくも寝台の上から髪の毛の1本が発見できるな。それからも、細かいところをいちいち指摘してくる。
「まあ、いいだろう」と許可をいただいたのはお昼頃のことだった。一部屋に時間をかけすぎだ。
「それでは、失礼して……」
騎士の顔を見ないようにして、早々に部屋を退出しようとしたとき、「待て」と引き止められた。
「まだ、何か?」
「明日も来るつもりか?」
「ええ、まあ、一応、仕事ですし」
「そうか」
何でそんなことを確かめるんだろう? 寝顔を見られたことが気にさわったのか? その辺のことはわからないけれど、一応文句は言われないように礼儀は尽くして、退室した。
さて、それからなんだけれど、わたしは毎日そいつにいびられている。怪我の治りが遅いらしく、寝台の上からだ。寝顔を見ることはなくなったけれど、起きているせいでいちいち指摘してくる。「どこやれ」「そこやれ」なんて、本当にやめてほしい。
掃除だけではなく、シーツを取り替えろだの、食事を食わせろだの。わたしの仕事じゃないと思った。でも、包帯ぐるぐるの手を見せられると、何にも言えなくなった。お給金がはずむだろうな、おい。
で、人が帰ろうとすれば、「明日も来るつもりか」といちいち確かめてくる。この時ばかりはわたしも腹の虫がおさまらずに、「ええ、そのつもりですが何か?」と返してしまう。毎回、同じように聞いてくるから「悪いですか?」とたたみかけてしまうこともある。
「い、いや」
そこで目線を明らかに外し、気まずそうにする。何だか知らないけれど、わたしがこの部屋に来ることは許されているらしい。こっちはあんたの部屋の滞在時間が長すぎて、他の部屋の掃除時間が詰まっているのだ。
「失礼いたします」
「ああ」
結局、「お疲れ様」のひとことすらもらえなかった。こんなやつが騎士として出世するとは思えない。
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