白馬と姫(1~50)

第45話『幕切れ』

 逃げなきゃ。そう思うのに足は震えてしまって動けない。それでも、体を後ろに退いて、かろうじてナイフの刃をかわす。

 おじさんは獣のようなおたけびとともに、舞台に上がってきた。おじさんを止めようとする人たちをナイフを横に振って遠ざける。

 遠ざければ、邪魔する人もいない。わたしの腕をつかむと、毛のはえた太い指で引いて、バランスを崩させる。おじさんのほうに倒れこむ体を後ろに戻したいのに、踏ん張りがきかない。

 そして、ナイフが一度上げられる。あとは振り下ろされるだけだ。距離が近すぎて、もう間に合わない。ヴェールにナイフの切っ先が引っかかる。わたしはそれ以上、目を開いていられない。どこかで悲鳴が聞こえてきた。

 誰かのぬくもりがわたしの肩を包む。耳元で「神子様」と息の上がった声を聞いた。抱きとめてくれたのはエリエなのだろう。エリエに看取られて、わたし、もう死んじゃうんだ。全然痛みを感じないのが幸いなくらい。

 最期にエリエの顔が見たくて瞼を開くと、ヴェールはかぶっていないみたいで、直接、見ることができた。それがいつもどおりの冷静な顔だったから全身の力が抜けた。

「エリエ、わたし、生きてる?」

「もちろんですとも」

「……そっか」

 ホッとして、顔を手の甲でぬぐったら、赤い液体がべったりついた。わたしの血? でも、痛みはない。わたしの血じゃなかったら、これは誰の血なのだろう。

 疑問に思ったとき、ぎゃあと耳障りな声が上がった。声の先を確かめる。剣の切っ先から赤い液体がしたたり落ちていく。クラウスさんが剣を持ってたたずんでいた。

 液体を目で追っていくと、切り離された腕のひとつが血だまりのなかに落ちている。腕を落とされたおじさんがのたうちまっていた。

「クラウスさん」

 呼びかけた声が震えてしまう。頼りがいのある背中はお兄さんみたいな存在だと思っていた。それなのに、クラウスさんはおじさんにとどめをさした。おじさんの体がけいれんして、やがて動きを止めていく。クラウスさんの足元の血だまりがまた大きく広がっていった。

 クラウスさんが後ろを振り返る。逆光で隠された表情のなかに、瞳だけはしっかり見つけられた。

「ミヤコ様?」

「……そのおじさんは死んだんですか?」

「国に背く罪人には死あるのみです」

 この世界の人たちにはクラウスさんに向かって拍手と歓声を上げる。人が死ぬのは当たり前なの? 国が平和に見えていたのも、こうやって罪人を消してきたからなの?

 わからなかった。クラウスさんに何も言い返せないまま、わたしは幕を下ろすように瞼を閉じた。
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Clap