白馬と姫(101~end)

第108話『あの方のために』

 鬼の授業を何とか気を失わずに乗りきったわたし。まあ、古代文字が文字であることがわかるくらいは、賢くなったと思う。

 窓を眺めてみれば、ようやくのフィンボルン。開かれた門をくぐると、いつか訪れた街並みが広がっている。相変わらず街のなかはごちゃごちゃしていて、にぎわっていた。馬車を避けるように人が歩く光景を見るのははじめてだった。

 久しぶりに馬車の扉を開けば、黒ずくめのジュリアさんが街並みを背負って立っていた。

 黒ずくめ姿をフィンボルンで見てもあんまり違和感がないのは、この街のおかげかもしれない。この街はとにかく色んな服装の人がいるのだ。傭兵みたいなものから踊り子さんみたいな人もいるし。それでいうと、ジュリアさんは隠密のような感じかなと思った。

 帽子のなかに髪の毛を隠してから馬車を降りると、「お疲れですか?」と女神のように優しい言葉をかけてくれる。どこかの鬼とはまるで違う態度にわたしは感心した。

「ジュリアさんこそ疲れたでしょう?」

「いいえ、わたしは疲れませんわ」

 そうなのかな? ずっと休まず、馬車を操っていたから、ジュリアさんのほうが疲れているはずだと思う。彼女は疲れを一切感じさせずに、微笑みながら言葉を続けた。

「わたしはあの御方のためでしたら、どんなことでも平気です」

「あの御方って?」大体想像はできるけど。

「わたしの口から申し上げるのはおこがましいものですが、あの御方というのはレーコ様です。レーコ様のためでしたらどんなことでもできるのです。レーコ様の御子であるあなたも例外ではありません。ですから、ご遠慮なさらないでください」

 何でそこまでレーコさんに尽くせるのか、わたしには理解できない。ジュリアさんの気持ちは嬉しいけど、それ以上に戸惑ってしまうのだ。

 馬車の台から地面へと降りたとき、わたしは疑問をたずねてみることにした。

「どうして、レーコさんのためにそこまでするんですか?」

 少し踏みこみすぎたかもしれないと聞いてみてから感じた。だけど、ジュリアさんはわたしをまっすぐに見つめた。

「そうですね……わたしはマージのはからいでレーコ様の世話係につきました。年齢が近いこともありましたが、どうもわたしは堅い性格のようで、レーコ様と親しくとはいきませんでした。
しかしある日、わたしの父と夫はふたりとも同じような欲深い人間で、若いジルベールを王とするための策略を企てたのです。
当然、わたしもレーコ様を偵察するように言われました。もちろん、そんなバカなことはできません。断りました。
それでも父と夫の策略が暴かれたときには、わたしも疑われてしまい……そのとき、見放さないでくださったのがレーコ様でした。
『ジュリアはお堅いし、厳しいけど、人を裏切ったりしない』とかばってくださったのです。
そのときからわたしは変わりました。レーコ様のためならば、すべてを捧げる覚悟を持てたのです」

 ジュリアさんはきっぱりと宣言した。こちらに向けられたその瞳は潤んで見えた。もしかしたら、わたしではなくて、レーコさんを見つめているのかもしれない。

 革袋を持ったサディアスが馬車を降りると、「行きましょうか」とジュリアさんが告げた。彼女の視線はもう、別のところに移っていた。
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