うつくしい人※
跡部さんは今日も美しい。
「……ぁ、はぁッ!あとべ、さ」
「……若。気持ち良さそうだな?」
「ン、はっ、はい……あぁっ」
真っ暗な寝室にはカーテンの隙間から漏れる月明かりと嬌声だけが満ちていた。
俺に覆いかぶさる月明かりに照らされた跡部さんの顔はとても美しくって、きらめく汗がこめかみから顎を伝って俺の額に落ちるのを涙で霞んだ目で追いかけていればグイッと顎を掴まれキスをされた。
「何見てやがる」
「……あんたの汗が綺麗だから」
「汗だけか?」
「なんっ、!あ、もぉ……ひぁッ!」
跡部さんの動きが激しくなる。芸術品のように整った眉を寄せながら不敵な笑みを浮かべて俺を激しく突き上げてくる。俺はもう、跡部さんの動きに翻弄されて彼のなすがままに揺さぶられるしかない。喉の奥からは自分のものなのか疑いたくなるような甘ったるくて甲高い嬌声ばかりが漏れ出る。
「好きだろう、若。顔も、ペニスも、声も。俺様の全てが。」
そう言って容赦なく俺の前立腺を長大なペニスで押し潰し、俺の首筋に思いっきり歯を立てる跡部さんに、必死に頷く。
「ひぁ゙ッ!!すき、すきっ、です……!あぁ……」
「ふ……いい子だ」
跡部さんの望む言葉を吐けば、満足そうに髪を梳かれた。噛まれてジンジンと痛む首筋を唾液を塗りつけるように舌で執拗に舐められぞくぞくと背筋を快楽が駆け抜けていった。
「ン……ッ」
「く……出すぞ、若ッ」
「〜〜〜ッ!!」
ゴツン!と最奥を穿たれ声にならない悲鳴を迸らせながら派手に達する俺を抱きすくめながら跡部さんは俺の中に欲を吐き出した。膣内に熱い飛沫が満ちる感覚にさえ快楽を覚えて、達したばかりの熱い身体がびくびくと俺の意志とは関係なく痙攣した。
「っ、は、ぁ」
ゆっくりと俺の中から跡部さんのペニスが引き抜かれる。栓をするものを無くした後孔はだらしなくはくはくと口を開け白濁を垂らしていた。
「あぁ、エロいな」
俺の後孔に熱い視線を送りながら跡部さんが呟く。羞恥に身をよじり視線から逃れようとするが達したばかりの身体では上手く力が入らずそれも叶わなかった。せめて視姦されている後孔をどうにかしようと上手く回らない頭で自分の後孔に指をあてがった。
「……っあ、うそ、ゆ、び……」
蕩けたそこは俺の指に吸い付いて飲み込んでしまった。中の白濁の熱さを指先に感じる。思いがけない事態に驚きぎゅうぎゅうと中の指を締めつければ、浅い部分に指の腹が擦れて気持ちがよかった。もどかしい刺激が心地よくって、夢中で後孔に入れた指を自慰をするように浅くピストンしていれば跡部さんに腕を掴まれた。見上げた先にある青い瞳は獰猛な色を宿していて。
「せっかくたっぷり注いでやったのに、まだ足りねえようだなあ、若?」
「ぁ……」
意地悪く嗤いながら跡部さんがまた俺の後孔にペニスをあてがう。もう無理だと抗議するより早く俺の膣内に先程達したばかりとは思えない程硬いペニスをねじ込んだ跡部さんは激しく俺を揺さぶった。
「も、むり……」
あれからどれくらい経ったか。窓から見えていた月明かりももう見えなくなっていた。身体中に刻まれたキスマークや噛み跡はぎょっとするほどの量だし、後孔は何度も抽送されたことにより擦れて違和感が酷い。なにより腰が痛すぎる。少しでも身体を動かそうものなら身体中がぎしぎしと錆びついたロボットのように軋んだ。幸い、行為が終わった後動けない俺の身体を跡部さんがタオルで清めてくれたお陰で汗やその他の液体の不快感こそはないが。疲れ切った身体を上質なベッドに投げ出していれば、シャワーを浴びてきたのであろう跡部さんがスッキリとした表情でリビングからペットボトルを持ってきた。
「あとべさん……」
「ひでえ声だな」
誰のせいだと思っているんだとじっとりと跡部さんを睨みつければ、苦笑しながらストローを刺したペットボトルが口元に差し出される。寝そべったまま飲むなんて行儀が悪いとは思いつつもストローに口をつけて水を飲んだ。冷たい水が喉を通っていく感覚に少し気分がすっとするのを感じた。
「悪いな、無理させちまって」
「本当ですよ、なんでそんなに体力あるんですか……」
大分マシになった声で跡部さんに言葉を返す。跡部さんは今日も遅くまで仕事だったようだし、明日も朝早くから家を出る予定だ。けれど跡部さんはこんなに遅くまで起きていても決して寝坊しないし隈のひとつも出来ない。何か特別な事をしているのかもとも思っていたが、毎朝決まった時間に起きてジョギングをしてバランスの良い食事を摂る。ただそれだけのようだった。
「ほら、寝ようぜ」
跡部さんが俺を抱きしめてベッドに沈む。跡部さんの逞しい腕の中でぬくもりに包まれながら眠りについた。
ーーー
今日の朝食は食パンにベイクドビーンズ、目玉焼き、ブラックプディングだ。跡部財閥の保有する邸宅から来ているという通いのメイドの作る料理はどれも絶品で、ここに住むようになってから少し太った気さえする。初めて食べた時は慣れないイギリス料理に居心地の悪さを感じていたが、今となっては毎日の食事を楽しみに過ごしているほどだ。食後にニュースを見ながらこれまたメイドの淹れてくれたおいしい紅茶を飲む。跡部さんは紅茶が好きらしく、どんなに忙しくて満足に食事を摂れないような日でも毎食欠かさず紅茶を飲んでいる。
テレビでは最近巷を騒がせている若い女が立て続けに行方不明になっている事件を取り上げていた。
『ーー昨日未明、東京都○○区○○にて大学2年生の女性が行方不明にーー』
「これ、結構近いですよね」
「ああ、そうみてえだな。家出とかそう言う類のもんじゃねえのか?」
「でも、家出しそうにないような真面目な人とか、旅行間近だった人も行方不明になっているらしいですよ。噂では若い女を攫って人身売買している組織がいるだとか、土地神に捧げるための供物として攫ってるとか」
「詳しいな、お前」
「まあ、そう言うゴシップが好きな友人がいるんで」
「……友達選んだ方がいいんじゃねえのか?」
呆れ顔の跡部さんがメイドが持ってきた瓶を受け取り蓋を開ける。途端に部屋に広がる華やかな匂い。中には赤いドロリとしたジャムが入っていて、それをスプーンで掬って自らのカップに入れた。紅茶の中に沈んでいくジャムを見つめながら跡部さんがからかうように言う。
「お前も攫われねえように気を付けろよ?」
マンションのエントランスの前に止まった迎えの車に乗り込む跡部さんの後ろ姿を見送る。車のドアを閉める顔馴染みの初老の男性が俺に軽く会釈をしてきたためこちらもぺこりと頭を下げた。跡部さんは大学まで送っていくといつも言うのだが、とてもじゃないがこんな高級車から降りるところを大学の友人達に見られるわけにはいかない。あいつらの事だ、確実にからかわれる。海堂は兎も角、切原は無遠慮に跡部さんと俺の関係を聞いてくるだろうし財前に至ってはブログのネタにしかねない。
跡部さんが乗る車を見送り、駅に向かって歩いた。
ーーー
「なあ日吉見たかよ今朝のニュース!」
講義室に着くなり他の生徒と話していた切原が俺の元に来て興奮したように話かけてくる。どうやら件の『行方不明事件』の事らしい。
「ああ、今度は大学生の女が行方不明になったらしいな」
「そうそう!そんでさ、その行方不明になったの、なんでもこの大学の生徒らしいぜ」
「音楽科の生徒で、彼氏とデートした後駅前で別れてから音信不通らしいで」
登校してきた財前が鞄を机に置きながら話に混ざる。財前と共に教室に入ってきた海堂も、心配そうな声色で「早く見つかるといいな」と言った。どうやら学内はその話題で持ちきりらしく、どこを歩いていてもやれどこぞの宗教団体が絡んでいるだの、やれ神隠しにあっただのと噂話が耳に入ってきた。馬鹿馬鹿しい上に人が行方不明になっているにも関わらず不謹慎だとは思いつつももし本当に何かの儀式やらの生贄なのだとしたらそれは少しだけ興味をそそられる事だなんて思ってしまった。
「今日ホンマどこ行っても事件の話ばっかやな」
中庭のテーブルで俺と海堂が弁当を広げる横で、コンビニのサンドイッチを頬張りながら財前が言う。周りで昼食を摂っている生徒達は相も変わらず根も葉もない噂話に夢中の様だ。
「学内で行方不明者が出てるんだし仕方がないのかもな」
「お待たせ〜!わり、売店混んでてさ〜」
昼食を買いに行っていた切原が戻ってきた。片手にはジュースやら惣菜パンが大量に入ったビニール袋を持っていた。
「随分と買い込んだな」
「今日売店5時に閉まるらしいから安いやつ大量買いしてきたんだよ」
「えらい早いな。いつもなら夜の9時まで開いとるやろ」
「そうなんだけどさ、売店のねーちゃん若いじゃん?最近行方不明騒ぎが続いてるし、昨日のに関してはこの大学の生徒だろ?だから安全のために今日は早く閉めるんだってよ」
そう言って切原がガサツに袋からコロッケパンを取り出して頬張る。
「ふぇもさー、今回の事件、けっこうやばふぃよなー」
「おい切原、行儀が悪いぞ」
「そういえば、これで12件目やろ?この辺りで若い女が失踪するんは」
「そんなにか」
「そーそー。最初は確か20代のOLが仕事帰りに行方不明になったんだっけ?」
「せや。それも、失踪したその週に旅行行こうとしよったから不自然って事で事件が明るみになったんや。元々失踪なんて珍しいことでもあれへんし大概は駆け落ちだとか事件性無いものばかりやから警察も相手せえへんみたいやけど、その後も失踪しそうに無いような人が立て続けに消えたからな。これはもしかしたら攫われてるかもしれへんって話になったんや。実際には最初の行方不明者が出る前からこの辺りで不可解な失踪はあったとか言う話もあるで」
財前がスマホの画面を見ながら言う。どうやらネット上にもこの事件の記事は大量にあるようだ。
「快楽殺人だとか、ヤクザが絡んでるとか、色んな噂あるけど実際どうだと思う?」
「……さあな」
「もし快楽殺人だったとして、意外と近くに潜んでたらやばくね?」
「おい、そこまでにしとけよ。学内の生徒も被害にあってんだぞ」
パンを食べ終わった切原が物騒な事を言う。それを海堂がとがめているうちに、昼休み終了を告げる鐘が鳴り俺たちは慌てて講義室へと向かった。
講義室の扉を開けると、何やら生徒達がホワイトボードの前で騒ついていた。俺たちの姿に気がつくと、皆一斉にこちらを振り向いた。俺の姿を見て嫌悪感を露わにする女子生徒にニヤニヤといやらしい笑みを寄越す男も。一体何事だとホワイトボードに目を遣れば、思いもよらぬ光景が広がっていた。
「なんだよ、これ……」
ホワイトボードには跡部さんと俺の姿を収めたおびただしい量の写真が貼られていた。マンションのエントランスから2人で出てくる姿、2人で買い物をしている写真。そして、車の中でキスしている写真も。更にホワイトボードには『ホモ野郎』『跡部景吾をたぶらかすビッチ』『女抱けない不能』と言った言葉が無数に書き殴られていて、ショックでぐらぐらと視界が歪んだ。そこには明確な悪意があった。誰がこんな事を。
「……なんやねん、これ」
「おい日吉、お前これマジで?男にケツ掘られてよがってんの?」
「おい!何言ってんだてめえ!」
呆然とする俺たちに男が面白そうに話しかける。あまりの出来事に何も言えない俺に変わって、切原が怒った。
「おい、これ剥がすぞ」
海堂が写真を剥がしだす。切原がホワイトボードに書かれた文字を荒っぽく消していく。俺は沢山の生徒たちの好奇の目にさらされていると分かっていながらもただ立ち尽くしてそれを見ている事しか出来なかったが、財前に腕を引っ張られなんとか講義室から逃げるように出た。
「……財前、授業は」
「今はそんな事言ってる場合やあれへんやろ」
財前に引き摺られてやってきたのは大学の外の公園だった。無断欠席になってしまうが財前は授業に戻るつもりはなさそうだった。スマホをポチポチ弄ると、「2人ももうすぐここ来るで」と言ってベンチに腰を下ろした。
俺も対面のベンチにおずおずと座る。とてもじゃないがこちらから話を切り出す気になれず、俯いて足先を見つめていた。無言の時間が過ぎていったがしばらくすると足音が聞こえてきた。
「わり、全部写真回収するのに時間かかっちまってさ」
「おい、大丈夫か日吉」
ビニール袋を抱えた海堂と切原が心配そうな表情で俺に話しかけてくる。けれど、俺は自分を心配してくれている2人の言葉にも、何も返せずにいた。
「大丈夫か?」
「…まない」
「……?」
「すまない。こんな事に巻き込んでしまって。男と付き合ってるだなんて、気持ち悪いだろ?嫌だったら遠慮無く俺と縁切ってくれて良いから」
俯いたまま震える声で言う。今まで黙っていた事の罪悪感と、男と付き合っていた事で友人に軽蔑されるかもしれない恐怖心。けれど3人は何を言っているんだと言わんばかりの顔をすると、口々に言った。
「はあ!?なんだよ意味わかんねえ事言って!ゲイとか関係なくね?」
「俺らはそんなんで友達辞めへんで」
「そうそう。むしろ相手はあの跡部だろ?玉の輿じゃん。マジ羨ましいぜ」
「そもそも、盗撮みてえな事やる相手が悪い。日吉が気に病むことなんて一つもねえ」
俺が男と付き合っている事を告白しても変わらぬ態度で接してくれる友人たちに涙が出そうだった。願わくば、もっと良いカミングアウトをしたかったが。
「でもまー、これからどうするかだよなあ」
俺が落ち着いた頃、切原がボソッと呟いた。
「とりあえずあそこにあった写真は全部回収してホワイトボードの文字も消したが……」
「まあでも、噂なんて一瞬で広まるからな。ただ消しただけじゃどうにもならへん」
財前が顔をしかめながら言う。そして、ビニール袋に詰められた写真を取り出すと、より一層険しい顔で言った。
「それにしても、随分前から盗撮しよったみたいやな、犯人は。これ見てみ、半袖の頃の写真やで。今11月やから、ずっと日吉達の事つけとったんやろうな」
「うえー!ストーカーじゃん。きめえ!」
「写真だけでも100枚くらいあったし、とんでもねえ執着だな」
「せやな。とりあえず、盗撮されたんは日吉だけやなくて恋人もみたいやしこの事報告しといた方がいいんちゃうん」
「だが……あの人に迷惑かけるわけには……。そもそも俺が跡部さんの立場も考えずに外でこんなことしたから、」
「何言ってんねん。ここで黙ってる方が迷惑やろ」
「そうだが……そもそも、相手はあの跡部さんなんだ。こんな嫌がらせ受けて、跡部財閥の評判に傷をつけちまったら、俺は……」
「なあ、多分相手、日吉にそうやって罪悪感感じさせて別れさすのが目的やで。ここでそんな風に考えとったら相手の思うツボや」
俺の言葉に財前が諭すように言う。
「兎に角、お前の恋人にはちゃんと報告せえよ」
ーーー
心配する3人に見送られながらマンションに戻った。跡部さんはいまだ仕事中の為、広い室内に1人ぼっちだ。正直、ここに帰る道中も怖くて仕方が無かった。明確な悪意を持った誰かに見られているかもしれないのだ。いつ何時また写真を撮られるか。もしかしたらもっと何か大きな危害を加えられるかもしれないと思うと、不安で仕方が無かった。
ベッドに寝転がってぼんやりと天井を眺めていたら、日が落ちていつの間にか部屋は真っ暗になっていた。それがなんだか急に恐ろしくなり、慌てて起き上がり手探りで部屋の電気をつけた。その瞬間タイミングよく玄関の鍵が開く音とともに跡部さんが帰ってきた。
「ただいま、若」
「……跡部さん」
「?どうした、顔色悪いぞ。具合でも悪いか?」
そう言って俺の前髪をかきあげ、心配そうな表情で俺を見つめる跡部さんの眼差しに、緊張が緩んだのか思わず涙が溢れた。
「どうしたんだ、若。どこか痛むのか?」
「いえ、いえ……その、俺……おれ、跡部さんと一緒にいていいんでしょうか」
「どうしたんだ、急に」
「だって、おれ……っ、男だし、あんたに迷惑、かけて……っ!」
「おい、落ち着け。何も迷惑なことねえよ。……何かあったのか?」
震えながらしゃくり上げる俺を跡部さんに抱き竦められ、背中を撫でられた。その優しい手に叙々に落ち着きを取り戻していく。
「どうだ?話せそうか?」
「ぅ、はい、すみません……もう大丈夫です」
「それで、どうしたんだ?」
「あの、実はーー」
「……そんな事が」
跡部さんに今日起こった出来事を話せば、跡部さんは苦虫を噛み潰したような表情で唸るようにそう言った。
「はい、だから俺、あんたにこうやって迷惑かけてしまったのが申し訳なくて、」
「だから、迷惑じゃねえよ。少なくともお前のせいじゃねえ。その盗撮野郎が悪い。大体、犯罪行為だからな」
「それは、そうですが……」
「安心しろ、俺の大切な恋人に嫌がらせする奴は俺様がどうにかしてやるからな」
自信満々にそう言った跡部さんが俺にキスをする。こういう時の跡部さんの言葉ほど信用できるものは無い。跡部さんはびっくりするくらい有言実行の人で、同棲する事を決めた時も、お付き合いする事になった時も。いつだって跡部さんの言う通りに事が運んだものだ。
「……じゃあ、信じますよ。跡部さんの事」
「ああ。任せとけ」
そう言って口づけを深いものにする跡部さんに身を委ねた。
次の日、跡部さんの言う通りいつもと変わらず講義室に足を運んだ。財前達は心配していたけれど、俺がなんとかなるから大丈夫だと言うと怪訝そうな顔をしながらも何も聞かなかった。4人連れ立って講義室の扉の前に立つ。と、メッセージアプリの通知が鳴った。ちらと見ればそれは跡部さんからのもので、『財前に口裏合わせとけ』とだけ書かれていた。なぜ跡部さんが財前の事を知っているのか。そして、口裏を合わせるとはどう言う意味なのか。財前の方を振り向き聞く。
「なあ、お前跡部さんと、」
「入らへんの?」
財前が俺の言葉を遮り入室を促す。「はよ入り」と言うと、俺の横に立ち俺にしか聞こえないように小声で「大丈夫やから、任せとき」と言った。一体何をするつもりなのか。兎に角今は跡部さんと財前の言葉を信じるしか無いと脈打つ心臓を押さえつけ扉を開けた。今までざわざわと会話をしていた奴らが話すのをやめいっせいにこちらを見る。向けられる好奇の目をなるべく意識しないようにして席に座る。
「あれって、日吉だよね?」
「男と付き合ってるってマジ?」
「うそー」
「おい、お前ら、」
こそこそと俺について話す声が聞こえる。切原がそれに抗議しようとしたその時、意外な人物が声を上げた。
「自分ら、なにくだらんデマに夢中になってんねん」
そう言っておもむろにホワイトボードの前に出た財前は、鞄から昨日の写真を取り出した。
「これよく見てみ。2人の距離感とか、光の当たり具合とか、めっちゃおかしいやん」
そう言って財前が掲げた写真は、確かによく見てみれば影が無かったり、2人のサイズ感が微妙に違っているものだった。
「どう考えても加工やろ。普段自分らの写真加工しまくってんねんからこれが偽物やってわかるはずや」
そう言って女子生徒達の顔を見る財前。女子生徒達も写真を見て口々にこの写真はおかしいと言い出した。
「ほら、やっぱ違和感あるやろ?確か日吉って、親が跡部さんと知り合いやから跡部さんの家に居候させてもらってるんやったよな?」
そう言って財前が俺の方を見る。実際の所はそうでは無いのだが、跡部さんからのメッセージの通り、財前の言葉に合わせる。
「……ああ、そうだ。父親の知り合いで、跡部さんには昔から世話になってたらしい。俺の実家は大学から遠いから通学が大変だって父親が言ったら、じゃあ大学から近い跡部さんの家に居候すれば良いって話になって、今は一緒に住ませてもらっている」
父親の知り合いというのは嘘だが、実家が大学から遠いのは本当だ。1年の頃は乗り継ぎしながら片道1時間以上かけて通学していたのだ。
「えー、でも、わざわざ一緒に住むっておかしいよね?だって跡部様なら不動産くらい持っててもおかしく無いんだから適当な家紹介すればいいのに、一緒に住む理由って何?」
「っ、それは、」
「そんなん、あの跡部さんやで?住んどる家は相当いい家の筈や。部屋だって広いと思うで?そんな家で一人暮らしって、やっぱ寂しいんとちゃうん?やったら、信用出来る人間の大学生の息子と一緒に住むこともあるんとちゃうんか?金持ちの道楽ってやつや」
俺が言い淀んでいると、財前がすかさず横から助け舟を出してくる。よくもまあそんな事スラスラと言えるもんだと内心舌を巻いていると、目を丸くしている生徒達を見まわして言った。
「兎に角、こんなしょうもないデマ流されても跡部さんにも日吉にも迷惑や。アホらしいからやめとく事やな」
「財前、あれは一体……」
授業が終わり、講義室を出て人気の無い裏庭にまで来てベンチに腰を下ろして財前に問いかけた。生徒の何人かは「俺日吉に悪いこと言っちまったな」だとか、「日吉くんの事変に噂してごめんね!」だとか、申し訳なさそうに謝られた。
「あぁ、あれな。昨日の夜、跡部さんから俺のSNSに連絡あったんや。俺が持ち帰った写真が欲しいって。びっくりしたで?本名も大学も載せとらんのに送られてきたんやからな。やっぱすごいんやな、跡部財閥って。そんで、写真渡したら1時間くらいで加工しまくったもんが返されて来てこれを使って日吉が跡部さんと付き合ってるってのが嘘やって事にして欲しいって」
「そんな事が……」
「本当にそんなこと可能なのか?」
「まあ実際に起こってる事やし。切原と海堂に言わへんかったのは、無理して全員で日吉を庇ったら嘘くさくなると思ったからや。お前ら嘘下手やし」
「ちょ、ひでえよ!」
SNSを特定して連絡するだとか、たった1時間で写真を偽物にしてしまうだとか。確かに非現実的な話だが、跡部さんならあり得る話なのかもしれない。現に今、俺は跡部さんの力によってこうやって助けてもらっている。
財前のメッセージアプリの通知が鳴った。通知を確認した財前が言う。
「……あ、噂をすれば、や。大学の近くの喫茶店の前に車停めとるから全員で来いって」
「?誰からだ」
「誰かさんの恋人や」
跡部さんの車は確かに喫茶店の前に停まっていた。俺達が近付くと、運転性からいつものお付きの人が出てきて扉を開けてくれた。
「すげ、本当にあるんだな、こういうの」
「ああ、世界が違え……」
「……いいから乗るぞ」
感心している財前達と共に車内に乗り込めば跡部さんが待っていた。跡部さんは珍しそうに車内を見まわす財前達に言った
「お前達が若が普段世話になってる友人だな。……先ずは財前、急な頼みにも関わらず了承してくれてありがとう」
「別に良いっすよ。友達が影で色々言われるのは気分悪いし。まあ、SNS特定されたんは流石に驚きましたけど」
「それに関してはすまない。こちらも早急に対処する必要があったからな」
「まあでも、これで騒動は落ち着いたって事だろ?」
「けど、結局犯人は分からんままや」
「それに関しては俺様に任せておいてくれ。お前達は今まで通り何も心配せずに学業に励めばいい」
「……どうやって犯人探すんすか?」
「なに、跡部財閥の力を持ってすれば、こんな稚拙な犯行を犯す奴を見つけるのは容易い事だ。見つけ出して警察に突き出すなりなんなり、それなりの対応をする」
「……こえー」
「跡部さん、何もそこまでしなくても、」
怖い顔で恐ろしい事を言う跡部さんにそこまでしなくても、と言おうとすれば、財前に言葉を遮られた。
「まあ、跡部さんがそう言うなら大丈夫ちゃうん。めっちゃスパダリやな、お前の彼氏」
「す、すぱだり……?」
「いい彼氏っちゅー事や」
「そーそー!いいなあ恋人!俺もカノジョ欲しいぜ。可愛くて巨乳な子!」
「お前には無理やろ」
「ひでぇ!」
「兎に角、これで解決……って事でいいんだよな?」
海堂の言葉に跡部さんが頷いて言った。
「あぁ、感謝する。お前ら、これからも若をよろしく頼む」
財前達を家まで送った後、マンションに帰り着いた跡部さんのスマホに着信が入った。
「あぁ、そうか……!ごくろうだった」
通話を終えた跡部さんは、自分のコートをハンガーにかける俺に明るい声色で言った。
「若、どうやら犯人を特定出来たらしい」
「もうですか?」
跡部さんの言葉に驚く。写真の嫌がらせを受けたのは昨日の事である。そんなに早く見つかるものなのか。
「なんでも俺に恨みを持つ奴の仕業らしい。少なくともお前の大学の奴じゃねえから安心しろ。お前に敵意があるんじゃなくて、俺を困らせる為にやったみてえだ」
「安心しろって……俺に敵意が無いとしても跡部さんには敵意があるんですよね?」
「なに、それくらいどうにでもなる。俺を誰だと思っている?やろうと思えば人間1人の人生なんてどうにでも出来るぜ」
「……やりすぎないようにしてくださいよ」
何やら物騒な事を 言う跡部さんに一応釘を刺しておく。跡部さんは機嫌良さそうにコートも着たままに背後から俺を抱きしめると俺の耳元で静かに言った。
「善処はするぜ。……悪かったな、俺のせいで怖い思いさせちまって」
「……いえ、お陰さまで収まりましたので」
「あぁ、兎に角、お前の友人のおかげもあってこれで解決だ。いい友人を持ったもんだな」
「まさか財前を使うとは思ってませんでしたよ」
「なんだ、拗ねてんのか?」
「違いますよ、引いてるんですよ。あぁ、でも」
俺を背後から抱きしめる跡部さんの手を解き、跡部さんに向き合う。
「ありがとうございました。……俺、これからも跡部さんの側にいてもいいんでしょうか」
「当たり前だろう?俺にはお前しかいねえよ」
「っ、跡部さん……」
そう言って笑う跡部さんの胸に抱きついた。抱きついた跡部さんからは、いつもの華やかな薔薇の香りがした。
「あのホモ、跡部様に近寄るなんて身の程知らずだわ」
女は醜悪な表情で唸るようにそう呟くと、手に持っていた写真を撫でつけた。写真は半分にちぎられていて、その半分だけの不完全な写真には跡部の姿だけが写されていた。写真は講義室のホワイトボードに貼り付けたもののひとつであった。
女が跡部の存在を知ったのはおよそ半年前。大学の前に停まっていた高級車の中に跡部の姿を見つけたのが始まりだった。黒塗りの車の後部座席に座り白髪混じりの運転手と楽しげに話すその横顔に一目惚れしたのだ。輝く絹糸の様な金の髪、宝石の様に煌く澄んだ青い瞳、遠目で見ても分かる程にきめ細やかな肌、精悍で男らしいのに繊細で美しい顔立ち。いつまでもその横顔を見ていたかった。けれど、そんな女の願望はすぐに打ち破られた。車の中に知った男が吸い込まれて行ったのだ。その男は跡部の横に座ると、赤い顔で跡部を睨みつけ何やら怒っている様子であった。そんな男に跡部がキスをすれば、拗ねたように唇を尖らせ跡部の肩に寄り掛かる。そうして2人を乗せた車は発進し女の前から消えていった。
あの男。同じゼミの、目つきのキツい無愛想でいけすかないあの男はーーー
「……日吉若」
それからの女は、日吉をこっそりとつけ回すようになった。と言っても日吉に興味があるのではなく、あの日横顔を見ただけで一目惚れしてしまった美しい人を知るためだ。そうしてあの時の美しい人が跡部景吾である事、跡部財閥の総帥である事、……日吉若の恋人である事を突き止めたのだった。跡部の姿を収めた写真は多々あれど、その殆どに日吉が写り込んでいた。その写真の中にはキスしていたりと際どいものも含まれていて、女はそんな写真が増えて行く毎に日吉への憎悪が膨らんでいった。
女とて、自分のような平凡な1庶民が跡部とそういった関係になれると思っている訳では無かった。ただ、許せなかったのだ。自分と同じように庶民で、格段美しい訳でも無い、しかも男の日吉があの完璧すぎる芸術品のような跡部景吾の隣にパートナーとして存在している事が。つけ回す過程で2人が仲睦まじそうに寄り添う姿を見つける度に女は狂おしい程の嫌悪感を感じていた。
そして、遂に自らの醜悪な憎悪が爆発した女は兼ねてよりの計画を実行に移した。あのホワイトボードの嫌がらせだ。女は見せしめのつもりだった。散々2人について調べ上げて、日吉の実家が厳粛な昔ながらの家系である事は既に知っていた。おそらく同性愛など許されないであろう事も。そんな家で育った日吉である。跡部と付き合っていることが明るみになれば、気が気じゃないに違いない。別れ話に発展する可能性も高いであろう。女はそう結論付け今回の行動に及んだのである。結局の所、財前光に予期せぬ形で邪魔をされ女の思惑通りにはならなかったのだが。
それにしても女には府に落ちない事があった。それは跡部景吾の経歴に関してである。彼はおよそ4年程前にイギリスから日本に来日しているのだが、それ以前の足取りが殆ど掴めないでいた。そもそも跡部景吾以前の跡部財閥のトップの名前が分からないのだ。跡部財閥と言えば、知らない人間などいない程に有名なのに。これは一体どういう事であろうかと女は首を傾げていた。
「思ってた通りにはいかなかったけどまあいいわ。日吉もこれで少しは分かった事でしょう。跡部様に相応しいのは自分じゃないって」
そう女が人気のない校舎裏でぼそりと呟いた時だった。
「……跡部さんが、お呼びです」
「っ!」
背後から唐突に聞こえた声に驚いて女が振り向く。そこには跡部が乗っている車をいつも運転している初老の男が立っていた。
「なん、ですって?」
「……跡部さんがお呼びです」
「わ、私をですか?」
「……はい」
一体何の用であろうか。そもそも女は跡部と話した事はおろかまともに接触した事すら無かった。もしかしてあれが自分の仕業だとバレたのであろうか。先程の独り言も聞かれたかもしれない。それに、今まさに自分が持っているのは跡部の盗撮写真だ。どうしよう、と女は初老の男を見た。体躯は良いものの年相応以上に曲がった背に物静かな佇まい。不意を突き走り去れば逃げる事は難しくない様に思えた。逃げてしまおう。女が走り去ろうとした時、
「……お待ち下さい」
「っ!なに、よ!」
「……跡部さんが、お呼びです。来てください」
そう言って初老の男は女の頭に麻袋を被せると、抵抗する間も無く女を連れて何処かに消えてしまった。
女が目覚めたのは見知らぬカビ臭い石造りの部屋だった。窓すらない暗い部屋の中目を凝らして辺りを見回せば、ぎょっとするほど禍々しい形の刃物や手足の部分に枷のついた十字の張りつけ台に、手術台のような質素で汚らしいベッドなどが点在していた。その気味の悪い光景に震え上がった女が部屋から出ようと足を動かせば、足首に違和感。足元を見れば、両足に枷が嵌められていて、枷に繋がれた鎖が近くの柱にくくり付けられており動けないようになっていた。
「……どういうこと」
混乱しきった様相で女が呟くと、重々しい鉄の扉が開かれた。扉の向こうが眩くて思わず目をすがめる。
「ご苦労だった、樺地。下がって良いぞ」
「……ウス」
そこには先程の初老の男と跡部がいた。跡部は樺地と呼ばれた初老の男を下がらせると、部屋に入り女に近寄って氷のような冷たい声色で言った。
「おい、雌猫。てめえ随分な事をしてくれたもんだな?ただつけ回すくらいなら大目に見てやったが、若に危害を加えたのは許さねえ。それなりの報復を受けてもらおう」
そう言って跡部がちらりと部屋の奥に置いてある刃物に目をやる。もはや恐怖で声も出ない震える女を見て、ニィ、と嗤うと跡部は言った。
「精々俺様の美しさの糧になってくれよ、雌猫」
ーーー
「おはよう、若」
唇に柔らかくて温かいものが触れるのを感じた。そして、聞き慣れた耳馴染みの良い低くて優しい声も。目を開ければ、いつものように美しい跡部さんが寝ている俺の傍に座っていた。
「おはようございます、跡部さん」
「あぁ、おはよう。ほら、朝食出来てるみてえだぜ」
そう言って俺の髪をすくように優しく頭を撫でる跡部さんの手のひらに猫のように頬を寄せれば、跡部さんの手が止まった。
「……跡部さん?」
「随分と可愛い事するじゃねえの」
「……いいでしょう別に。たまにはこういう事したって」
「もしかして、まだこの前の事心配してんのか?」
「いえ、それはもう、大丈夫です」
「……そうか。なら良かった。ほら、飯が冷める前に食うぞ」
今日の朝食は週に1度の和食の日だ。元々和食派の俺の為に、通いのメイドさんが和食を作ってくれるのだ。メイドさんは跡部さんがイギリスから来た時に一緒に連れてきた人だからあまり和食に馴染みがないのだが、それでも俺の為にと作ってくださっている。以前、慣れない事をしていただいて申し訳ないと言ったのだが、「新しい文化に触れてレシピのレパートリーを増やすのは楽しいですよ」と笑顔で言われたものだ。それ以来、彼女の厚意に甘えている。
今日の朝食はピカピカの白米にシャケの塩焼き、だし巻き卵に納豆のオクラ和え。そしてネギと豆腐の味噌汁だ。どれも最近作り始めたと思えない程美味しくて思わず顔が綻んだ。
ふと顔を上げて跡部さんを見ると、ニヤニヤと俺を眺めていた。
「な、なんですか」
「いや、随分旨そうに食うもんだと思ってな。若をこんな顔にしちまうなんて、俺は食事にすら妬かねえといけないみたいだな」
「な、に言ってんですか、もう、跡部さん」
はは、と笑いながら、跡部さんがいつものように紅茶に入れる為にジャムの入った瓶の蓋を開ける。途端に広がる華やかな薔薇の香り。
「……俺、それ食べたこと無いんですけど美味しいんですか?」
「……。まあ、旨いぜ。なんせうちの使用人の手作りだからな。素で食べるには濃すぎるから紅茶に入れる必要がある上に少し癖のある味だがな」
「はあ……」
「試しに食ってみるか?」
「いえ、遠慮しておきます。もう腹一杯なので」
「そうか。まあ試したくなったら言ってくれ」
そう言って跡部さんは紅茶の中に赤い赤い薔薇のジャムを落とし入れた。
『ーー昨日未明東京都○○区の大学生○○さんが行方不明に……』
『今回で13件目の行方不明者ですよね。前回の行方不明者と同じ大学に通う女子生徒だと言う情報がありますがーー』
「……ぁ、はぁッ!あとべ、さ」
「……若。気持ち良さそうだな?」
「ン、はっ、はい……あぁっ」
真っ暗な寝室にはカーテンの隙間から漏れる月明かりと嬌声だけが満ちていた。
俺に覆いかぶさる月明かりに照らされた跡部さんの顔はとても美しくって、きらめく汗がこめかみから顎を伝って俺の額に落ちるのを涙で霞んだ目で追いかけていればグイッと顎を掴まれキスをされた。
「何見てやがる」
「……あんたの汗が綺麗だから」
「汗だけか?」
「なんっ、!あ、もぉ……ひぁッ!」
跡部さんの動きが激しくなる。芸術品のように整った眉を寄せながら不敵な笑みを浮かべて俺を激しく突き上げてくる。俺はもう、跡部さんの動きに翻弄されて彼のなすがままに揺さぶられるしかない。喉の奥からは自分のものなのか疑いたくなるような甘ったるくて甲高い嬌声ばかりが漏れ出る。
「好きだろう、若。顔も、ペニスも、声も。俺様の全てが。」
そう言って容赦なく俺の前立腺を長大なペニスで押し潰し、俺の首筋に思いっきり歯を立てる跡部さんに、必死に頷く。
「ひぁ゙ッ!!すき、すきっ、です……!あぁ……」
「ふ……いい子だ」
跡部さんの望む言葉を吐けば、満足そうに髪を梳かれた。噛まれてジンジンと痛む首筋を唾液を塗りつけるように舌で執拗に舐められぞくぞくと背筋を快楽が駆け抜けていった。
「ン……ッ」
「く……出すぞ、若ッ」
「〜〜〜ッ!!」
ゴツン!と最奥を穿たれ声にならない悲鳴を迸らせながら派手に達する俺を抱きすくめながら跡部さんは俺の中に欲を吐き出した。膣内に熱い飛沫が満ちる感覚にさえ快楽を覚えて、達したばかりの熱い身体がびくびくと俺の意志とは関係なく痙攣した。
「っ、は、ぁ」
ゆっくりと俺の中から跡部さんのペニスが引き抜かれる。栓をするものを無くした後孔はだらしなくはくはくと口を開け白濁を垂らしていた。
「あぁ、エロいな」
俺の後孔に熱い視線を送りながら跡部さんが呟く。羞恥に身をよじり視線から逃れようとするが達したばかりの身体では上手く力が入らずそれも叶わなかった。せめて視姦されている後孔をどうにかしようと上手く回らない頭で自分の後孔に指をあてがった。
「……っあ、うそ、ゆ、び……」
蕩けたそこは俺の指に吸い付いて飲み込んでしまった。中の白濁の熱さを指先に感じる。思いがけない事態に驚きぎゅうぎゅうと中の指を締めつければ、浅い部分に指の腹が擦れて気持ちがよかった。もどかしい刺激が心地よくって、夢中で後孔に入れた指を自慰をするように浅くピストンしていれば跡部さんに腕を掴まれた。見上げた先にある青い瞳は獰猛な色を宿していて。
「せっかくたっぷり注いでやったのに、まだ足りねえようだなあ、若?」
「ぁ……」
意地悪く嗤いながら跡部さんがまた俺の後孔にペニスをあてがう。もう無理だと抗議するより早く俺の膣内に先程達したばかりとは思えない程硬いペニスをねじ込んだ跡部さんは激しく俺を揺さぶった。
「も、むり……」
あれからどれくらい経ったか。窓から見えていた月明かりももう見えなくなっていた。身体中に刻まれたキスマークや噛み跡はぎょっとするほどの量だし、後孔は何度も抽送されたことにより擦れて違和感が酷い。なにより腰が痛すぎる。少しでも身体を動かそうものなら身体中がぎしぎしと錆びついたロボットのように軋んだ。幸い、行為が終わった後動けない俺の身体を跡部さんがタオルで清めてくれたお陰で汗やその他の液体の不快感こそはないが。疲れ切った身体を上質なベッドに投げ出していれば、シャワーを浴びてきたのであろう跡部さんがスッキリとした表情でリビングからペットボトルを持ってきた。
「あとべさん……」
「ひでえ声だな」
誰のせいだと思っているんだとじっとりと跡部さんを睨みつければ、苦笑しながらストローを刺したペットボトルが口元に差し出される。寝そべったまま飲むなんて行儀が悪いとは思いつつもストローに口をつけて水を飲んだ。冷たい水が喉を通っていく感覚に少し気分がすっとするのを感じた。
「悪いな、無理させちまって」
「本当ですよ、なんでそんなに体力あるんですか……」
大分マシになった声で跡部さんに言葉を返す。跡部さんは今日も遅くまで仕事だったようだし、明日も朝早くから家を出る予定だ。けれど跡部さんはこんなに遅くまで起きていても決して寝坊しないし隈のひとつも出来ない。何か特別な事をしているのかもとも思っていたが、毎朝決まった時間に起きてジョギングをしてバランスの良い食事を摂る。ただそれだけのようだった。
「ほら、寝ようぜ」
跡部さんが俺を抱きしめてベッドに沈む。跡部さんの逞しい腕の中でぬくもりに包まれながら眠りについた。
ーーー
今日の朝食は食パンにベイクドビーンズ、目玉焼き、ブラックプディングだ。跡部財閥の保有する邸宅から来ているという通いのメイドの作る料理はどれも絶品で、ここに住むようになってから少し太った気さえする。初めて食べた時は慣れないイギリス料理に居心地の悪さを感じていたが、今となっては毎日の食事を楽しみに過ごしているほどだ。食後にニュースを見ながらこれまたメイドの淹れてくれたおいしい紅茶を飲む。跡部さんは紅茶が好きらしく、どんなに忙しくて満足に食事を摂れないような日でも毎食欠かさず紅茶を飲んでいる。
テレビでは最近巷を騒がせている若い女が立て続けに行方不明になっている事件を取り上げていた。
『ーー昨日未明、東京都○○区○○にて大学2年生の女性が行方不明にーー』
「これ、結構近いですよね」
「ああ、そうみてえだな。家出とかそう言う類のもんじゃねえのか?」
「でも、家出しそうにないような真面目な人とか、旅行間近だった人も行方不明になっているらしいですよ。噂では若い女を攫って人身売買している組織がいるだとか、土地神に捧げるための供物として攫ってるとか」
「詳しいな、お前」
「まあ、そう言うゴシップが好きな友人がいるんで」
「……友達選んだ方がいいんじゃねえのか?」
呆れ顔の跡部さんがメイドが持ってきた瓶を受け取り蓋を開ける。途端に部屋に広がる華やかな匂い。中には赤いドロリとしたジャムが入っていて、それをスプーンで掬って自らのカップに入れた。紅茶の中に沈んでいくジャムを見つめながら跡部さんがからかうように言う。
「お前も攫われねえように気を付けろよ?」
マンションのエントランスの前に止まった迎えの車に乗り込む跡部さんの後ろ姿を見送る。車のドアを閉める顔馴染みの初老の男性が俺に軽く会釈をしてきたためこちらもぺこりと頭を下げた。跡部さんは大学まで送っていくといつも言うのだが、とてもじゃないがこんな高級車から降りるところを大学の友人達に見られるわけにはいかない。あいつらの事だ、確実にからかわれる。海堂は兎も角、切原は無遠慮に跡部さんと俺の関係を聞いてくるだろうし財前に至ってはブログのネタにしかねない。
跡部さんが乗る車を見送り、駅に向かって歩いた。
ーーー
「なあ日吉見たかよ今朝のニュース!」
講義室に着くなり他の生徒と話していた切原が俺の元に来て興奮したように話かけてくる。どうやら件の『行方不明事件』の事らしい。
「ああ、今度は大学生の女が行方不明になったらしいな」
「そうそう!そんでさ、その行方不明になったの、なんでもこの大学の生徒らしいぜ」
「音楽科の生徒で、彼氏とデートした後駅前で別れてから音信不通らしいで」
登校してきた財前が鞄を机に置きながら話に混ざる。財前と共に教室に入ってきた海堂も、心配そうな声色で「早く見つかるといいな」と言った。どうやら学内はその話題で持ちきりらしく、どこを歩いていてもやれどこぞの宗教団体が絡んでいるだの、やれ神隠しにあっただのと噂話が耳に入ってきた。馬鹿馬鹿しい上に人が行方不明になっているにも関わらず不謹慎だとは思いつつももし本当に何かの儀式やらの生贄なのだとしたらそれは少しだけ興味をそそられる事だなんて思ってしまった。
「今日ホンマどこ行っても事件の話ばっかやな」
中庭のテーブルで俺と海堂が弁当を広げる横で、コンビニのサンドイッチを頬張りながら財前が言う。周りで昼食を摂っている生徒達は相も変わらず根も葉もない噂話に夢中の様だ。
「学内で行方不明者が出てるんだし仕方がないのかもな」
「お待たせ〜!わり、売店混んでてさ〜」
昼食を買いに行っていた切原が戻ってきた。片手にはジュースやら惣菜パンが大量に入ったビニール袋を持っていた。
「随分と買い込んだな」
「今日売店5時に閉まるらしいから安いやつ大量買いしてきたんだよ」
「えらい早いな。いつもなら夜の9時まで開いとるやろ」
「そうなんだけどさ、売店のねーちゃん若いじゃん?最近行方不明騒ぎが続いてるし、昨日のに関してはこの大学の生徒だろ?だから安全のために今日は早く閉めるんだってよ」
そう言って切原がガサツに袋からコロッケパンを取り出して頬張る。
「ふぇもさー、今回の事件、けっこうやばふぃよなー」
「おい切原、行儀が悪いぞ」
「そういえば、これで12件目やろ?この辺りで若い女が失踪するんは」
「そんなにか」
「そーそー。最初は確か20代のOLが仕事帰りに行方不明になったんだっけ?」
「せや。それも、失踪したその週に旅行行こうとしよったから不自然って事で事件が明るみになったんや。元々失踪なんて珍しいことでもあれへんし大概は駆け落ちだとか事件性無いものばかりやから警察も相手せえへんみたいやけど、その後も失踪しそうに無いような人が立て続けに消えたからな。これはもしかしたら攫われてるかもしれへんって話になったんや。実際には最初の行方不明者が出る前からこの辺りで不可解な失踪はあったとか言う話もあるで」
財前がスマホの画面を見ながら言う。どうやらネット上にもこの事件の記事は大量にあるようだ。
「快楽殺人だとか、ヤクザが絡んでるとか、色んな噂あるけど実際どうだと思う?」
「……さあな」
「もし快楽殺人だったとして、意外と近くに潜んでたらやばくね?」
「おい、そこまでにしとけよ。学内の生徒も被害にあってんだぞ」
パンを食べ終わった切原が物騒な事を言う。それを海堂がとがめているうちに、昼休み終了を告げる鐘が鳴り俺たちは慌てて講義室へと向かった。
講義室の扉を開けると、何やら生徒達がホワイトボードの前で騒ついていた。俺たちの姿に気がつくと、皆一斉にこちらを振り向いた。俺の姿を見て嫌悪感を露わにする女子生徒にニヤニヤといやらしい笑みを寄越す男も。一体何事だとホワイトボードに目を遣れば、思いもよらぬ光景が広がっていた。
「なんだよ、これ……」
ホワイトボードには跡部さんと俺の姿を収めたおびただしい量の写真が貼られていた。マンションのエントランスから2人で出てくる姿、2人で買い物をしている写真。そして、車の中でキスしている写真も。更にホワイトボードには『ホモ野郎』『跡部景吾をたぶらかすビッチ』『女抱けない不能』と言った言葉が無数に書き殴られていて、ショックでぐらぐらと視界が歪んだ。そこには明確な悪意があった。誰がこんな事を。
「……なんやねん、これ」
「おい日吉、お前これマジで?男にケツ掘られてよがってんの?」
「おい!何言ってんだてめえ!」
呆然とする俺たちに男が面白そうに話しかける。あまりの出来事に何も言えない俺に変わって、切原が怒った。
「おい、これ剥がすぞ」
海堂が写真を剥がしだす。切原がホワイトボードに書かれた文字を荒っぽく消していく。俺は沢山の生徒たちの好奇の目にさらされていると分かっていながらもただ立ち尽くしてそれを見ている事しか出来なかったが、財前に腕を引っ張られなんとか講義室から逃げるように出た。
「……財前、授業は」
「今はそんな事言ってる場合やあれへんやろ」
財前に引き摺られてやってきたのは大学の外の公園だった。無断欠席になってしまうが財前は授業に戻るつもりはなさそうだった。スマホをポチポチ弄ると、「2人ももうすぐここ来るで」と言ってベンチに腰を下ろした。
俺も対面のベンチにおずおずと座る。とてもじゃないがこちらから話を切り出す気になれず、俯いて足先を見つめていた。無言の時間が過ぎていったがしばらくすると足音が聞こえてきた。
「わり、全部写真回収するのに時間かかっちまってさ」
「おい、大丈夫か日吉」
ビニール袋を抱えた海堂と切原が心配そうな表情で俺に話しかけてくる。けれど、俺は自分を心配してくれている2人の言葉にも、何も返せずにいた。
「大丈夫か?」
「…まない」
「……?」
「すまない。こんな事に巻き込んでしまって。男と付き合ってるだなんて、気持ち悪いだろ?嫌だったら遠慮無く俺と縁切ってくれて良いから」
俯いたまま震える声で言う。今まで黙っていた事の罪悪感と、男と付き合っていた事で友人に軽蔑されるかもしれない恐怖心。けれど3人は何を言っているんだと言わんばかりの顔をすると、口々に言った。
「はあ!?なんだよ意味わかんねえ事言って!ゲイとか関係なくね?」
「俺らはそんなんで友達辞めへんで」
「そうそう。むしろ相手はあの跡部だろ?玉の輿じゃん。マジ羨ましいぜ」
「そもそも、盗撮みてえな事やる相手が悪い。日吉が気に病むことなんて一つもねえ」
俺が男と付き合っている事を告白しても変わらぬ態度で接してくれる友人たちに涙が出そうだった。願わくば、もっと良いカミングアウトをしたかったが。
「でもまー、これからどうするかだよなあ」
俺が落ち着いた頃、切原がボソッと呟いた。
「とりあえずあそこにあった写真は全部回収してホワイトボードの文字も消したが……」
「まあでも、噂なんて一瞬で広まるからな。ただ消しただけじゃどうにもならへん」
財前が顔をしかめながら言う。そして、ビニール袋に詰められた写真を取り出すと、より一層険しい顔で言った。
「それにしても、随分前から盗撮しよったみたいやな、犯人は。これ見てみ、半袖の頃の写真やで。今11月やから、ずっと日吉達の事つけとったんやろうな」
「うえー!ストーカーじゃん。きめえ!」
「写真だけでも100枚くらいあったし、とんでもねえ執着だな」
「せやな。とりあえず、盗撮されたんは日吉だけやなくて恋人もみたいやしこの事報告しといた方がいいんちゃうん」
「だが……あの人に迷惑かけるわけには……。そもそも俺が跡部さんの立場も考えずに外でこんなことしたから、」
「何言ってんねん。ここで黙ってる方が迷惑やろ」
「そうだが……そもそも、相手はあの跡部さんなんだ。こんな嫌がらせ受けて、跡部財閥の評判に傷をつけちまったら、俺は……」
「なあ、多分相手、日吉にそうやって罪悪感感じさせて別れさすのが目的やで。ここでそんな風に考えとったら相手の思うツボや」
俺の言葉に財前が諭すように言う。
「兎に角、お前の恋人にはちゃんと報告せえよ」
ーーー
心配する3人に見送られながらマンションに戻った。跡部さんはいまだ仕事中の為、広い室内に1人ぼっちだ。正直、ここに帰る道中も怖くて仕方が無かった。明確な悪意を持った誰かに見られているかもしれないのだ。いつ何時また写真を撮られるか。もしかしたらもっと何か大きな危害を加えられるかもしれないと思うと、不安で仕方が無かった。
ベッドに寝転がってぼんやりと天井を眺めていたら、日が落ちていつの間にか部屋は真っ暗になっていた。それがなんだか急に恐ろしくなり、慌てて起き上がり手探りで部屋の電気をつけた。その瞬間タイミングよく玄関の鍵が開く音とともに跡部さんが帰ってきた。
「ただいま、若」
「……跡部さん」
「?どうした、顔色悪いぞ。具合でも悪いか?」
そう言って俺の前髪をかきあげ、心配そうな表情で俺を見つめる跡部さんの眼差しに、緊張が緩んだのか思わず涙が溢れた。
「どうしたんだ、若。どこか痛むのか?」
「いえ、いえ……その、俺……おれ、跡部さんと一緒にいていいんでしょうか」
「どうしたんだ、急に」
「だって、おれ……っ、男だし、あんたに迷惑、かけて……っ!」
「おい、落ち着け。何も迷惑なことねえよ。……何かあったのか?」
震えながらしゃくり上げる俺を跡部さんに抱き竦められ、背中を撫でられた。その優しい手に叙々に落ち着きを取り戻していく。
「どうだ?話せそうか?」
「ぅ、はい、すみません……もう大丈夫です」
「それで、どうしたんだ?」
「あの、実はーー」
「……そんな事が」
跡部さんに今日起こった出来事を話せば、跡部さんは苦虫を噛み潰したような表情で唸るようにそう言った。
「はい、だから俺、あんたにこうやって迷惑かけてしまったのが申し訳なくて、」
「だから、迷惑じゃねえよ。少なくともお前のせいじゃねえ。その盗撮野郎が悪い。大体、犯罪行為だからな」
「それは、そうですが……」
「安心しろ、俺の大切な恋人に嫌がらせする奴は俺様がどうにかしてやるからな」
自信満々にそう言った跡部さんが俺にキスをする。こういう時の跡部さんの言葉ほど信用できるものは無い。跡部さんはびっくりするくらい有言実行の人で、同棲する事を決めた時も、お付き合いする事になった時も。いつだって跡部さんの言う通りに事が運んだものだ。
「……じゃあ、信じますよ。跡部さんの事」
「ああ。任せとけ」
そう言って口づけを深いものにする跡部さんに身を委ねた。
次の日、跡部さんの言う通りいつもと変わらず講義室に足を運んだ。財前達は心配していたけれど、俺がなんとかなるから大丈夫だと言うと怪訝そうな顔をしながらも何も聞かなかった。4人連れ立って講義室の扉の前に立つ。と、メッセージアプリの通知が鳴った。ちらと見ればそれは跡部さんからのもので、『財前に口裏合わせとけ』とだけ書かれていた。なぜ跡部さんが財前の事を知っているのか。そして、口裏を合わせるとはどう言う意味なのか。財前の方を振り向き聞く。
「なあ、お前跡部さんと、」
「入らへんの?」
財前が俺の言葉を遮り入室を促す。「はよ入り」と言うと、俺の横に立ち俺にしか聞こえないように小声で「大丈夫やから、任せとき」と言った。一体何をするつもりなのか。兎に角今は跡部さんと財前の言葉を信じるしか無いと脈打つ心臓を押さえつけ扉を開けた。今までざわざわと会話をしていた奴らが話すのをやめいっせいにこちらを見る。向けられる好奇の目をなるべく意識しないようにして席に座る。
「あれって、日吉だよね?」
「男と付き合ってるってマジ?」
「うそー」
「おい、お前ら、」
こそこそと俺について話す声が聞こえる。切原がそれに抗議しようとしたその時、意外な人物が声を上げた。
「自分ら、なにくだらんデマに夢中になってんねん」
そう言っておもむろにホワイトボードの前に出た財前は、鞄から昨日の写真を取り出した。
「これよく見てみ。2人の距離感とか、光の当たり具合とか、めっちゃおかしいやん」
そう言って財前が掲げた写真は、確かによく見てみれば影が無かったり、2人のサイズ感が微妙に違っているものだった。
「どう考えても加工やろ。普段自分らの写真加工しまくってんねんからこれが偽物やってわかるはずや」
そう言って女子生徒達の顔を見る財前。女子生徒達も写真を見て口々にこの写真はおかしいと言い出した。
「ほら、やっぱ違和感あるやろ?確か日吉って、親が跡部さんと知り合いやから跡部さんの家に居候させてもらってるんやったよな?」
そう言って財前が俺の方を見る。実際の所はそうでは無いのだが、跡部さんからのメッセージの通り、財前の言葉に合わせる。
「……ああ、そうだ。父親の知り合いで、跡部さんには昔から世話になってたらしい。俺の実家は大学から遠いから通学が大変だって父親が言ったら、じゃあ大学から近い跡部さんの家に居候すれば良いって話になって、今は一緒に住ませてもらっている」
父親の知り合いというのは嘘だが、実家が大学から遠いのは本当だ。1年の頃は乗り継ぎしながら片道1時間以上かけて通学していたのだ。
「えー、でも、わざわざ一緒に住むっておかしいよね?だって跡部様なら不動産くらい持っててもおかしく無いんだから適当な家紹介すればいいのに、一緒に住む理由って何?」
「っ、それは、」
「そんなん、あの跡部さんやで?住んどる家は相当いい家の筈や。部屋だって広いと思うで?そんな家で一人暮らしって、やっぱ寂しいんとちゃうん?やったら、信用出来る人間の大学生の息子と一緒に住むこともあるんとちゃうんか?金持ちの道楽ってやつや」
俺が言い淀んでいると、財前がすかさず横から助け舟を出してくる。よくもまあそんな事スラスラと言えるもんだと内心舌を巻いていると、目を丸くしている生徒達を見まわして言った。
「兎に角、こんなしょうもないデマ流されても跡部さんにも日吉にも迷惑や。アホらしいからやめとく事やな」
「財前、あれは一体……」
授業が終わり、講義室を出て人気の無い裏庭にまで来てベンチに腰を下ろして財前に問いかけた。生徒の何人かは「俺日吉に悪いこと言っちまったな」だとか、「日吉くんの事変に噂してごめんね!」だとか、申し訳なさそうに謝られた。
「あぁ、あれな。昨日の夜、跡部さんから俺のSNSに連絡あったんや。俺が持ち帰った写真が欲しいって。びっくりしたで?本名も大学も載せとらんのに送られてきたんやからな。やっぱすごいんやな、跡部財閥って。そんで、写真渡したら1時間くらいで加工しまくったもんが返されて来てこれを使って日吉が跡部さんと付き合ってるってのが嘘やって事にして欲しいって」
「そんな事が……」
「本当にそんなこと可能なのか?」
「まあ実際に起こってる事やし。切原と海堂に言わへんかったのは、無理して全員で日吉を庇ったら嘘くさくなると思ったからや。お前ら嘘下手やし」
「ちょ、ひでえよ!」
SNSを特定して連絡するだとか、たった1時間で写真を偽物にしてしまうだとか。確かに非現実的な話だが、跡部さんならあり得る話なのかもしれない。現に今、俺は跡部さんの力によってこうやって助けてもらっている。
財前のメッセージアプリの通知が鳴った。通知を確認した財前が言う。
「……あ、噂をすれば、や。大学の近くの喫茶店の前に車停めとるから全員で来いって」
「?誰からだ」
「誰かさんの恋人や」
跡部さんの車は確かに喫茶店の前に停まっていた。俺達が近付くと、運転性からいつものお付きの人が出てきて扉を開けてくれた。
「すげ、本当にあるんだな、こういうの」
「ああ、世界が違え……」
「……いいから乗るぞ」
感心している財前達と共に車内に乗り込めば跡部さんが待っていた。跡部さんは珍しそうに車内を見まわす財前達に言った
「お前達が若が普段世話になってる友人だな。……先ずは財前、急な頼みにも関わらず了承してくれてありがとう」
「別に良いっすよ。友達が影で色々言われるのは気分悪いし。まあ、SNS特定されたんは流石に驚きましたけど」
「それに関してはすまない。こちらも早急に対処する必要があったからな」
「まあでも、これで騒動は落ち着いたって事だろ?」
「けど、結局犯人は分からんままや」
「それに関しては俺様に任せておいてくれ。お前達は今まで通り何も心配せずに学業に励めばいい」
「……どうやって犯人探すんすか?」
「なに、跡部財閥の力を持ってすれば、こんな稚拙な犯行を犯す奴を見つけるのは容易い事だ。見つけ出して警察に突き出すなりなんなり、それなりの対応をする」
「……こえー」
「跡部さん、何もそこまでしなくても、」
怖い顔で恐ろしい事を言う跡部さんにそこまでしなくても、と言おうとすれば、財前に言葉を遮られた。
「まあ、跡部さんがそう言うなら大丈夫ちゃうん。めっちゃスパダリやな、お前の彼氏」
「す、すぱだり……?」
「いい彼氏っちゅー事や」
「そーそー!いいなあ恋人!俺もカノジョ欲しいぜ。可愛くて巨乳な子!」
「お前には無理やろ」
「ひでぇ!」
「兎に角、これで解決……って事でいいんだよな?」
海堂の言葉に跡部さんが頷いて言った。
「あぁ、感謝する。お前ら、これからも若をよろしく頼む」
財前達を家まで送った後、マンションに帰り着いた跡部さんのスマホに着信が入った。
「あぁ、そうか……!ごくろうだった」
通話を終えた跡部さんは、自分のコートをハンガーにかける俺に明るい声色で言った。
「若、どうやら犯人を特定出来たらしい」
「もうですか?」
跡部さんの言葉に驚く。写真の嫌がらせを受けたのは昨日の事である。そんなに早く見つかるものなのか。
「なんでも俺に恨みを持つ奴の仕業らしい。少なくともお前の大学の奴じゃねえから安心しろ。お前に敵意があるんじゃなくて、俺を困らせる為にやったみてえだ」
「安心しろって……俺に敵意が無いとしても跡部さんには敵意があるんですよね?」
「なに、それくらいどうにでもなる。俺を誰だと思っている?やろうと思えば人間1人の人生なんてどうにでも出来るぜ」
「……やりすぎないようにしてくださいよ」
何やら物騒な事を 言う跡部さんに一応釘を刺しておく。跡部さんは機嫌良さそうにコートも着たままに背後から俺を抱きしめると俺の耳元で静かに言った。
「善処はするぜ。……悪かったな、俺のせいで怖い思いさせちまって」
「……いえ、お陰さまで収まりましたので」
「あぁ、兎に角、お前の友人のおかげもあってこれで解決だ。いい友人を持ったもんだな」
「まさか財前を使うとは思ってませんでしたよ」
「なんだ、拗ねてんのか?」
「違いますよ、引いてるんですよ。あぁ、でも」
俺を背後から抱きしめる跡部さんの手を解き、跡部さんに向き合う。
「ありがとうございました。……俺、これからも跡部さんの側にいてもいいんでしょうか」
「当たり前だろう?俺にはお前しかいねえよ」
「っ、跡部さん……」
そう言って笑う跡部さんの胸に抱きついた。抱きついた跡部さんからは、いつもの華やかな薔薇の香りがした。
「あのホモ、跡部様に近寄るなんて身の程知らずだわ」
女は醜悪な表情で唸るようにそう呟くと、手に持っていた写真を撫でつけた。写真は半分にちぎられていて、その半分だけの不完全な写真には跡部の姿だけが写されていた。写真は講義室のホワイトボードに貼り付けたもののひとつであった。
女が跡部の存在を知ったのはおよそ半年前。大学の前に停まっていた高級車の中に跡部の姿を見つけたのが始まりだった。黒塗りの車の後部座席に座り白髪混じりの運転手と楽しげに話すその横顔に一目惚れしたのだ。輝く絹糸の様な金の髪、宝石の様に煌く澄んだ青い瞳、遠目で見ても分かる程にきめ細やかな肌、精悍で男らしいのに繊細で美しい顔立ち。いつまでもその横顔を見ていたかった。けれど、そんな女の願望はすぐに打ち破られた。車の中に知った男が吸い込まれて行ったのだ。その男は跡部の横に座ると、赤い顔で跡部を睨みつけ何やら怒っている様子であった。そんな男に跡部がキスをすれば、拗ねたように唇を尖らせ跡部の肩に寄り掛かる。そうして2人を乗せた車は発進し女の前から消えていった。
あの男。同じゼミの、目つきのキツい無愛想でいけすかないあの男はーーー
「……日吉若」
それからの女は、日吉をこっそりとつけ回すようになった。と言っても日吉に興味があるのではなく、あの日横顔を見ただけで一目惚れしてしまった美しい人を知るためだ。そうしてあの時の美しい人が跡部景吾である事、跡部財閥の総帥である事、……日吉若の恋人である事を突き止めたのだった。跡部の姿を収めた写真は多々あれど、その殆どに日吉が写り込んでいた。その写真の中にはキスしていたりと際どいものも含まれていて、女はそんな写真が増えて行く毎に日吉への憎悪が膨らんでいった。
女とて、自分のような平凡な1庶民が跡部とそういった関係になれると思っている訳では無かった。ただ、許せなかったのだ。自分と同じように庶民で、格段美しい訳でも無い、しかも男の日吉があの完璧すぎる芸術品のような跡部景吾の隣にパートナーとして存在している事が。つけ回す過程で2人が仲睦まじそうに寄り添う姿を見つける度に女は狂おしい程の嫌悪感を感じていた。
そして、遂に自らの醜悪な憎悪が爆発した女は兼ねてよりの計画を実行に移した。あのホワイトボードの嫌がらせだ。女は見せしめのつもりだった。散々2人について調べ上げて、日吉の実家が厳粛な昔ながらの家系である事は既に知っていた。おそらく同性愛など許されないであろう事も。そんな家で育った日吉である。跡部と付き合っていることが明るみになれば、気が気じゃないに違いない。別れ話に発展する可能性も高いであろう。女はそう結論付け今回の行動に及んだのである。結局の所、財前光に予期せぬ形で邪魔をされ女の思惑通りにはならなかったのだが。
それにしても女には府に落ちない事があった。それは跡部景吾の経歴に関してである。彼はおよそ4年程前にイギリスから日本に来日しているのだが、それ以前の足取りが殆ど掴めないでいた。そもそも跡部景吾以前の跡部財閥のトップの名前が分からないのだ。跡部財閥と言えば、知らない人間などいない程に有名なのに。これは一体どういう事であろうかと女は首を傾げていた。
「思ってた通りにはいかなかったけどまあいいわ。日吉もこれで少しは分かった事でしょう。跡部様に相応しいのは自分じゃないって」
そう女が人気のない校舎裏でぼそりと呟いた時だった。
「……跡部さんが、お呼びです」
「っ!」
背後から唐突に聞こえた声に驚いて女が振り向く。そこには跡部が乗っている車をいつも運転している初老の男が立っていた。
「なん、ですって?」
「……跡部さんがお呼びです」
「わ、私をですか?」
「……はい」
一体何の用であろうか。そもそも女は跡部と話した事はおろかまともに接触した事すら無かった。もしかしてあれが自分の仕業だとバレたのであろうか。先程の独り言も聞かれたかもしれない。それに、今まさに自分が持っているのは跡部の盗撮写真だ。どうしよう、と女は初老の男を見た。体躯は良いものの年相応以上に曲がった背に物静かな佇まい。不意を突き走り去れば逃げる事は難しくない様に思えた。逃げてしまおう。女が走り去ろうとした時、
「……お待ち下さい」
「っ!なに、よ!」
「……跡部さんが、お呼びです。来てください」
そう言って初老の男は女の頭に麻袋を被せると、抵抗する間も無く女を連れて何処かに消えてしまった。
女が目覚めたのは見知らぬカビ臭い石造りの部屋だった。窓すらない暗い部屋の中目を凝らして辺りを見回せば、ぎょっとするほど禍々しい形の刃物や手足の部分に枷のついた十字の張りつけ台に、手術台のような質素で汚らしいベッドなどが点在していた。その気味の悪い光景に震え上がった女が部屋から出ようと足を動かせば、足首に違和感。足元を見れば、両足に枷が嵌められていて、枷に繋がれた鎖が近くの柱にくくり付けられており動けないようになっていた。
「……どういうこと」
混乱しきった様相で女が呟くと、重々しい鉄の扉が開かれた。扉の向こうが眩くて思わず目をすがめる。
「ご苦労だった、樺地。下がって良いぞ」
「……ウス」
そこには先程の初老の男と跡部がいた。跡部は樺地と呼ばれた初老の男を下がらせると、部屋に入り女に近寄って氷のような冷たい声色で言った。
「おい、雌猫。てめえ随分な事をしてくれたもんだな?ただつけ回すくらいなら大目に見てやったが、若に危害を加えたのは許さねえ。それなりの報復を受けてもらおう」
そう言って跡部がちらりと部屋の奥に置いてある刃物に目をやる。もはや恐怖で声も出ない震える女を見て、ニィ、と嗤うと跡部は言った。
「精々俺様の美しさの糧になってくれよ、雌猫」
ーーー
「おはよう、若」
唇に柔らかくて温かいものが触れるのを感じた。そして、聞き慣れた耳馴染みの良い低くて優しい声も。目を開ければ、いつものように美しい跡部さんが寝ている俺の傍に座っていた。
「おはようございます、跡部さん」
「あぁ、おはよう。ほら、朝食出来てるみてえだぜ」
そう言って俺の髪をすくように優しく頭を撫でる跡部さんの手のひらに猫のように頬を寄せれば、跡部さんの手が止まった。
「……跡部さん?」
「随分と可愛い事するじゃねえの」
「……いいでしょう別に。たまにはこういう事したって」
「もしかして、まだこの前の事心配してんのか?」
「いえ、それはもう、大丈夫です」
「……そうか。なら良かった。ほら、飯が冷める前に食うぞ」
今日の朝食は週に1度の和食の日だ。元々和食派の俺の為に、通いのメイドさんが和食を作ってくれるのだ。メイドさんは跡部さんがイギリスから来た時に一緒に連れてきた人だからあまり和食に馴染みがないのだが、それでも俺の為にと作ってくださっている。以前、慣れない事をしていただいて申し訳ないと言ったのだが、「新しい文化に触れてレシピのレパートリーを増やすのは楽しいですよ」と笑顔で言われたものだ。それ以来、彼女の厚意に甘えている。
今日の朝食はピカピカの白米にシャケの塩焼き、だし巻き卵に納豆のオクラ和え。そしてネギと豆腐の味噌汁だ。どれも最近作り始めたと思えない程美味しくて思わず顔が綻んだ。
ふと顔を上げて跡部さんを見ると、ニヤニヤと俺を眺めていた。
「な、なんですか」
「いや、随分旨そうに食うもんだと思ってな。若をこんな顔にしちまうなんて、俺は食事にすら妬かねえといけないみたいだな」
「な、に言ってんですか、もう、跡部さん」
はは、と笑いながら、跡部さんがいつものように紅茶に入れる為にジャムの入った瓶の蓋を開ける。途端に広がる華やかな薔薇の香り。
「……俺、それ食べたこと無いんですけど美味しいんですか?」
「……。まあ、旨いぜ。なんせうちの使用人の手作りだからな。素で食べるには濃すぎるから紅茶に入れる必要がある上に少し癖のある味だがな」
「はあ……」
「試しに食ってみるか?」
「いえ、遠慮しておきます。もう腹一杯なので」
「そうか。まあ試したくなったら言ってくれ」
そう言って跡部さんは紅茶の中に赤い赤い薔薇のジャムを落とし入れた。
『ーー昨日未明東京都○○区の大学生○○さんが行方不明に……』
『今回で13件目の行方不明者ですよね。前回の行方不明者と同じ大学に通う女子生徒だと言う情報がありますがーー』
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