2.3 色んなとこ行かせて
二年の夏休みほど、何もやることがない期間はない、と玻璃花は思った。
課題はほとんど終えた。進路希望の紙以外全部埋まっている。
部活なんて無論入ってない。保健室通いの先輩に頼まれて、囲碁将棋部に名前だけ置いてるけど、それだけ。
病院も盆休みで通院までしばらく間が開く。進んで行きたいとは思わないけど。
友人関係なんて――。
「……で、何の用だ」
「いや、特に用という用はないけど」
ショートメールで呼び出された爆豪は、偶々予定が空いていたその日にいつものファストフード店で玻璃花と待ち合わせていた。だが、今日は少し様子が違うようだ。
入り口の順番待ちの席で、玻璃花は小さく蹲っていた。
クーラーの効いたファストフード店は、夏休みということもあって子供連れの客が多い。話題のアニメ映画とのコラボグッズも飛ぶように売れているらしく、レジ前には長蛇の列が出来ていた。
どうやら、ここで待つ間に人酔いしたらしい。
「……本当に、用はないんだけど。場所、変えない?」
「……」
喧騒の中で、いつもより小さく聞こえる玻璃花の声。
仕方ない、と爆豪は顎で店の出入り口を指した。
店の外は暑い。夏休みだから当然といえば当然だが、長時間歩いていては乾涸びそうなほど暑い。
「こっちだ」
「……え」
通りから一本外れた道に入り、ビルとビルの間に押し込まれるように建つ小さな店へと入った。
「――いらっしゃい。奥の席、空いてるよ」
いつもの喧騒からは遠い、静かな喫茶店だ。
「爆豪、こんな店知ってたんだ」
「……テメーにはこっちのが合うだろ」
「わかんないけど……多分?」
店内は薄暗いが、落ち着いたピアノのBGMが似合っている。壁紙は少しヤニで汚れていて、店の年代を思わせた。常連の客は皆落ち着いた年代の人ばかりで、新聞を捲るなりマスターとぽつりぽつり会話を交わすばかりだ。
奥の二人席に座り、メニューを開く。色褪せた手書きのコピー用紙にズラリとドリンクメニューが並ぶ。いつもの店より、紅茶が三百円近く高い。
「コーヒーと紅茶ってこんなに種類あるんだ」
「……」
「ケーキセット、豪華じゃん」
「……」
「良いなぁ、ここ。後でちゃんとお洒落して来よ」
いつもより少し楽しそうな玻璃花を尻目に、爆豪もメニューを流し見る。ナポリタンを頼もうかとも思ったが、夏休み中、趣味の登山やら新調したトレーニング器具やらで薄くなった財布にはいささか高い。
「――よし決めた」
玻璃花の言葉を聞いて、爆豪が店員を呼ぶ。いかにもマスターの名にふさわしい、初老の男性だ。
「アイスコーヒー。砂糖とミルク無し」
「ケーキセットの、チーズケーキと……、えっと、アールグレイ、ホットでお願いします」
少しはしゃいでいるようにも見える玻璃花に、爆豪は安堵した。元気が無いように見えたのは、あの人混みのせいだったらしい。
「……なんか、静か」
「そーいう店だからな」
水出しコーヒーを待つ間の静寂は、ファストフード店にはなかったものだ。視線のやり場に困ったように、玻璃花はキョロキョロ店内を見回す。
不安なのか、好奇心なのか、あるいはそのどちらもか。
「チラチラすんな鬱陶しい。帰んぞ」
「え、やだ」
「じゃあ大人しくしとけや」
「……」
玻璃花は鞄から小説を出し、読み始めた。一点に集中しないと、また叱られるとでも思ったのだろう。
爆豪はぼんやりと、読書する玻璃花の方を眺める。席の後ろに飾られたモノクロ写真がうっすら透けている。
暖色のライトを天井から受けて小さな反射をする輪郭が、玻璃花の呼吸に合わせて煌めく。波のように穏やかな反射を規則的に繰り返す様は、一つの絵画のようにも見えた。
沈黙の溝を埋めるように、ページを捲る音とピアノの旋律が、コーヒーの匂いと共に満ちている。
数秒にも、数十分にも思えるその時間は、店員の持ってきたケーキセットで終わった。
「お待たせしました、チーズケーキセットとなります。コーヒーはもう少々お待ちください」
「あ。ありがとうございます。……おいしそう」
ぱたん、と、玻璃花が本を閉じる。
わかりやすく目を輝かせてフォークを手に取る玻璃花とは対照的に、爆豪は苦い視線を閉じた本へと向ける。
玻璃花をここに連れてきたのは自分のくせに、初めて見るものに目を輝かせる玻璃花を見るのが、苦しい。
彼女の過去の発端を作った自分を、口に出して責めてくれた方がまだマシだった。
「――コーヒー、来てるよ」
「……っ、」
玻璃花に言われて、始めて気がつく。汗をかく様に結露するグラスが、爆豪の目の前に置かれていた。
「この本、気になるの?」
「……違ェ」
「じゃあなに」
「お前が静かだと、キメェ」
「お店の雰囲気に合わせてるんですけど」
少しムッとしながらも、チーズケーキを食べる手は止めたくないらしい。
ちょうどフォークに刺さっていた一欠片を咀嚼してから、爆豪のリクエストに答えるように話し始める。とはいえ、いつもより小さなヒソヒソ声だったが。
「たまには爆豪から喋ってよ。この店どうやって見つけたとか、休みの間何してたとか」
「……」
「あんたのこと、ほとんど知らないし」
「付き纏ってやがるくせに」
「どこにでも行ける訳じゃないし」
爆豪は、手元のアイスコーヒーを飲んで喉を潤した。
爆豪が自ら口にする言葉は、大抵が将来の野望だ。ダサいことは言いたくない。
一瞬だけ視線が彷徨う。
「――いっつもあそこの店で食ってばっかいると、飽きんだろ」
「……そう?」
「俺は飽きる」
「そっか」
そこで一度、会話が途絶えた。
不器用に二人の視線が交差する。
「……もしかして、爆豪って会話するの下手くそだったりする?」
「テメーの相槌が下手なだけだろ」
「それは否定できない。でも別に、あんたも話上手とは思えないけどなー」
「あ? できるわフツーに」
普段のテンポが戻った会話に、玻璃花は堪えきれず「ふふっ」と笑った。
「何笑ってんだオイ」
「いやっ、ふふふ、なんで同意の相槌打つと会話が止まって、煽ると続くのよって、思って。ふふっ、け、喧嘩腰すぎる」
「うるせえ聞き下手」
「自覚しなよ話し下手」
テメーの前でだけだ、とはさすがに言い難かった。
またコーヒーを飲む。
「……ここ見つけたのは、偶々だ。お前、ああいう店、苦手だろ」
ああいう店、とは、いつものファストフード店の事だろう。
爆豪の失態をネタにするために通ってはいたが、確かに玻璃花にとって居心地の良い店とは言い難い。
けど、まさかそれを爆豪がわかっていたとは、玻璃花は気が付かなかった。
「――え、私のためだったの」
「違ェーわボケ。しみったれたツラ見ながら飯食いたくなかっただけだ」
「しみったれたってなに?」
「語彙力カスか。死にそうなツラのことだ死にかけ」
「私のためじゃん」
「違ェっつってんだろ」
誤魔化すようにまたコーヒーを飲む爆豪を見て、玻璃花はまた小さく笑った。
「でもやっぱ、あっちの店でいいよ。偶には、こういう所も来たいけど、あんたが似合ってないもん」
「あ"?」
「ほらその、治安悪い顔。全然似合わない」
「余計な世話だわクソが」
爆豪自身、自覚はある。ここは穏やかで静かで、今にも溶けて消えそうな玻璃花には似合いすぎた。
反面、この店はあの喧騒とは程遠く、会話もぎこちない。
そんな爆豪の居心地の悪さを知ってか知らずか、玻璃花は笑っていた。
「今日みたいにあの店が無理だったら、また連れてきてよ。どうせあんたのことだし、他にもどこか目をつけてるんでしょ?」
「ハッ、俺のこと知らねえとか言ったくせにほざきやがる」
まあ、図星だったのだが。
ケーキを食べ終えた玻璃花が、紅茶を飲み終えて、財布を取り出す。爆豪はそれを「いらねぇ」と制した。
「私は私の分払うけど」
「いらねー。俺が払う」
「えー、あんたに貸し作るの嫌」
「俺が連れてきたんだから、テメーは大人しく奢られてろや」
そのために、爆豪はナポリタンを頼まなかったのだから。
課題はほとんど終えた。進路希望の紙以外全部埋まっている。
部活なんて無論入ってない。保健室通いの先輩に頼まれて、囲碁将棋部に名前だけ置いてるけど、それだけ。
病院も盆休みで通院までしばらく間が開く。進んで行きたいとは思わないけど。
友人関係なんて――。
「……で、何の用だ」
「いや、特に用という用はないけど」
ショートメールで呼び出された爆豪は、偶々予定が空いていたその日にいつものファストフード店で玻璃花と待ち合わせていた。だが、今日は少し様子が違うようだ。
入り口の順番待ちの席で、玻璃花は小さく蹲っていた。
クーラーの効いたファストフード店は、夏休みということもあって子供連れの客が多い。話題のアニメ映画とのコラボグッズも飛ぶように売れているらしく、レジ前には長蛇の列が出来ていた。
どうやら、ここで待つ間に人酔いしたらしい。
「……本当に、用はないんだけど。場所、変えない?」
「……」
喧騒の中で、いつもより小さく聞こえる玻璃花の声。
仕方ない、と爆豪は顎で店の出入り口を指した。
店の外は暑い。夏休みだから当然といえば当然だが、長時間歩いていては乾涸びそうなほど暑い。
「こっちだ」
「……え」
通りから一本外れた道に入り、ビルとビルの間に押し込まれるように建つ小さな店へと入った。
「――いらっしゃい。奥の席、空いてるよ」
いつもの喧騒からは遠い、静かな喫茶店だ。
「爆豪、こんな店知ってたんだ」
「……テメーにはこっちのが合うだろ」
「わかんないけど……多分?」
店内は薄暗いが、落ち着いたピアノのBGMが似合っている。壁紙は少しヤニで汚れていて、店の年代を思わせた。常連の客は皆落ち着いた年代の人ばかりで、新聞を捲るなりマスターとぽつりぽつり会話を交わすばかりだ。
奥の二人席に座り、メニューを開く。色褪せた手書きのコピー用紙にズラリとドリンクメニューが並ぶ。いつもの店より、紅茶が三百円近く高い。
「コーヒーと紅茶ってこんなに種類あるんだ」
「……」
「ケーキセット、豪華じゃん」
「……」
「良いなぁ、ここ。後でちゃんとお洒落して来よ」
いつもより少し楽しそうな玻璃花を尻目に、爆豪もメニューを流し見る。ナポリタンを頼もうかとも思ったが、夏休み中、趣味の登山やら新調したトレーニング器具やらで薄くなった財布にはいささか高い。
「――よし決めた」
玻璃花の言葉を聞いて、爆豪が店員を呼ぶ。いかにもマスターの名にふさわしい、初老の男性だ。
「アイスコーヒー。砂糖とミルク無し」
「ケーキセットの、チーズケーキと……、えっと、アールグレイ、ホットでお願いします」
少しはしゃいでいるようにも見える玻璃花に、爆豪は安堵した。元気が無いように見えたのは、あの人混みのせいだったらしい。
「……なんか、静か」
「そーいう店だからな」
水出しコーヒーを待つ間の静寂は、ファストフード店にはなかったものだ。視線のやり場に困ったように、玻璃花はキョロキョロ店内を見回す。
不安なのか、好奇心なのか、あるいはそのどちらもか。
「チラチラすんな鬱陶しい。帰んぞ」
「え、やだ」
「じゃあ大人しくしとけや」
「……」
玻璃花は鞄から小説を出し、読み始めた。一点に集中しないと、また叱られるとでも思ったのだろう。
爆豪はぼんやりと、読書する玻璃花の方を眺める。席の後ろに飾られたモノクロ写真がうっすら透けている。
暖色のライトを天井から受けて小さな反射をする輪郭が、玻璃花の呼吸に合わせて煌めく。波のように穏やかな反射を規則的に繰り返す様は、一つの絵画のようにも見えた。
沈黙の溝を埋めるように、ページを捲る音とピアノの旋律が、コーヒーの匂いと共に満ちている。
数秒にも、数十分にも思えるその時間は、店員の持ってきたケーキセットで終わった。
「お待たせしました、チーズケーキセットとなります。コーヒーはもう少々お待ちください」
「あ。ありがとうございます。……おいしそう」
ぱたん、と、玻璃花が本を閉じる。
わかりやすく目を輝かせてフォークを手に取る玻璃花とは対照的に、爆豪は苦い視線を閉じた本へと向ける。
玻璃花をここに連れてきたのは自分のくせに、初めて見るものに目を輝かせる玻璃花を見るのが、苦しい。
彼女の過去の発端を作った自分を、口に出して責めてくれた方がまだマシだった。
「――コーヒー、来てるよ」
「……っ、」
玻璃花に言われて、始めて気がつく。汗をかく様に結露するグラスが、爆豪の目の前に置かれていた。
「この本、気になるの?」
「……違ェ」
「じゃあなに」
「お前が静かだと、キメェ」
「お店の雰囲気に合わせてるんですけど」
少しムッとしながらも、チーズケーキを食べる手は止めたくないらしい。
ちょうどフォークに刺さっていた一欠片を咀嚼してから、爆豪のリクエストに答えるように話し始める。とはいえ、いつもより小さなヒソヒソ声だったが。
「たまには爆豪から喋ってよ。この店どうやって見つけたとか、休みの間何してたとか」
「……」
「あんたのこと、ほとんど知らないし」
「付き纏ってやがるくせに」
「どこにでも行ける訳じゃないし」
爆豪は、手元のアイスコーヒーを飲んで喉を潤した。
爆豪が自ら口にする言葉は、大抵が将来の野望だ。ダサいことは言いたくない。
一瞬だけ視線が彷徨う。
「――いっつもあそこの店で食ってばっかいると、飽きんだろ」
「……そう?」
「俺は飽きる」
「そっか」
そこで一度、会話が途絶えた。
不器用に二人の視線が交差する。
「……もしかして、爆豪って会話するの下手くそだったりする?」
「テメーの相槌が下手なだけだろ」
「それは否定できない。でも別に、あんたも話上手とは思えないけどなー」
「あ? できるわフツーに」
普段のテンポが戻った会話に、玻璃花は堪えきれず「ふふっ」と笑った。
「何笑ってんだオイ」
「いやっ、ふふふ、なんで同意の相槌打つと会話が止まって、煽ると続くのよって、思って。ふふっ、け、喧嘩腰すぎる」
「うるせえ聞き下手」
「自覚しなよ話し下手」
テメーの前でだけだ、とはさすがに言い難かった。
またコーヒーを飲む。
「……ここ見つけたのは、偶々だ。お前、ああいう店、苦手だろ」
ああいう店、とは、いつものファストフード店の事だろう。
爆豪の失態をネタにするために通ってはいたが、確かに玻璃花にとって居心地の良い店とは言い難い。
けど、まさかそれを爆豪がわかっていたとは、玻璃花は気が付かなかった。
「――え、私のためだったの」
「違ェーわボケ。しみったれたツラ見ながら飯食いたくなかっただけだ」
「しみったれたってなに?」
「語彙力カスか。死にそうなツラのことだ死にかけ」
「私のためじゃん」
「違ェっつってんだろ」
誤魔化すようにまたコーヒーを飲む爆豪を見て、玻璃花はまた小さく笑った。
「でもやっぱ、あっちの店でいいよ。偶には、こういう所も来たいけど、あんたが似合ってないもん」
「あ"?」
「ほらその、治安悪い顔。全然似合わない」
「余計な世話だわクソが」
爆豪自身、自覚はある。ここは穏やかで静かで、今にも溶けて消えそうな玻璃花には似合いすぎた。
反面、この店はあの喧騒とは程遠く、会話もぎこちない。
そんな爆豪の居心地の悪さを知ってか知らずか、玻璃花は笑っていた。
「今日みたいにあの店が無理だったら、また連れてきてよ。どうせあんたのことだし、他にもどこか目をつけてるんでしょ?」
「ハッ、俺のこと知らねえとか言ったくせにほざきやがる」
まあ、図星だったのだが。
ケーキを食べ終えた玻璃花が、紅茶を飲み終えて、財布を取り出す。爆豪はそれを「いらねぇ」と制した。
「私は私の分払うけど」
「いらねー。俺が払う」
「えー、あんたに貸し作るの嫌」
「俺が連れてきたんだから、テメーは大人しく奢られてろや」
そのために、爆豪はナポリタンを頼まなかったのだから。
