幕間3

4.1 たまには山じゃなくて




 海行きたい、と玻璃花が爆豪に強請ったのは春休みも終わりかけの頃だった。

 いつかの夏休みに爆豪が連れてきた喫茶店で、おしゃべりに興じる二人は少し浮いている。
 時間の流れがゆるやかな店内では、客の平均年齢を大きく下回る二人の初々しさに和む常連とマスターは居れど、邪険に思うような者は存在しなかった。

「まだ寒ぃだろーが」
「入るわけないでしょ。見るだけ」
「んなの意味ねぇだろ」
「直接見たいんだって。連れてってくれてもいいんじゃない? ほら、デートってことで」
「これもデートだろ」
「これってデートだったの? いつもどおりじゃん。たまには違うところ行きたい」
「テメーで勝手に行ってろや」
「海浜公園までは遠いの。押してくれないと」

 そう言って、玻璃花は自分の座る車椅子を小突いた。
 しばし、爆豪が口を閉ざす。たしかに玻璃花一人で海浜公園まで行き来するのは、結構な体力が要るだろう。
 それに、わざわざいつものファストフード店ではなくこの店を選んだあたり、玻璃花はなにかを目論んでいるんではないか、と爆豪は予想していた。

 玻璃花はわざとらしく嘆息する。

「あ〜あ、いいなぁ。自分の足で自由に歩き回れて体力も有り余る爆豪くんは。勝手に彼氏を名乗ってるくせに、私からのお茶のお誘いも無視して登山に行っちゃうくらい元気なんだし、一つくらいお願い聞いてくれてもいいと思うんだけどなぁ」
「うぜぇ」

 とはいえ、通知を切っていて登山前日のメッセージに気づかず、結果的に無視してしまったことの埋め合わせを爆豪も考えてはいた。
 本人直々に請われたことを叶えるのもなんだか癪だっただけだ。スマホを取り出し、天気を確認。朝は曇り、昼から夜にかけて快晴。

 スマホに気を取られた爆豪にむっと口角を下げ、なおも言い募ろうとする玻璃花を睨む。

「――明日、店で昼食ってから行くぞ」
「やった。ご飯おごり?」
「なわけねぇだろ。てめぇの分は払え」

 ここ一年ですっかり図太くなった玻璃花の、過剰な要求だけを器用に払い除けて、爆豪は承諾した。

「迎えに行くから、せいぜい粧し込んでろや」

 ×××

 翌日は、予報通りの初夏を感じさせる快晴だった。
 普段より少し丈の短いワンピースに薄手のカーディガンを着た玻璃花は、麦わら帽子の下で得意げに笑って爆豪を出迎えた。
 爆豪の言いつけを守ったのか、元からそのつもりだったのか。自ら海行きを提案したのだから、きっと後者なのだろう。

 予定通り、海浜公園近くのレストランでいつもよりちょっと高い昼食を終え、そのまま玻璃花の車椅子を押して海へと連れていく。
 数ヶ月前まではゴミ山だったここが、塵ひとつない砂浜へと戻ったことは、地元では有名なニュースだった。

「潮風って変な匂いするよね。ゴミの臭いよりずっとマシだろうけどさ」
「文句言うんなら帰んぞ」
「文句じゃないって。ああもう、語彙が爆豪に汚染されてきた気がする」
「元からだろ」
「あ、写真撮りたい! もっと海近づける?」
「チッ」

 スマホのカメラを開いてはしゃぐ玻璃花を、コンクリートで舗装されているギリギリのところまで押していく。
 ああでもないこうでもないと新品のスマホを掲げる玻璃花。
 その後ろで車椅子を支える爆豪には、麦わら帽子の隙間からチラチラ輝く後頭部のみが見える。なんとなく、それが気に入らない。

 「……」

 車椅子のタイヤにロックをかけて、爆豪は玻璃花の前へと回り込んだ。

「日光明るすぎて全然スマホ画面見えないんだけどこれ明るさMAXなんだよね? ってちょっと、海見えないんですけど!?」
「うるっせぇ。もっと近づきゃいいだろ」

 スマホ越しに海を隠した爆豪は、そのまま玻璃花の膝裏と背中に腕を回して顔を覗き込んだ。平均より『個性』のせいで体温の高い玻璃花の肌は、夏日のせいで溶けそうなほどに熱い。

「腕。首にまわせ」
「え。ちょっと、なに?」
「はやくしろや」

 困惑のままに自分の首へ玻璃花が腕を回したのを確認し、爆豪は玻璃花を持ち上げた。
 以前玻璃花を運んだ時より姿勢は安定しないが、その程度では鍛えられた爆豪の体幹は崩れない。

「ね、ねぇ、この体勢、恥ずかしいんだけど」

 そう言いながらも、自分では降りることも離れることもできない玻璃花は、不安そうにひっしと爆豪へしがみついている。なされるがままの姿に、これはいいと爆豪はほくそ笑んだ。
 普段はきゃんきゃんとうるさい玻璃花が爆豪にしか頼れず不安がる様に、爆豪の溜飲が下がる。と、同時に今までになかった欲求が満たされる感覚を覚えた。

 不安定な砂浜の上を、ざく、ざくと踏みしめて沖へ近づいていく。

「近くに来ると……波の音って結構おっきいんだね」
「おぅ」
「降りていい?」

 水の跡がない、波打ち際よりわずかに内側で爆豪は玻璃花を降ろし、隣に自分も腰を下ろす。
 車椅子に座っていた時にはすぐ後ろや少し離れた東屋から聞こえていた喧騒が、今は波の音に遠ざけられていた。まだ少し春の涼しさを纏う風が、こぶし一つ分離れて座る二人の間を通り抜ける。

 玻璃花が一瞬の逡巡の後、視線を海から離さないままに口を開いた。

「遺書を書こうと思って」

 数分前までのはしゃぐ様子が嘘のように、細い声。
 爆豪は顔の向きを変えないまま、無言で次の言葉を待つ。

「バスのステップから落ちそうになった時、私、死ぬんだなって思ったんだ。
 今までずっと、少しずつ粉々になって、削られてくみたいに死ぬと思ってたから――なんていうか、実感のない焦りだけあったみたいで」

 自嘲する言葉は、おそらく玻璃花本人の言葉なのだろう、と爆豪は漠然と感じた。
 玻璃花が強い言葉ばかりを使って吠えるのは、爆豪の姿を無意識に真似ているからだ。
 小学一年生の頃のこの女は、人見知りで怖がりで、自分の言葉を吐くまでの間がやたらと長かった。いちいち聞き取ってやる姿勢を取らないと、口篭って喋り出せない。
 きっと、今もその本質は変わらない。

「だから、もし誰もみてないところで、滑って落ちて死んじゃったらって想像して。それで、そしたら……粉々に砕けたら……シーグラスになりたいなぁって、思ったの」

 秘密を打ち明けるかの如く、波にかき消されそうな小声。ガラス片どうしを擦り合わせたような、掠れたその言葉に爆豪は何も答えなかった。

「火葬しようにも、この身体じゃん? どうせなら海か山に撒いて欲しくて、それなら海の方が近いし良いかなあって。じゃあ、先に海の下見しないとって思ったの。――連れてきてくれて、ありがとね」

 陽が傾き、逆光の中で玻璃花は「アハハ!」と声を上げて笑った。夕陽を受けた波のきらめきが玻璃花に反射し、揺れ、オレンジの燐光を放つ。

「変な顔!」

 ずっと横顔しか見えていなかった玻璃花が、爆豪を見て笑っていた。爆豪は、自分がどんな表情なのかなんて、知る由もない。

 ――ずるだ、と思った。

 爆豪にとっての未来は、輝かしいゴールに向かって走り続けるものだ。地続きだ。
 そこにこの女はもう居ないと、どう足掻いても着いてこられないと決めつけて、諦めている。
 そのくせ、こんなに美しく笑いかけてくる。自分の死体のカケラを集めて探せ、なんて我儘を託す。

 それは紛れもなく、呪いだ。
 爆豪の中で、得体の知れない情動がぐるりと巡って息が詰まった。
 手を伸ばす。縋るように。

「ざけんな……駄目に、決まってんだろ」
「なんでよ」
「許さねぇ。勝手に死ぬなんざ許可しねぇ」
「そんなこと言われてもねぇ」

 どんなに言い募ったところで、それが叶わないと二人は理解していた。
 人は、遅かれ早かれ死ぬものだ。

「せめて……山で死ね」
「あんた、本当に登山好きだよね。私にはわからないなぁ」
「山なら、俺が連れてく」
「無理だ。私を背負って登るなんて」
「できるわそれくらい」
「またまた、強がっちゃって」
「勝手に流されるのを見るよかマシだ」
「えー、シーグラス綺麗だよ? 河原の小石みたいに角も取れてるし。それなら、素手で触っても怪我しないでしょ」
「別に怪我つっても、テメェのはちっせえ切り傷だろ。勘定にも入らねぇわ」
「――知ってる」

 そんなこと。私がどんなに傷つけようとしたって、すぐ立ち上がって逆に相手を引っ張り上げるような、気に食わない男だって、小学校のときから知ってる。
 そんな心の内を、易々と明け渡すなんてしないけれど。

「だから、これは遺言なの。海まで私を拾いに来て」

 その言葉に、爆豪は頷きも返事もせず。
 無言で攫うように、玻璃花を抱き上げて砂浜から立ち上がったのだった。
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