2. 一生の傷になって
玻璃花の登校時間は誰よりも早い。体質上、他人との接触は基本的に避けなければならないからだ。
席は必ず、廊下側の一番前。何か起きたとき、咄嗟に教師が保護できるように、そして保健室あるいは病院へと搬送をしやすいように。
だが、彼女はあまりその席に座ることはない。一日のほとんどを保健室で過ごすからだ。基本的な座学以外——実習や、長距離の移動教室、休み時間など——は、全て保健室での自主学習に費やされている。
とはいえ、教室には彼女の席があるし、空のロッカーだって形ばかりとはいえ用意されている。
だから、テスト期間も終わり、通常通りの時間割りとなったその日。普段は現れない昼休みに、彼女が教室に現れたことで、クラスは一瞬静まり返ってしまった。
「……そこ、私の席なんだけど」
どいてくれる? と、一瞥で訴えて、彼女の席に座って昼食を食べていた男子生徒を退かした。
さも当然のように席に着き、昼飯代わりのサプリメントとウェダーゼリーを一気に摂取すると、なんでもないように机から本を取って読み出した。
それに対して、皆一様に不気味がり、或いは好奇心で話しかけようとする中、一人だけ空気をぶち壊すように派手な音を立てて席から立つ者が現れた。
爆豪だ。
「テメェ、人に席譲らせといて挨拶も無しか、あ"ぁ?」
「……なに? そんなに構って欲しいの? それとも私の席に私が座ることに、なんか文句あるの?」
「ハッ、よく言う。わかっててやってんだろーが」
爆豪の席は、このとき丁度玻璃花の席の斜向かいだった。
だからこそ玻璃花は隠しカメラやらボイスレコーダーやらで証拠集めが実に捗ったのだが——閑話休題。
つまり、彼女が席を退かせた男子も、自然と彼の取り巻きの一部ということになる。
それを、わかっていて彼女はやったのだ。爆豪の目の前で、堂々と、宣戦布告よろしく席を奪って見せた。
たったそれだけではあれど、所詮中学一年の不良少年である。しっかりと、それを「売られた喧嘩」と認識していた。
「そっちこそ、随分なご挨拶じゃん。別に、そっちが私の机勝手に座ってご飯食べてたから、本来の席についただけ。そうだよね?」
「えっ、お、おう……」
にこやかに、しかし確かな刺々しさを持って聞かれた爆豪の取り巻きの一人は、普段一言も会話しない謎多き女子に巻き込まれてしどろもどろに頷いた。
玻璃花は個性の都合上、教師たちから「無闇に触れないように、近寄らないように」とお触れが出ている存在だ。加えて本人も積極的に友人を作るような性格ではない。
下手に騒げば勝手に割れるような相手では、さすがに不良一年目の少年は道を譲るしかない。
一方、それを分かっていても自分の配下が良いように遇らわれたのに青筋を立てているのは爆豪だ。
みみっちくも表立っての不良行為を起こせない以上、彼もまた玻璃花から――よりによって玻璃花から、売られた喧嘩を買うのは慎重にならざるを得ない。
しかし、ムカついてしまうのは仕方がない。
——ダンッ!
爆豪の手が、玻璃花の机に叩きつけられた。
一瞬、教室内の空気が凍る。
片やクラスのカースト一位の不良、片や不用意に触れないガラス製の女生徒だ。とうとうおふざけでは済まされない暴行事件でも起こってしまうのか……と、クラスの面々は固唾を飲んだ。
対して、当の玻璃花はというと。
「……なぁに、それ。威嚇してるの?」
爆豪を一瞥し、鼻で笑った。
勿論、爆豪はそれに対して目を吊り上げる。
「そうだなァ。分を弁えないバカ女に、これ以上舐めた態度してっと次は殺すって教えてやってんだよ」
「ふぅん、そう。……出来ないくせに、威嚇だけは元気なんだね。臆病なのかな?」
真っ赤に燃える目と淀んでひび割れた目が、正面からぶつかった。
「臆病だぁ? ハッ、なーんも出来ねえテメェみてえなグズと一緒にしてんじゃねぇよ」
「あんたにだけは言われたくないなぁ。散々偉そうに自分の優秀さをひけらかして、裏でコソコソとこっすい鬱憤晴らししてるみみっちいあんたにだ、け、は」
「おーおー、セコセコと嗅ぎ回っとったみてェもんなぁ? 臆病なんはテメェだろうが。大人しく地べた這ってろ割れモンが」
「ヒーロー科進学志望の癖してルールを破って学校やら公道やらで派手に『個性』無断使用する、将来転落ニートまっしぐらなあんたに現実を教えてあげたのを感謝して欲しいくらいなんだけど?」
「あ"? ンなのどーとでもなるわ。俺はテメェと違って優秀だからなぁ? そんなんかすり傷の一つにもなんねーんだよ」
「ふぅん? じゃああんたが高校の合格通知貰ったら、真っ先にその、コソコソ集めたあんたの特選非行集を実名で高校に送ったげるよ」
「やってみろや、その前にテメェの頭と首がおさらばして無ければなァ」
「あらまぁ、聞きました? 皆さん。ヒーロー科志望の優等生が、堂々と殺害予告してますよ」
玻璃花は実にいい笑顔で教室を振り返った。心なしか、静かだな、と思ってオーディエンスの反応を伺ったというのもある。
しかし、顔色を失った面々は、すっと二人から目線を外して無言を貫く。きっと蜂の巣をつついたように大騒ぎするんじゃないか、なんて彼女の予想は裏切られた。
「……臭い物に蓋、都合が悪くなったら見て見ぬふり。ヒーロー科志望の学生がコレとか、口だけご立派な阿呆は一人じゃなかったみたいだね」
クラスメイトに関心を失った玻璃花は、呆れを隠しもせずに爆豪へ視線を戻した。
「で? なんだっけ。私の首を爆破してみるって話だっけ?」
「余所見してんじゃねぇよクソイキリ女」
「ええ、あなたには存分にイキらせてもらいますよ。出来もしない犯罪予告とか、私以上のイキリ男が目の前に居るしねぇ」
玻璃花はそう言って、義手の左手で爆豪の腕を掴むと、自分の首に無理やり触らせた。
手袋越しに、カーボンの硬い擬似骨格が爆豪の腕へ食い込む。
「やってみろよ、クソイキリ男。あんたの積もり積もる武勇伝のひとつになってあげる、っつってんだよ」
「……ッ、この、自殺志願者がッ」
ヒビだらけの玻璃花の首に、爆豪の手汗——爆薬となるその液体が、ジワ、とひび割れの隙間へと染み込んでいくのを二人は感じ取る。
ここで小さな爆破でもすれば、間違いなく彼女の首は木っ端微塵となるだろう。左腕のときと同じように、今度は明確な加害意識でもって。
――そして、それ以上に。
「……クソが」
彼女の全力を持って握られていた爆豪の手は、あっさりと振り払われた。
キーン、コーン、カーン、コーン……
チャイムと共に、二人の距離が離れる。始業五分前のそれに伴って、廊下からざわめきと足音が近付いていた。
教室内の空気も、それに合わせて徐々にいつもの喧騒が戻りはじめた。
玻璃花と爆豪は睨み合い、それからまた何も無かったかのように席へ着いた。次は教室での授業だ。
矢鱈と時間に厳しい国語教師から詰められるのは御免だと、二人は一時休戦を選んだのだった。
固唾を飲んで二人のことを見ていた、爆豪の取り巻きたちが息を吹きかえした。
喧騒の戻った教室で、口々に好き勝手なことを喋り始める。
「おい爆豪、なんであんなのとっとと黙らせねぇんだよ」
「東晶って顔はイイけど、あんな面倒くせえキャラだったんか。なんか、ゲンメツしたわ〜」
「……黙れや。つーか、テメェも席譲ってんじゃねぇよ、ビビりか」
「悪ぃ悪ぃ、なんか、東晶ってこう、怖くね? 何考えてんのかわかんねーし。下手に触ったら勝手に割れそうだし」
「勝手に割れるのウケる! 後ろから押したら粉々になんじゃね?」
「やめとけって、はは、マジ死ぬって!」
玻璃花から離れた途端に彼女のことを罵る取り巻きに、爆豪はどうでも良さそうに一度鼻を鳴らすと、「センコーくっから大人しくしろや」と号令を出して散らせた。
どうしたって視界の隅に入る玻璃花は、もうこちらを気にする素振りすら見せず、ただ腹の中で沸々と苛立ちが募る。
教室でこんなことをして、どうしようというのだろう。もし本当に、爆豪以上の向こう見ずで頭の軽い取り巻きたちが知らないところで勝手に玻璃花を割ってしまったら――と想像し、眉間の皺が深まった。
彼女の義手で首を握らされたとき、爆豪は確かに彼女が震えているのを感じた。震えを抑え込んでまで、表で爆豪に喧嘩を吹っかけて、彼女は何をしたかったのだろうか。
爆豪に喧嘩を売って、もし取り巻きの誰かに過剰な反撃をされれば、一番傷つくのを彼女は自覚していたはずだ。
思い出されるのは、以前の彼女との会話。憎悪、殺意、嫌悪、嫉妬、失望……彼女はそのような感情を言葉でぶつけてきたけれど、それよりももっと、純粋な——怒りを、彼は感じたのだ。それは、なぜだろうか。
そこまで考えて、教室に教師が入ってきた。慌ただしく、生徒たちが起立する。爆豪は考えるのをやめて、今この時ばかりは授業へ逃避することにした。
席は必ず、廊下側の一番前。何か起きたとき、咄嗟に教師が保護できるように、そして保健室あるいは病院へと搬送をしやすいように。
だが、彼女はあまりその席に座ることはない。一日のほとんどを保健室で過ごすからだ。基本的な座学以外——実習や、長距離の移動教室、休み時間など——は、全て保健室での自主学習に費やされている。
とはいえ、教室には彼女の席があるし、空のロッカーだって形ばかりとはいえ用意されている。
だから、テスト期間も終わり、通常通りの時間割りとなったその日。普段は現れない昼休みに、彼女が教室に現れたことで、クラスは一瞬静まり返ってしまった。
「……そこ、私の席なんだけど」
どいてくれる? と、一瞥で訴えて、彼女の席に座って昼食を食べていた男子生徒を退かした。
さも当然のように席に着き、昼飯代わりのサプリメントとウェダーゼリーを一気に摂取すると、なんでもないように机から本を取って読み出した。
それに対して、皆一様に不気味がり、或いは好奇心で話しかけようとする中、一人だけ空気をぶち壊すように派手な音を立てて席から立つ者が現れた。
爆豪だ。
「テメェ、人に席譲らせといて挨拶も無しか、あ"ぁ?」
「……なに? そんなに構って欲しいの? それとも私の席に私が座ることに、なんか文句あるの?」
「ハッ、よく言う。わかっててやってんだろーが」
爆豪の席は、このとき丁度玻璃花の席の斜向かいだった。
だからこそ玻璃花は隠しカメラやらボイスレコーダーやらで証拠集めが実に捗ったのだが——閑話休題。
つまり、彼女が席を退かせた男子も、自然と彼の取り巻きの一部ということになる。
それを、わかっていて彼女はやったのだ。爆豪の目の前で、堂々と、宣戦布告よろしく席を奪って見せた。
たったそれだけではあれど、所詮中学一年の不良少年である。しっかりと、それを「売られた喧嘩」と認識していた。
「そっちこそ、随分なご挨拶じゃん。別に、そっちが私の机勝手に座ってご飯食べてたから、本来の席についただけ。そうだよね?」
「えっ、お、おう……」
にこやかに、しかし確かな刺々しさを持って聞かれた爆豪の取り巻きの一人は、普段一言も会話しない謎多き女子に巻き込まれてしどろもどろに頷いた。
玻璃花は個性の都合上、教師たちから「無闇に触れないように、近寄らないように」とお触れが出ている存在だ。加えて本人も積極的に友人を作るような性格ではない。
下手に騒げば勝手に割れるような相手では、さすがに不良一年目の少年は道を譲るしかない。
一方、それを分かっていても自分の配下が良いように遇らわれたのに青筋を立てているのは爆豪だ。
みみっちくも表立っての不良行為を起こせない以上、彼もまた玻璃花から――よりによって玻璃花から、売られた喧嘩を買うのは慎重にならざるを得ない。
しかし、ムカついてしまうのは仕方がない。
——ダンッ!
爆豪の手が、玻璃花の机に叩きつけられた。
一瞬、教室内の空気が凍る。
片やクラスのカースト一位の不良、片や不用意に触れないガラス製の女生徒だ。とうとうおふざけでは済まされない暴行事件でも起こってしまうのか……と、クラスの面々は固唾を飲んだ。
対して、当の玻璃花はというと。
「……なぁに、それ。威嚇してるの?」
爆豪を一瞥し、鼻で笑った。
勿論、爆豪はそれに対して目を吊り上げる。
「そうだなァ。分を弁えないバカ女に、これ以上舐めた態度してっと次は殺すって教えてやってんだよ」
「ふぅん、そう。……出来ないくせに、威嚇だけは元気なんだね。臆病なのかな?」
真っ赤に燃える目と淀んでひび割れた目が、正面からぶつかった。
「臆病だぁ? ハッ、なーんも出来ねえテメェみてえなグズと一緒にしてんじゃねぇよ」
「あんたにだけは言われたくないなぁ。散々偉そうに自分の優秀さをひけらかして、裏でコソコソとこっすい鬱憤晴らししてるみみっちいあんたにだ、け、は」
「おーおー、セコセコと嗅ぎ回っとったみてェもんなぁ? 臆病なんはテメェだろうが。大人しく地べた這ってろ割れモンが」
「ヒーロー科進学志望の癖してルールを破って学校やら公道やらで派手に『個性』無断使用する、将来転落ニートまっしぐらなあんたに現実を教えてあげたのを感謝して欲しいくらいなんだけど?」
「あ"? ンなのどーとでもなるわ。俺はテメェと違って優秀だからなぁ? そんなんかすり傷の一つにもなんねーんだよ」
「ふぅん? じゃああんたが高校の合格通知貰ったら、真っ先にその、コソコソ集めたあんたの特選非行集を実名で高校に送ったげるよ」
「やってみろや、その前にテメェの頭と首がおさらばして無ければなァ」
「あらまぁ、聞きました? 皆さん。ヒーロー科志望の優等生が、堂々と殺害予告してますよ」
玻璃花は実にいい笑顔で教室を振り返った。心なしか、静かだな、と思ってオーディエンスの反応を伺ったというのもある。
しかし、顔色を失った面々は、すっと二人から目線を外して無言を貫く。きっと蜂の巣をつついたように大騒ぎするんじゃないか、なんて彼女の予想は裏切られた。
「……臭い物に蓋、都合が悪くなったら見て見ぬふり。ヒーロー科志望の学生がコレとか、口だけご立派な阿呆は一人じゃなかったみたいだね」
クラスメイトに関心を失った玻璃花は、呆れを隠しもせずに爆豪へ視線を戻した。
「で? なんだっけ。私の首を爆破してみるって話だっけ?」
「余所見してんじゃねぇよクソイキリ女」
「ええ、あなたには存分にイキらせてもらいますよ。出来もしない犯罪予告とか、私以上のイキリ男が目の前に居るしねぇ」
玻璃花はそう言って、義手の左手で爆豪の腕を掴むと、自分の首に無理やり触らせた。
手袋越しに、カーボンの硬い擬似骨格が爆豪の腕へ食い込む。
「やってみろよ、クソイキリ男。あんたの積もり積もる武勇伝のひとつになってあげる、っつってんだよ」
「……ッ、この、自殺志願者がッ」
ヒビだらけの玻璃花の首に、爆豪の手汗——爆薬となるその液体が、ジワ、とひび割れの隙間へと染み込んでいくのを二人は感じ取る。
ここで小さな爆破でもすれば、間違いなく彼女の首は木っ端微塵となるだろう。左腕のときと同じように、今度は明確な加害意識でもって。
――そして、それ以上に。
「……クソが」
彼女の全力を持って握られていた爆豪の手は、あっさりと振り払われた。
キーン、コーン、カーン、コーン……
チャイムと共に、二人の距離が離れる。始業五分前のそれに伴って、廊下からざわめきと足音が近付いていた。
教室内の空気も、それに合わせて徐々にいつもの喧騒が戻りはじめた。
玻璃花と爆豪は睨み合い、それからまた何も無かったかのように席へ着いた。次は教室での授業だ。
矢鱈と時間に厳しい国語教師から詰められるのは御免だと、二人は一時休戦を選んだのだった。
固唾を飲んで二人のことを見ていた、爆豪の取り巻きたちが息を吹きかえした。
喧騒の戻った教室で、口々に好き勝手なことを喋り始める。
「おい爆豪、なんであんなのとっとと黙らせねぇんだよ」
「東晶って顔はイイけど、あんな面倒くせえキャラだったんか。なんか、ゲンメツしたわ〜」
「……黙れや。つーか、テメェも席譲ってんじゃねぇよ、ビビりか」
「悪ぃ悪ぃ、なんか、東晶ってこう、怖くね? 何考えてんのかわかんねーし。下手に触ったら勝手に割れそうだし」
「勝手に割れるのウケる! 後ろから押したら粉々になんじゃね?」
「やめとけって、はは、マジ死ぬって!」
玻璃花から離れた途端に彼女のことを罵る取り巻きに、爆豪はどうでも良さそうに一度鼻を鳴らすと、「センコーくっから大人しくしろや」と号令を出して散らせた。
どうしたって視界の隅に入る玻璃花は、もうこちらを気にする素振りすら見せず、ただ腹の中で沸々と苛立ちが募る。
教室でこんなことをして、どうしようというのだろう。もし本当に、爆豪以上の向こう見ずで頭の軽い取り巻きたちが知らないところで勝手に玻璃花を割ってしまったら――と想像し、眉間の皺が深まった。
彼女の義手で首を握らされたとき、爆豪は確かに彼女が震えているのを感じた。震えを抑え込んでまで、表で爆豪に喧嘩を吹っかけて、彼女は何をしたかったのだろうか。
爆豪に喧嘩を売って、もし取り巻きの誰かに過剰な反撃をされれば、一番傷つくのを彼女は自覚していたはずだ。
思い出されるのは、以前の彼女との会話。憎悪、殺意、嫌悪、嫉妬、失望……彼女はそのような感情を言葉でぶつけてきたけれど、それよりももっと、純粋な——怒りを、彼は感じたのだ。それは、なぜだろうか。
そこまで考えて、教室に教師が入ってきた。慌ただしく、生徒たちが起立する。爆豪は考えるのをやめて、今この時ばかりは授業へ逃避することにした。
